おもいがけず大作だったので、なかなか感想がかけなかった。
ブログのこれまでをふりかえり、現状を把握し、
これからの方向性がかんがられている。
ブログが自分の人生におおきな影響をあたえた体験から、
倉下さんには ブログをいいかげんにあつかいたくないという つよいおもいがある。
ブログを大切にかんがえ、こうあってほしいとねがう。
プログを情報発信としてよりも、収益をあげる手段とするひともおり、
だからといって、それがかならずしもまちがっているとはいいきれないなか、
倉下さんのブログ観はわたしにネット界の良識をしめしてくれる。
ただ10年つづけたからというよりも、
この真摯な姿勢があるからこそ、おおくの読者の信頼をえるのだろう。
本書をよみながら、わたしは自分のブログ、そして自分のたち位置をなんどもふりかえる。
倉下さんはブログによる「積極的な社会参加」に意味をみいだしている。
ひとや社会とつながりやすいのがブログの特徴だ。
ウェブに情報を出すならば、そのコンテンツが誰かの役に立つか、誰かの価値になっているのかは、一度考えてみたいところです。
情報に価値があるかどうかについて、わたしは倉下さんほど
意味をもとめていなことに気づく。
たしかに、かきっぱなしではなく、
なにがしかの反応が期待できるブログは
ひとや社会とのつながりに魅力がある。
しかし、役にたつかどうかは、わたしにとってそれほど重要ではない。
こんなかんがえになったのは、おかしなことだけど、
「積極的な社会参加」をといたのとおなじひと、梅棹さんの本がきっかけだ。
梅棹さんは「積極的な社会参加」だけでなく、
生きがいを否定した無為な生き方もみとめている(たとえば『わたしの生きがい論』)。
わたしは知的生産についてのよい読者ではなかったようだ。
ただあるだけでいいという人生論のほうにつよくひかれ、
役にたたないこと、意味のないことに魅力をかんじるようになった。
もちろんこの本は倉下さんがかんがえる「ブロク」であり、
わたしとはいくぶんちがうとおもったまでのことだ。
もしかしたら倉下さんのいう「役に立つ」は、
わたしのとらえているよりも、もっとひろい意味なのかもしれない。
それにしても、10年つづけてなお、倉下さんがこれだけブログを大切にし、
あついおもいをかたってくれるのを、
おかしないいかただけど ありがたくおもう。
おおくのひとがこの本にちからづけられ、
自分へのはげましとうけとめていることだろう。
倉下さんはほんとうにブログのもつちからをしんじている。
本のおわりのほうで、倉下さんはこうかいている。
「ブログで人生は変わる」。
目に入る風景が変わります。触発される考え方が変わります。うまくいくときばかりではないけど、ブログをかくのはたのしい。
体験を求めたくなり、本を読みたくなり、誰かに説明したくなります。
自分で書いてきたことを読み返して、新しい発見をしたり、自分についてより深く知ったりもできます。
それをおしえてくれたのは倉下さんの「R-style」だ。
「あなたのブログが、良き読者と共にあらんことを」。
本のはじまりとおわりにかいてある 倉下さんのねがいだ。
たしかに、よき読者がいなければブログはつづけにくい。
わたしもまたよい読者でありたいとおもう。
本書は ひとつのブログ論とはいえ、10年の実績はたしかな説得力をもつ。
ブログをめぐる状況を整理し 理解するのに、適切な内容となっている
(「ブログお悩み相談室」まである)。
「はじめに」でふれてある留意点とはうらはらに、
きっとPVなんてどうでもよくなるだろうけど。