劇団ハタチ族を応援しようと、月に1回は
となり町のチェリヴァホールへでかけている。
今月は、ハタチ族のサイトでファンがすすめていた
『鈴虫だいすき、興梠さん』の公演をえらぶ。
ハタチ族の代表である西藤さんが、ひとりでうけもつ日だ。
ひとり芝居のせいか、チケット代は500円だった。
きのうの朝日新聞に、ハタチ族を紹介する記事がのったので、
お客さんがおおいかとおもったけど、いつもとかわらない12人。
全員がお得意さんのようで、
西藤さんのうごきにこまかく反応し、よくわらっていた。
カメラをかまえているひとがいる。
このひとは、たしかまえにもいっしょになった。
月にいちどのわたしと顔をあわせるということは、
かなり熱心なファンなのだろう。
西藤さんがえんじるのは、興梠さんという老人だ。
鈴虫がすきな興梠さんは、これまでないたことがない。
それだけこころがつよいというよりも、
いつなけばいいのかわからないからだ。
興梠さんは、そもそもなき方もわからないまま
老人になってしまった。
そう。これは鳴くと泣くをかけたはなしだ。
でもまあ、いってみればただそれだけで、
とくにクライマックスはない。
もしかしたら、行間に意味がこめられているのかもしれないが、
わたしはみていてすこしつらかった。
いまおもえば、はじめてみた「ハタチ族」である『劇団入門』が、
いちばん演劇らしい題目だった。
いまの劇団ハタチ族は、まだひきだしがおおくない。
西藤さんがひとりでうけもつ日をいれないと、
365日連続公演を、つづけるだけの体力がない。
そのいたらなさをうけいれながら、
ハタチ族がちからをつけてほしいと応援している。
イスにすわって舞台をみていると、
うしろのほうからテレビの音がきこえてくる。
鈴虫の音色をきこうか、というくらい
しずかさがほしい場面なのに、
きこえてくるのがおわらい番組のざわつきなので、
かなりトホホな気分になる。
ロビーとおなじ階にある軽食店から
音がもれてくるようだ。
しずかな場面をえんじている西藤さんに失礼だし、
客としてもたのしくはない。
こんながっかりの環境で、ハタチ族はスタートしたのだ。
『100円の恋』で、ボクシングジムにはられていた
「ハングリー・アングリー」のパネルをおもいだす。
劇団ハタチ族にも、ハングリーとアングリーがあるはずだ。
ひとり芝居でのりきろうとした夜、
雑音に演技をじゃまされた残念な体験を
わすれてほしくない。