2015年04月26日

『その女アレックス』(ピエール=ルメートル)

『その女アレックス』(ピエール=ルメートル・文春文庫)

オビに「読み終えた方へ」として
「101ページ以降の展開は、まだ読んでいないひとに
けっして話さないでください」とある。
話さないけど かくのはいいんだな、というほどひねくれてはいないけど、
なんだよ、もったいつけて、とはおもった。
でも、よんでみるとわかる。
たしかにこの本はストーリーをあかされたらたまらない。

アレックスが誘拐され、せまいオリにとじこめられる場面から
ものがたりははじまる。
服をぬがされ、水とたべものはろくになく、排泄もままならない。
部屋はさむく、つらい姿勢をながくつづけるうちに、
アレックスはだんだんと正気をうしなっていく。
警察は、このかわいそうな女性をすくいだせるのか、
というのがものがたりの前半だ。
アレックスの状況と、警察の捜査が交互にテンポよくかかれている。
そのうちよわってきたアレックスにネズミがちかづいてきて・・・、と
ふつうのミステリーだったらこの捜査だけで1冊になるところだろう。

オビには「本屋大賞・翻訳小説部門受賞」ともある。
たしかにハラハラさせられるけど、
このひどい状況をひとによんでもらいたいとおもうかな、と
店員さんの気もちがすこしひっかかる。
でもちがった。
ものがたりはその後おもわぬ展開をみせる。
奇想天外なプロットで読者をおどろかすというよりも、
ありえないような事実が残酷にくみあわされる衝撃に、
よみながら だんだんとことばをうしなっていく。

「訳者あとがき」に
この作品を読み終えた人々は、プロットについて語る際に他の作品以上に慎重になる。それはネタバレを恐れてというよりも、自分が何かこれまでとは違う読書体験をしたと感じ、その体験の機会を他の読者から奪ってはならないと思うからのようだ。

と橘明美氏がかいている。
わたしもこの意見に全面的に賛成だ。
これは特殊な体験といっていいだろう。
つらい内容にショックをうけながらも、
完成度のたかさが 本物のミステリーをよむよろこびをおしえてくれる。
プロットがすばらしいし、登場人物の造形やセリフなど、
すべてが第一級のレベルで、安心して作品の世界につかる。
こんなにミステリーをたのしめたのは、『卵をめぐる祖父の戦争』以来だ。

登場する人物がそれぞれたくみに描写され、
いかにもそこらにいそうなリアリティがある。
カミーユ警部がいっしょに捜査をすすめる同僚たちもいい。
アルマンはきわめつけのケチで、ルイはいいところそだちの好青年。
捜査をすすめるときに、ふたりの特徴がうまくからんでくる。
いい小説には、いい脇役の存在がかかせない。
その顔を見れば、かつての美女がそのままでいたいと望んだためにすべてを台無しにしたのだとわかる。
マシアクはフランスに同化しすぎてアルコール依存症になりました。ポーランド人らしくよく飲み、その結果よきフランス人にもなったわけです。
そこへフェリックスが手をずらそうとしたので、アレックスはすぐに止めた。といっても手首にそっと触れて押しとどめただけで、禁止というより約束だ。
問題はどうやって口を開けるかだ。ハンマーでも使わないことには一日かかってしまいそうだ。ならハンマーを使えばいい。
「違法でないとご存知なら、なぜ嘘をついたんです?」
「そんなのあんたたちに関係ないでしょう」
それは場違いな発言だった。
「ヴィスールさん、この状況で、警察に関係がないことなどあると思いますか?

こうしたいいまわしがわたしはだいすきだ。
訳もこなれており、気もちよくよめる。

よみおわって、すっかり感心したわたしは、
あいたスペースに「これはすごいわ!」とかきこもうとしたら、
もうすでにおなじことばがかいてあった。
なんにちかまえのわたしも、ふかく感心したみたいだ。
この本をよんでいるあいだ、わたしは作品の世界に完全にひたり、
カミーユ警部やアレックスをすぐそばにかんじていた。
これだけ充実感のある読書は、たしかに特別な体験といえる。

posted by カルピス at 20:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする