『デイリーポータルZ』に
「犬が年を取るということ」という記事がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/151015194814_1.htm
ライターは住正徳さんだ。
住さんの実家の犬が18歳(人間でいうと103歳らしい)になり、
世話がたいへんになってきたという。
ふだんは70歳をこえるお母さんが面倒をみており、
70歳が103歳のお世話をするのだから、
りっぱな老々介護だ。
お母さんが旅行にでかけるあいだ、
住さんがいちにちだけ犬の面倒をみることになった。
犬は痴呆がはじまり、どこにでもおしっこをするし、
フンもねたままだしてしまうので、
よごれがからだにこびりついてしまう。
年老いた犬は、毛づやがなくなり、
たべるとき以外はいちにちじゅうねてすごしている。
犬の世話のために実家にもどった住さんは、
リビングのようすがかわっているの気づく。
ダンボール箱などによる柵がつくられ、
床にはおしっこシートがしきつめられている。
犬はとくに病気をかかえているわけではないけれど、
痴呆がではじめたのと、老化で足がよわり
トイレにいっておしっこやフンができなくなっている。
住さんは老人介護のたいへんさにおどろきながら、
犬がすごした18年間におもいをはせる。
わたしの家のピピ(ネコ)も、老人介護の時期にはいっている。
トイレにいくのが面倒なのか、
ふとんやクッションのうえでおしっこをすまそうとするので、
おひるごろ かならずトイレにつれていかなければならない。
熟睡をじゃまするのはもうしわけないけれど、
ここで気をゆるすと たいていふとんが被害にあう。
ふとんをクリーニングにだすと、3000円以上かかる。
いまではもしもの場合 おしっこをされてもいいように、
おしっこシートを何枚もしいて、
そのうえにバスタオルでクッションをつくっている。
夜中はピピのげんきがもどるときで、
2回くらいわたしをおこし
ごはんやトイレにつきあえともとめる。
ごはんをたべる量がめっきりすくなくなったので、
もうあまりさきがながくないかも、
なんて感傷的になっていたら、
このごろまたたくさんたべだした。
ずいぶんやせて、胸の毛なんてボサボサだけど、
まだとうぶん死ぬつもりはないみたいだ。
ピピのお世話をしながら、
ネコのさいごをみるのでも これだけ手がかかるのだから、
人間はさぞかしたいへんなのだろうと想像する。
意識がしっかりして、からだもうごく母にさえ、
いっしょにすごしていると ついきついいい方をしてしまう。
これで介護をするようになったら、
みるほうも みられるほうも、かなりつらい状況になるだろう。
上野千鶴子さんと古市憲寿さんによる
『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります』(光文社新書)に、
親が脳溢血でたおれた場合、
救急車をよばない選択もある、とかいてあった。
へたに医療につなげると、いまは医療水準がたかいので
たいてい生きのこる。
生きのこるのはいいけど、後遺症をともなうことがおおく、
そのあと長年にわたる介護が必要になる。
死ぬまでにはなんども発作がおきて
本人もまわりもたいへんだ。
80をすぎた老人の場合、
救急車をよぶのが かならずしも正解とはかぎらない。
わたしはピピの死を覚悟している。
きゅうなおわかれではなくて、
介護する時間をもてたので、こころの準備ができた。
いよいようごけなくなったら、
病院にかけこまず、このまま家でみとりたい。
ピピのさいごにつきそいながら、親の介護をおもう。
わたしは救急車をよぶだろうか。