2015年09月30日

すこしさきに目をむけると妙にもっともらしい

きのう おとついと、記事のしめくくりに
さきのことはわからないよ、みたいなことをかいた。
いまはうまくすすんでいても、それがこのままつづくわけではない。
それだけに、将来をみこしたうごきが大事だ、なんて。

なんだか妙にもっともらしいのにあとで気づいた。
ゴールこそがスタートだなんて、
われながらこそばゆい。
くるしまぎれのすてゼリフみたいなものなのに、
将来をにおわせただけで、いろんな角度から、
複雑にものごとをとらえているようにみえる。
いったものがちの ずるいやり方だ。
内容ではなく、雰囲気でごまかそうとしているんじゃないか。

反対に、過去をほじくりかえしていると、
せこそうな記述にみえる。
ちまちまとむかしの情報をもちだして「いま」とくらべ、
ぜんぜんちがうじゃないかと指摘したり。
あんまりあかるい性格にはおもえない。
将来にふれるともっともらしいのに、
過去をふりかえるのはくらい。

よみかえしてみると、わたしは記事をしめくくるときに、
ちかい将来についてふれる日がおおい。
無意識のうちに いいかっこうをしたいのだろう。
お手軽にまとめられるし。
将来や過去を話題にするよりも、
「いま」をだいじにしたいとわたしはおもっている。
おもっているはずなのに、じっさいはしょっちゅう
「ちょっとさき」に目をむけており、
ただ観念的にいまが大切といっているのがすけてみえる。

とはいえ、家族や同僚が、いまだけに目をむけたら
あんがいやっかいなのではないか。
できるやつ、とみなすよりも、
視野のせまさにわたしはいらつくような気がする。
このままではよくない。
徹底的に「いま」ばかりのひとがいたら
わたしはたかく評価しよう、
というのも「いま」じゃないな。

posted by カルピス at 21:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする