2015年03月08日

ブログと夕ごはんのメニューがよくにていること

スーパーでかいものをしたかえり道、
ブログと夕ごはんのメニューがよくにていることに気づいた。

メニューがきまらないまま 夕方をむかえることがあるけど、
とにかくその時間になったら なにがしか
テーブルにのってないといけないわけで、
「夕ごはんなし!」というわけにいかないから、
なんとかなるのだ。
なんとかするしかないのはつよい。

ブログにしても、
なにをかくのかが なかなかきまらないこともあるけど、
夜になるとなんとなくテーマがしぼれてきて、
くるしまぎれであっても、1回分の文章ができあがっている。
こういうのは、しめきりのあるありがたさだ。

夕ごはんは、かいものにいくまえからメニューがきまっていることもあるし、
お店のうり場をあるきながら きめることもある。
ブログをかこうと、エバーノートをふりかえって 材料をえらんでいるみたいだ。

めちゃくちゃなメニューの日がすくなくないのもおなじだ(あくまでもわたしのブログについて)。
炭水化物ばっかりだったり、メインディッシュがなかったり。
なにかの専門店じゃないし、きっぱり日がわり定食といいきる内容でもないし。

おなじネタがつかえない点は、夕ごはんとちがうかもしれないけど、
じつはけっこうにたようなことをかいてたりして
(ということも、なんだかすでにかいたような気がする)。

糸井重里さんの「ダーリンコラム」がわたしはすきで、
毎日たのしみにしている。
なんでもないようなひとことでも、
糸井さんが角度をかえて あちこちいじくりまわしていると、
まったく気づかなかったおもしろみがでてくる。
ことばつかいの達人であり、魔術師だといつも感心させられる。
その糸井さんが、あるとき まったくおなじネタをとりあげたことがあった。
「あーりゃりゃこりゃりゃ」と非難するのではなく、
わたしはすごくうれしかったのをおぼえている。
いつも完璧な内容におそれいるよりも、
糸井さんでさえそうなんだから、と気がらくになる。
糸井さんのことだから、わざとスキをつくってくれたのかもしれない。
それ以来わたしは、なんだかもうかいたことがあるような気がしても、
安心して「はじめて」の顔をつらぬけるようになった。

ほかにも、だれかたべてくれるひとあっての夕ごはんであるとか、
おしゃべりがあったほうがたのしいとか、
ブログと夕ごはん(というか食事だ)は本質的によくにている。
いちばんちがうのは、ブログはとくになくても平気、ということだろうか。
それはつまり、ぜんぜん「本質的にいっしょ」じゃないということか。

posted by カルピス at 15:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする