2015年03月12日

車とつきあうときの距離感

きのうは親戚の法事があり、車ででかける。
わたしのホンダ・フィットは、
2年ちかくまえに中古でかったときから、
いちどもあらってないので、ずいぶんよごれてしまった。
あんまりきたない自動車では、
法事にふさわしくないだろうと、
なんにちかまえにざっとあらってみた。

バケツに水をくみ、スポンジをその水につけて、よごれたところをふく。
たったそれだけで、みちがえるようにきれいになった。
「みちがえる」ほどきれいになったとおもうのは、
ふだんどれだけよごれているかのあらわれであり、
マメにワックスをかけているひとからみれば、
はなしにならない「きれいさ」だろう。
でも、それで用がたりるわけだから、
バケツとスポンジの洗車でじゅうぶんだとおもった。

とかいていて、そういえば、車をていねいにあらい、
ワックスまでかけるひとを、あまりみかけなくなった気がする。
わたしがわかいころは、すこしのよごれもみおとさないように、
全精力をかたむけて車をひからせているひとがめずらしくなかった。
そんなやり方で大切にする神経がわたしには理解できず、
いまでもあまりすきな風景ではない。
そうしたひとをみかけないのは、
車がそれだけあたりまえの存在になったからだろうか。
わたしがワックスをかけているひとをみかけたのは、
これからバブルに突入しようという、
うかれていた日本の準備期間だったから、かもしれない。
女の子とつきあう必需品として車にお金をかけ、
うごく不動産みたいだった車の時代は、
もうとおくへいってしまった。
いまは車なんて交通機関のかわりに移動できればよく、
できるだけガソリンをくわなければありがたい、
みたいな必要悪の存在だ。

ほんのちょっとあらっただけで
きれいになったフィットに満足していたのに、
よくみると、そうじをやりのこした窓のよごれが気になってきた。
わたしはもっとフィットにかがやいてほしくなり、
つぎの日もういちどバケツとスポンジをひっぱりだして、ガラスの部分をきれいにふいた。
車なんてうごけばいい、とうそぶいていたのに、
10年以上まえの型である初期のフィットをなんどもあらうのは、
けっけこうまずしい風景だなーと、自分でつっこむ。
いいんだ。わたしは道具を大切にする常識人だから、と
貧乏にスポンジをうごかす自分にいいわけする。

せっかくきれいにしたフィットだけど、
山陰の冬によくある雪まじりの雨で、
法事のまえにまたもとのよごれた中古車にもどってしまった。
これからもフィットをあらいつづけるか、
いっときのかんちがいにおわるのか。
ワックスまではのぼせずに、
バケツとスポンジにとどめるのがわたしの美学であり、
ときどきよごれをおとすぐらいのつきあいがちょうどにあっている。
さすがに2年にいちどでは、ちょっとすくなかったか。

posted by カルピス at 11:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする