2015年04月08日

『文藝別冊 梅棹忠夫』文化が各民族間の相互理解をむつかしくしている

『文藝別冊 梅棹忠夫』(河出書房新社)

本をおさめる場所がととのったので、
すこしずつ本の整理にとりかかる。
これまでベッドのよこの本棚にあった本をうつし、
そこに梅棹さんの本をもってきた。
それぐらいのことは、もっとはやくやればいいのに、
なんとなく とくによみかえすことのない本を
いちばん手もとにおいていた。
こうやって、梅棹さんの本が手をのばすところにあると、
どれをとってめくっても 興味ぶかい再読となる。

ゆうべは『文藝別冊 梅棹忠夫』(河出書房新社)をひっぱりだす。
裏表紙の写真は、「カラコラム・ヒンズークシ探検」のときのもので、
当時35歳だった梅棹さんが やわらかな表情で
ジルニーの村のひとたちとうつっている。
このときの探検は、のちに『モゴール族探検記』として、
梅棹さんのはじめての著作となる。
探検記でありながら、格調がたかく、ふかい教養のにじみでる作品で、
なんどよみかえしても、そのつど完成度のたかさにおどろかされる。
歴史的な知識を土台に、目のまえでおきているできごとを観察し、仮説をたてる。
アフガニスタンでおきている部族間対立の分析から、
これから世界の国々は、各民族の相互関係が問題になることを予言する。
そんな作品を、写真にうつるこのわかい青年が、デビュー作としてかきあげたのだ。

梅棹さんのことをかくと、
さきをみる目のたしかさにいつも感心してばかりだ。
『梅棹忠夫』には「人類の未来」という題でおこなわれた
桑原武夫氏との対談(1972年)がのっており、
ちかい将来、人口が70億をこえるであろう地球を、どうとらえるかがはなされている。
梅棹さんは、各民族間の相互理解をむつかしくしているのが文化だという。
殺し合いの最大原因はそれですよ。文化ですよ。価値体系が違うということ、相手の価値体系を認めないということが文化の本質なんですから。

文化に頼れば頼るほど、結果は相互不信と相手の価値体系を認めないということが出てくるだけやないかと。文化の多様性というのは、観念の上ではありえますよ。しかし、そのメカニズムを考えてごらんなさい。そんなことできないですよ。

世界中にいろいろな文化があることをしるのは大切だ。
しかし、理解しようなどとおもっても、かんたんにはできないことを
梅棹さんはしりぬいていた。
文化には多様性がある。それはそれとして、そっとしておかないと
へんにいじったりしたらどうにもならなくなる。
観念のうえで、わたしたちは文化に優劣がないことをしっている。
しかし、それでもなおさまざまな民族問題がおきるのは、
おおくのひとが自分たちの文化こそただしいと主張するからだ。
文化がもつ問題があまりにむつかしいから、
対談のなかで梅棹さんは脱文化をかかげている。
日本固有の文化をまもらないと国がほろびる、なんていっていると、
ほかの国とうまくやれるはずがない。
おたがいに自分たちの文化の優秀さをほこるのではなく、
固有の文化から脱出することが、
これからの世界ではすくいになるというかんがえ方だ。
それぞれ固有の文化などというものは、人類全体にのしかかっている人口七十億の圧力のものすごさを考えたら、吹けば飛ぶような存在です。というより人類全体の運命から考えたら、完全にマイナス要因だということです。要するに、相互不振の原因になるだけですよ。

文化は価値体系であり、価値体系はひとつしかとりいれられない。
文化のすばらしさはよく耳にするけど、
文化のあつかいづらさについて
わたしはあまりきいたことがない。
梅棹さんのいわれることと、おおくのひとがかかえる問題意識とは あまりにもちがう。
こんなはなしを1972年にされても、
なかなか理解されなかったのではないか。

「みんぱく」は世界の文化を紹介する博物館であり、
世界にはこんなにたくさんの民族が
それぞれの文化をもっていることをおしえてくれる。
自分たちの文化だけを特別あつあつかいしてはならないことが、
「みんぱく」の展示をみればよくわかる。
自分たちの文化を尊重し、ほこりにおもえばおもうほど、
ほかの文化をうけいれられなくなるのだから、文化はやっかいだ。
相互不振が原因でおこるさまざまな国際問題は、
梅棹さんが指摘する文化のむつかしさをあらわしている。
梅棹さんのいうように、文化からはなれるしかないのだろうか。

posted by カルピス at 13:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 梅棹忠夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする