1ヶ月まえも、こうして草刈機をつかっている。
梅雨にはいり、雨がふるたびに草がのびるので、
毎月の草かりをさぼれない。
田んぼでは、イネがだいぶそだってきている。
ヒエだらけになって、草とりがたいへんかと心配してたけど、
手でじゅうぶんとれる範囲だ。
ヒエ以外の草もたくさんはえているものの、
イネの成長をじゃまするほどの存在ではない。
水面にはえている草は、そのままにしておく。
田車といって、そうした草を泥のなかにおしこむ
人力の草とり器をむかしつかったことがある。
手でおすのだからたいへんだし、どれだけ効果があるのかも わかったものではない。
わたしの田んぼはきれいにみせるのが目的ではなく、
いろんな種類の動植物がうごめく場所であってほしいので、
とるのはヒエだけだ。
草をぜんぶとるなんて、とてもできないし、めんどくさい。
それにしても、ヒエの生命力は あきれるほどつよい。
田んぼからひっこぬいてアゼになげておいたくらいではかれない。
その場でたくましく生きようとするので、
きょうは草刈機でとどめをさした。

イネがそだっているといっても、だいぶまばらで、
ほかの田んぼとくらべると、葉のしげり方がぜんぜんちがう。
田うえをした田んぼは、たよりなさそうだった苗がおおきくそだち、
もう水がみえないくらいイネの葉がおいしげっている。
わたしの田んぼでは、イネは主役といえない。
イネもはえている田んぼ、という表現が適切な状態だ。
縄文時代に日本でイネつくりがはじまったころは、
どんなやり方をしていたのだろう。
米つくりといえば 田うえや きちんとならんだ苗を連想するけど、
単純にかんがえれば、はじめから田うえをしていたはずがない。
種を田んぼに直接まくのが、いちばんてっとりばやいにきまっている。
照葉樹林文化として縄文時代に稲作がはいってきたのなら、
やき畑からはじまったのかもしれない。
そのあとで、大陸から移植によるつくり方、
つまり田うえがつたわってきたのではないか。
おおむかしは、わたしがやっているようなやり方が一般的な米つくりだったとおもう。
なぜ日本ではじかまきから田うえにうつっていったのか。
じかまきをやってみてかんじたのは、発芽をそろえるむつかしさだ。
田うえなら確実に苗を確保できる。
田植機がなかったころの田うえは、
たいへんな労働だったにもかかわらず、
安定した米つくりの技術としてひろまったのだろう。
ばらまきは、楽だけど不安定な栽培法だったため、
労力が必要でも田うえによる米つくりがこのまれた。
アメリカでは飛行機で種まきをするくらいだから、
条件さえそろえば、田うえはなにがなんでも必要な作業ではない。