2015年06月02日

『ブログを10年続けて、僕が考えたこと』(倉下忠憲)

『ブログを10年続けて、僕が考えたこと』(倉下忠憲)

おもいがけず大作だったので、なかなか感想がかけなかった。
ブログのこれまでをふりかえり、現状を把握し、
これからの方向性がかんがられている。

ブログが自分の人生におおきな影響をあたえた体験から、
倉下さんには ブログをいいかげんにあつかいたくないという つよいおもいがある。
ブログを大切にかんがえ、こうあってほしいとねがう。
プログを情報発信としてよりも、収益をあげる手段とするひともおり、
だからといって、それがかならずしもまちがっているとはいいきれないなか、
倉下さんのブログ観はわたしにネット界の良識をしめしてくれる。
ただ10年つづけたからというよりも、
この真摯な姿勢があるからこそ、おおくの読者の信頼をえるのだろう。

本書をよみながら、わたしは自分のブログ、そして自分のたち位置をなんどもふりかえる。
倉下さんはブログによる「積極的な社会参加」に意味をみいだしている。
ひとや社会とつながりやすいのがブログの特徴だ。
ウェブに情報を出すならば、そのコンテンツが誰かの役に立つか、誰かの価値になっているのかは、一度考えてみたいところです。

情報に価値があるかどうかについて、わたしは倉下さんほど
意味をもとめていなことに気づく。
たしかに、かきっぱなしではなく、
なにがしかの反応が期待できるブログは
ひとや社会とのつながりに魅力がある。
しかし、役にたつかどうかは、わたしにとってそれほど重要ではない。

こんなかんがえになったのは、おかしなことだけど、
「積極的な社会参加」をといたのとおなじひと、梅棹さんの本がきっかけだ。
梅棹さんは「積極的な社会参加」だけでなく、
生きがいを否定した無為な生き方もみとめている(たとえば『わたしの生きがい論』)。
わたしは知的生産についてのよい読者ではなかったようだ。
ただあるだけでいいという人生論のほうにつよくひかれ、
役にたたないこと、意味のないことに魅力をかんじるようになった。

もちろんこの本は倉下さんがかんがえる「ブロク」であり、
わたしとはいくぶんちがうとおもったまでのことだ。
もしかしたら倉下さんのいう「役に立つ」は、
わたしのとらえているよりも、もっとひろい意味なのかもしれない。
それにしても、10年つづけてなお、倉下さんがこれだけブログを大切にし、
あついおもいをかたってくれるのを、
おかしないいかただけど ありがたくおもう。
おおくのひとがこの本にちからづけられ、
自分へのはげましとうけとめていることだろう。
倉下さんはほんとうにブログのもつちからをしんじている。

本のおわりのほうで、倉下さんはこうかいている。
「ブログで人生は変わる」。
目に入る風景が変わります。触発される考え方が変わります。
体験を求めたくなり、本を読みたくなり、誰かに説明したくなります。
自分で書いてきたことを読み返して、新しい発見をしたり、自分についてより深く知ったりもできます。
うまくいくときばかりではないけど、ブログをかくのはたのしい。
それをおしえてくれたのは倉下さんの「R-style」だ。

「あなたのブログが、良き読者と共にあらんことを」。
本のはじまりとおわりにかいてある 倉下さんのねがいだ。
たしかに、よき読者がいなければブログはつづけにくい。
わたしもまたよい読者でありたいとおもう。
本書は ひとつのブログ論とはいえ、10年の実績はたしかな説得力をもつ。
ブログをめぐる状況を整理し 理解するのに、適切な内容となっている
(「ブログお悩み相談室」まである)。
「はじめに」でふれてある留意点とはうらはらに、
きっとPVなんてどうでもよくなるだろうけど。

posted by カルピス at 23:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする