2015年10月11日

『ミッドナイト・ラン』ロバート・デ・ニーロの小市民ぶりがうまい

『ミッドナイト・ラン』
(マーティン=ブレスト監督1988年 アメリカ)

ロバート・デ・ニーロというと、
圧倒的な存在感から、ピリピリした役がおおいけれど、
この作品のデ・ニーロはふつうのおじさんだ。
元シカゴの警官で、いまは保釈金のサラ金みたいなところの
ハンパな仕事にありつきながら、なんとかくいつないでいる。
そんなデ・ニーロに、10万ドルのおおきな仕事がもちかけられた。
この仕事をかたづけ、手にした金をもとに 喫茶店をひらいて
この業界から足をあらうのが 彼のささやかなねがいだ。
おめあての会計士デュークをニューヨークでみつけ、
ロサンゼルスにもどるまでのロードムービーがはじまった。
スピードのある展開と、おしゃれな会話、
それにちからのぬけた演技でたのしませる。
B級映画の傑作だ。

なんといってもこの作品のキモは、
かるさとトホホ感にある。
おっかけるほうも、おわれる側も
警察もマフィアも、
だれもがみんなすこしずつぬけている。
それぞれが おなじ失敗のパターンをくりかえす。
セリフもくりかえしがおおい。
そのどれもが伏線になっていて、
ラストではさいごのピースがピタリとはまる。

たてつづけにタバコをふかし、
ジャンクフードをうまそうにたべるデ・ニーロにたいし、
デュークはまゆをひそめて(そんな顔なのだ)
栄養や健康をアドバイスする。
おもいつきでテキトーなとばをならべるデ・ニーロに、
「ことばに責任をもて」なんていったり。
どうみても犯罪者側のほうがまともなのでおかしい。
喫茶店をひらくデ・ニーロの夢も
リスクがたかすぎるからやめろと、
会計士として忠告している。

デュークは正直ものの会計士かとおもわせて、
偽札調査官にばけたりもできる。
手もちの金がなくなると、おれにまかせろと
デ・ニーロからFBIの手帳をあずかる。
おもむろにバーにはいり、
ことばすくなに事件の重大さをにおわせて、
店のなかをゆっくりあるく。
きゅうにデュークがたちどまると、
うしろについていたデ・ニーロがぶつかった。
おもわず「失礼」とデ・ニーロがあやまる。いいひとなのだ。
即興で捜査官と部下の役にわかれ、
ふたりは息をあわせて偽札調査をすすめる。
バーのレジをひらかせて、
もっともらしくお札の肖像画をけしゴムでこする。
そうして「発見」した偽の20ドル札2枚を、資料としてあつかる。
まだ捜査が気のぬけない段階の雰囲気をただよわせ、
「偽札」がみつかっても あわてずさわがない。
「ご協力に感謝する」としずかに店をあとにする。

FBIのモーズリー警部は、
いかつい顔とトレンチコートで なんだか銭形警部みたいだ。
すごみをきかせようとするけど、
いつもデ・ニーロに一歩さきをこされる。
そもそもモーズリーがデ・ニーロに身分証をすられるという、
ありえないミスがずっと尾をひいて、
FBIはいつもいつも「モーズリー警部」をおっかけることになる。
いくさきざきで「モーズリー警部」がなにかしでかしており、
ほんもののモーズリーはメンツがまるつぶれだ。
もともとあまりおりこうな警部ではなく、
物量にたより ちからずくで解決しようとするのがモーズリー流だ。
何十台ものでっかいアメ車のパトカーが
ピーポーピーポーさわがしくおいかけて、
まるでルパンが得意とするドタバタの世界だ。
数にたよるだけなので、いつもきめてにかける。

旅がふかまるにつれ、
なぜデ・ニーロがシカゴをおわれたのかが
だんだんとあきらかになる。
軽口をたたき、気らくに生きているようにふるまいながら、
自分がどうしてもゆずれないコアな部分をもつ。
そして、デュークもまたそんなひとりだ。
ハードボイルドの世界を、
小市民的な日常感覚でえがく。

ラストがよくできていて、みおわった爽快感がここちいい。
スピードにのっけ、二転三転と状況がかわり、
まさかの結末がまっていた。
プライドをまもると いいことがあるのだ。
デ・ニーロとデュークのふたりに拍手をおくる。

(追記)
作品のなかで、デ・ニーロはやたらとタバコに火をつける。
空港でも列車のレストランでもバスのなかでも。
1980年代は、そんな時代だったのだ。
男がタバコをすうのはあたりまえすぎる当然の行為で、
空港のチェックインするとき、
「喫煙席になさいますか?」とたずねられたときの
「自分でかんがえろ」がただしいセリフにきこえる。

posted by カルピス at 11:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする