『舟を編む』(三浦しをん・光文社)
いまさらだけど、『舟を編む』をはじめてよんだ。
ある出版社の辞書編集部が、あたらしい辞書づくりにとりくむ。
2012年の本屋大賞を受賞し、映画化もされている。
ほんとに、いまさらながらというしかない。
三浦しをんさんらしい おもしろさがつまっているけど、
そのいっぽうで、もったいないなーとなんどもおもった。
題材の壮大さのわりに、ひとつひとつのできごとがふかくえがかれていない。
いいところまでいって、ものたりない描写でおわる。
とくにさいごのほうは要約をよんでいるのではないかとおもうくらい
はなしがどんどんすすんでいってしまう。
よみながら、なんど「もったいない」とかんじたことだろう。
『舟を編む』は、もったいない小説なのだ。
このまえよんだ『星間商事株式会社社史編集室』と
すこしにた設定になっている。
どちらも なにかを編集する部であり、
どちらもその会社の主流とはいえない部署で、
どちらも料亭の存在がおおきい。
『舟を編む』は、もう1冊の『星間商事株式会社社史編集室』である
(主人公がすんでいるのはまるで「小暮荘」だ)。
すこし共通する点があったからといって、
むりやり2つの小説を関係づけたのではない。
『舟を編む』は、あたらしい辞書づくりに15年もとりくんで
やっとできあがっているのに、
それをたった260ページほどにおさめている。
辞書づくりという特殊な設定をえらんだことから、
この仕事にはどんな行程が必要かを、どうしても説明しなければならない。
辞書づくりは題材にすぎず、それをめぐっての ひとのおもいをかきたいのに、
辞書づくりの説明におわれ、人間関係にふかくきりこむ余裕がなくなってしまった。
しをんさんは、『舟を編む』のフラストレーションを解消するために、
もっとお気楽な設定で ひとのつながりをこころゆくまでかける
『星間商事株式会社社史編集室』がどうしても必要だった。
とおもったら、出版されたのは『星間商事株式会社社史編集室』のほうがはやかった。
『舟を編む』が有名すぎて、なんとなくこっちがさきにだされた本だと きめこんでいた。
でもまあむりやりはなしをすすめると、そんなことをいいたくなるぐらい、
『舟を編む』は やりのこしの回収が必要におもえてくるはなしだ。
魅力的な題材をえらびながら、内容に それをじゅうぶんいかせなかった。
15年間の辞書づくりを、たった260ページにおさめるのは さすがにくるしい。
辞書づくりにくわしくふれながらも、
仕事にまつわるたいへんさ・きびしさ、そしてたのしさをもりこんだ
第1級のお仕事小説にしあげてほしかった。
辞書づくりは、題材としてとても魅力がある。
ふだんお世話になっていながら、
どうやって辞書がつくられているかはまるでしらないし、
どんなむつかしさがあるのかも 説明されてはじめてわかる。
登場人物もわるくなかった。
いろんなことがめんどくさくなり、どうでもよくなりがちなわたしには、
馬締さんのように ことばへの関心をもちつづけ、
情熱をこめて仕事にとりくむひとが まぶしくみえる。
せっかくはまった設定なのだから、
もっとページ数をさいて クライマックスへむかえばよかったのに。
辞書づくりは魅力的な題材とはいえ、
かく側が まちがったことばをつかうわけにいかないので、
しをんさんは そうとうなプレッシャーだったのではないか。
「辞書編集部がそのていどの語彙なわけ?」
みたいなことをいわれないために、
いろいろ気をつかわれたことだろう。
であるから、なおさらもったいない小説だとおもう。
余談ながら、本文のなかに、しりとりのはなしがでていた。
もし 辞書をつくる関係者があつまって しりとりをやりだしたら、
勝敗がつくのだろうか。
「あ」行をふくまない、とか、6文字以上でなければならない、とかいう
いろんな「しばり」をつけたり、
博識な審判がいないと成立しないないだろう。
将棋の高段者がまわり将棋をしないように(しないとおもう)、
ことばつかいの達人たちは、しりとりなんかやらないのだろうか。
そんなことまでかんがえてしまうほど、
しをんさんは すばらしい題材を発見したのに、
260ページは かえすがえすも もったいなかった。
本屋大賞というより、もったいない大賞として
わたしの記憶にのこりそうだ。