バス停でバスをまっている小学生の女の子が、
ランドセルから本をとりだしてよみはじめた。
高校生以上がスマホをいじってばかりいるいま、
あらゆる世代のなかで 本をいちばんよくよむのは 小学生なのかもしれない。
中学生はスマホがあってもなくても、
以前からひとまえで本をよまなかったような気がする。
4月29日の「帰ってきた炎の営業日誌」(「web本の雑誌」)に
http://www.webdoku.jp/column/sugie/
京浜東北線、南浦和始発。一車両80人くらい乗車のうち本を読んでるのは私を含め3人。新聞は2人、スマホは50人くらい。私の前の7人がけの座席は、 着席すると同時に全員がスマホを取り出した。電車のなかだけでなく、ホームで次の始発電車を待つ人もほとんどスマホを手にしている。ほんの十数年前、通勤 電車の風景はスポーツ新聞とマンガ雑誌だったような気がする。そのふたつはすでにほとんど見かけない。
と杉江さんがかいている。
いまでは日本全国、というか、世界じゅうでみかける 光景だろう。
それだけに、ごく自然に本をとりだした女の子がすてきにみえた。
これはまあ、スマホをつかわないわたしの偏見なわけで、
それでは、どんなひとがもっていたら「スマホもわるくないなー」という存在かを、
せんじつこのブログで紹介した西加奈子さんにならってたしかめてみたい。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/417656224.html?1430372059
はじめに西さんの記事をふりかえっておくと、
西さんは公園で、奥さんとのキャッチボールをまちきれずに、
ひとりで壁あてしている おじいさんをみかけた。
西さんはその姿を「叫びだしたいくらい可愛」いい、とおもった。
しかし、その景色をそのままかくのではなく、
おじいさんをほかのひとにいれかえたり、
どんなひとがこの景色にであったらおもしろいかをかんがえてみると、
ものがたりの種がそだっていくのだという。
スマホをもってるひとをみて、「いいなー!」とおもえるのは
どんなときだろう。
いくらすてきなひとでも、わかい女性がスマホをいじっていてはあたりまえすぎる。
ここはやはりIT弱者といわれる高齢者の出番だろう。
80をすぎたおばあさんが、スマホで情報をしいれていたら、
みているほうは感心するしかない。
たくみな指つかいでも、ふなれなあつかいでも、
きっとそれはわるくない風景だろう。
あるいはいかにも農家のひと、というかんじの
おじさん・おばさんも意外性がありそうだ。
麦わら帽子に手ぬぐいと長ぐつのおじさんだったら
スマホがあってよかったですね、とわたしは素直におもうだろう。
ほかに、スマホからとおいところにいるのは、どんなひとだろう。
3歳の子どもがたくみにあやつっていたら いやなかんじだし、
サルがもっていてもなんだか腹がたつ。
すこしかんがえてみても、
いまやスマホはあたりまえすぎる存在で、
たいていの職業や国籍をあてはめても違和感がない。
時代をこえて、ちょんまげをしたお侍さんがつかっていたら わるくないかもしれない。
宇宙人のジョーンズさんや、ソフトバンクの犬のお父さんもおもしろいだろう。
でも、そこまでいくとべつのはなしだ。
ちがういい方をすれば、それぐらい飛躍しないと いまやスマホは日常の風景で、
なんにでもとけこみ、とりこみ、どこにでもおさまってしまう。
こうしてみると、わたしがであった小学生の女の子は、
かなりいい線をついているのではないか。
そんなすてきな子がとなりにすわって本をよんだら、
おとなたちもスマホをかたづけて 本をひろげたくなるだろう。
そこで女の子は、さっと手もとのアップルウォッチに目をむけるのだ。