2015年03月10日

『血と暴力の国』(コーマック=マッカーシー) かわいた文体の魅力

『血と暴力の国』(コーマック=マッカーシー・黒原敏行:訳・扶桑社)

コーマック=マッカーシーの本が
「村上さんのところ」でとりあげられていた。
すごくおもしろそうだ。
http://www.welluneednt.com/entry/2015/03/01/173700
図書館にあった『血と暴力の国』をよんでみる。

よけいなことはしゃべらない。
ことばすくなにすこしひねったことをいう。
ことばはかわいているけど、こころには血がかよっている。
これはきわめつけのハードボイルドだ。
なによりも文体がかわっていて、
みじかくことばがきられれ、リズムよく
どんどんはなしをさきにすすめていく。
心理描写はなく、ひとのうごきがこまかくかきこまれている。
まんなかくらいまでよんだとき、
やっとこの小説は「テン」をつかわずにかかれているのに気づいた。
すごくながい文章でもテンがない。
会話でよくつかう「◯◯、といった」みたいなのもほとんどない。
会話をあらわすカギカッコがこの本にはみられず、
みじかいことばのやりとりだけがならべられている。
卵はいくつ使った?
四つよ。
トーストはもうないのか?
あと二枚焼いてるから。ねえ腕どうしたのよ、ルヴェリン?
どういう答えが聞きたい?
ほんとの答え。
ときどきとんでもなくながくて テンのない文章がでてくる。
おれがその男におれはあんたに侮辱されたんじゃないあんたのためにできるだけのことをしたと言いにきたんだあんたがやったんじゃないと思ってるからこの結果は残念だと思っていると言うと男は後ろにそっくり返って笑ってからこう言った。
こんなにながい文章なのにテンがつかわれておらず、
それで意味がわかってしまうのだから、
テンとはいったいなんなのだろう。
テンがないのによんでいて違和感がなく、
この本にはこの文体がぴったりのようにおもえてくる。
わたしは本多勝一氏の『日本語の作文技術』を参考にして、
かなり注意しながらテン(読点)をうっており、
本多氏の原則からはずれたテンのつかい方をみると
ついいらいらしてしまう。
それなのに、コーマック=マッカーシーの本がすんなりよめるのは、
よほど黒原敏行氏の訳がこなれているからだろう。
そういえば、野坂昭如氏がにたような文章をかいていたような気がして
ひっぱりだしてみる。
テンはたくさんあるけどマル(句点)のない文体だった。
テンのうちかたには、その小説家の特徴があらわれる。
コーマック=マッカーシーは、
効果的にテンをつかわない、究極の文体だ。

『血と暴力の国』には、ハードボイルドらしく
気のきいたやりとりがいくつもでてくる。
おれを信じてくれ。
その言葉嫌いなんですよね。前からずっと。
自分で言ったことはないのか?
いや。ありますよ。だからあてにならないって知ってるんです。
コーマック=マッカーシーの本をつづけてよみたくなった。

posted by カルピス at 11:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする