新聞に女性雑誌『éclat』の広告がのっていた。
「é」はアクサン=テギュで
いかにもフランス語っぽいかんじだ。
しかし、『éclat』をどうよめばいいのか、
『éclat』とかいてあるだけではわからない。
わからないから、タイトルのわきに[エクラ]と日本語でよみがかいてある。
それなら最初から『éclat』なんて気どらずに『エクラ』でいいのに。
でも、『エクラ』したところで、けっきょく意味はわからない。
漱石にでてくる高等遊民ならわかるかもしれないが、
現代人のおおくはわからない(とおもう)。
辞書でしらべると、「輝き;(色の)鮮やかさ」の意味なのだそうだ。
わからないのに『éclat』と雑誌名につけたくなる心理はなにか。
『éclat』の意味はわからないけど、
では『STORY』なら大丈夫かというと、やっぱりわからない。
『Domani』だってよめても意味はわからない。
イメージが大切なのであり、
ことばの意味にたいしておもきをおいていないからだろう。
それにしても『éclat』はそうとうなものだ。
そこまで日本人はフランスにいかれているのか。
ところがそうではなかった。
女性誌のタイトルをかきだしてみると、
小学館が『Domani』『Oggi』『Precious』など、
集英社はさきにあげた『éclat』に『Marisol』・・・。ものすごいかずだ。
リストをながめるだけで、
わたしは自分のしていることのおろかしさをさとる。
世間では膨大な数の女性誌が出版されており、
そのほとんどが外国語のタイトルで、
たいていは意味がわからない。
いまさら『éclat』におどろいているわたしが世間しらずだったのだ。
アクサン=テギュまでもちだして
外国語、とくにフランス語であることをひけらかしているのは
『éclat』ぐらいかもしれないが、
基本的に女性誌のタイトルは魑魅魍魎の世界だ。
では男性誌のタイトルはというと、
しらべるとこれもまたほとんどが外国語で、
よめないし、意味もわからない。
わたしが『éclat』のアクサン=テギュにおどろいてみせたのは、
たんなるやつあたりにすぎないようで、
世間にあるタイトルは、男女をとわず 意味不明の記号にあふれていた。
タイトルに意味をもとめるなんて きわめつけのヤボみたいだ。
わたしは はっきりと自分の敗北をさとる。
日本人は外国語コンプレックスなどものともせず、
自由に外国語のタイトルをつかいこんでいる。
つかいたいことばを雑誌名にえらんで どこがわるいのか。
こうなってくると、
こんどはわたしが『éclat』をやっていないか心配になってきた。
意味をわかっていないくせに、イメージだけでものをいってないか。
ひとがつかうことばだけきびしくチェックしておいて、
自分はテキトーにながしていたら すごくかっこわるい。
NHK-BSのニュース番組をみていたら、
司会者のまえに板(しゃれた名前があるのだろうけど、でも板)がおいてあり、
「Global Debate Wisdam
グローバル ディベート ウィズダム」
とかかれていた。
英語でタイトルをつけ、そのしたにふりがなをうつ。
ぜんぜんグローバルな態度ではない。
よめないのならつかわなければいいのに、とこりずに批判する。
これは正統なやつあたりだとおもうけど、どうなのだろう。
女性誌のタイトルとおなじ現象のような、そうでないような。