よその家にいると、することがないので
なんとなくテレビをみるという うけみの時間がながくなる。
みたい番組があるわけではなく、ついているテレビをただながめている。
きのうの夜もそうやって たいくつしのぎに画面をみていたら、
正座をしたお侍さんのまえに、まっ白なネコがうずくまっていた。
『猫侍』という番組だった。
時代劇に動物という、意外なくみあわせがうけているドラマらしい。
かわいいネコだけど、からだをかたくしていることがおおく、
あまりリラックスしているようすではない。
玉之丞という名のそのネコを、
役者さんたちがあんまりじょうずにあつかっていないようにみえた。
わたしもまえに、カルピスという名の まっ白なネコをかっていた。
毛の色が白だし、ヨーグルトやチーズといった乳製品がすきなので「カルピス」。
まったくピッタリの名前で、いまでもわたしがつけるパスワードは、
「カルピス」をからめることがおおい。
白い毛にピンクの首輪がよくはえて、かわいいうえに気品があった。
おさなかったむすこは、のみもののカルピスと、
ネコのカルピスとが、こんがらがっていた。
あるとき「ネコのもう、ネコ!」といいだすので、なんのことかとおもったら、
カルピスをのみたい、という意味だった。
わざとまちがえてウケをねらったのではなく、
彼の頭のなかは「 カルピス=ネコ=のみもの」という
3つをごちゃまぜにした図式ができていたようだ。
今回の東京ゆきで、2日のあいだ家をはなれるにあたり、
いちばん心配したのはピピのお世話だ。
むすこに一応ひきつぎはしたけど、
ピピがどういううごきをとるのかは 予測できないところがある。
毎晩2回、トイレやごはんにわたしがつきあっていたのを
ピピはだれにおねがいするだろうか。
わたしは、夜中におきなくていいと、よろこんでいたけど、
いざピピのいない夜をすごすと、頭にうかぶのはピピのことばかりだ。
『猫侍』に目がいってしまったのも、
ピピのいないさみしさから かもしれない。
家にかえると、ピピはむすこの部屋のおしいれで まるくなっていた。
わたしがよびかけても、とくによろこびの表現はない。
ネコは、状況にすぐなれてしまうため(いやならどこかへいってしまうし)、
人間がおもうようには ひさしぶりの再会をよろこんでくれない。
そこが犬とちがうところだし、ネコとつきあうときの ものたりなさだ。
わたしはこうしたピピの反応を予想していたので、それほど残念にはおもわなかった。
『猫侍』でも、主人公のお侍がしばらく家をるすにしたら、
かえったときに玉之丞はすっかりわすれていました、と
リアルにネコの生態にせまって 人間たちをがっかりさせてほしい。
そこからがネコとのほんとうのつきあいがはじまる、
なんていうともっともらしいけど、
それもまた大げさすぎるし、かっこつけすぎた。
けっきょくネコとうまくつきあうには、
うんとかわいがりながらも 対等な関係で、
どこかクールな部分をのこしておいたほうが うまくいくような気がする。
番組がリアルかどうかは、
ネコとお侍との関係が目やすになる。