2015年03月17日

「寒さの正体」が ”「ワンランク上」というワナ”ではおもしろみがない

14日の朝日新聞に、稲垣えみ子編集委員の記事「寒さの正体」がのった。
サブタイトルは”「ワンランク上」というワナ”だ。
稲垣さんは、「原発事故以来、電気に頼らぬ生活とは何かが知りたくて、冷暖房を使わぬ暮らしをして」おり、
エアコンもコタツもホットカーペットも、すべて処分し、家にはないという。
湯たんぽをつかったり、お湯をわかしてあたたまる工夫が、
”やみつき「暖房ゼロ生活」”という記事で きょねんの1月に紹介されていた。
けしてさむさにつよい体質なのではない。
私たちは経済成長とともに「ある」幸せを求めてきた。(中略)でも実は、「ない」中にも小さな幸せは無限に隠れているのだ。
という発想の転換だ。
今回の記事は あれから1年たち、稲垣さんはついに「寒さの正体」をみやぶったという。

「暖房ゼロ生活」では、稲垣さんがそれまでだいすきだった風呂が、
苦行の場となってしまった。
「つい長湯になり湯が冷めてくる→わかし直す→長湯→冷める→わかし直す→長湯→冷める・・・ああ無間地獄」

稲垣さんは、どうしたものかと頭をかかえるうちに、
苦痛の原因は「寒さ」そのものではないのではないか。「寒さ」と「暖かさ」の差が苦しみを生み出しているのではないか。
と気づく。
じっさい、脱衣場と風呂場の温度差が、「ヒートショック」として脳梗塞などをまねき、
おおくの方が救急車ではこばれているという。
人はそこそこの豊かさを手にいれてもなお、差をつけることで更なる豊かさを追求したいのだ。差がなければ豊かさを実感できないのかもしれない。冷暖房だってそう。温度差をつけて、豊かさをかみしめる。で、その差は本当に幸せをもたらしたのか。
私たちは一体何を求めてきたのだろう。

なんだか含蓄のあるはなしにおもえるけど、
よくかんがえると、つめたいビール、あたたかいお茶など、
温度「差」をあじわうことはそのまま快感であり、
いまさらそれを「その差は本当に幸せをもたらしたか」
なんていわれてもピンとこない。
ほかの場面でも、たとえば観光や食事だって、
いつもとちがう「差」を体験することが魅力なのであり、
その「差」をあじわうことが”「ワンランク上」というワナ”といわれては
たのしみに水をさされる気がする。

快感というゆたかさをもとめた結果がヒートショックにつながったとしても、
それはそれ、快感は快感であり、
なにもかもをいっしょくたにして
”「ワンランク上」のワナ”とうたがっては生活の質がまずしくなる。
稲垣さんがいわなくても、”「ワンランク上」のワナ”的な発想は、
すでにさんざんきかされてきた。
稲垣さんには、気もちのもちかたではなく、
具体的にさむさをしのぐテクニックを工夫してほしかった。
江戸時代までは、だれもが「暖房ゼロ生活」でやっていたわけで、
当時の生活に現代の技術をくわえたら、
もっと快適な「暖房ゼロ生活」の環境がつくれないだろうか。
稲垣さんの記事は、結局のところ気もちのもちようで さむさをやりすごそうとしているようにおもえる。
わたしにはとても無理だと、ためしてみるよりも あきらめがさきにたってしまった。
来年のいまごろ、稲垣さんがどんな記事をのせるかをたのしみにしている。

posted by カルピス at 20:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする