『勝手に!文庫解説』(北上次郎・集英社文庫)
『勝手に!文庫解説』をペラペラっとめくる。
この本は、たのまれたわけでもないのに、
北上さんが「勝手に」かいた文庫本の解説をあつめたものだ。
たいていの文庫本には、いちばんうしろに
「あとがき」や「解説」がついていて、
本文をよみおえたあとの余韻をたのしめる。
内容がおもしろかったら、
その本のことをもっとしりたいし、
つまらなかったなら つまらなかったで、
いったいこの本のどこがいいのかと、
ちゃんとした説明がほしい。
「解説」からよむひともおおいようで、
いい解説をつけると発行部数がのびるそうだ。
なんだかんだいって、わたしは解説をたのしみにしている。
メインディッシュのあとのデザートだろうか。
北上さんは文庫の解説をかくのが だいすきだといい、
この本におさめられた解説のなかには、
文庫本としてすでに発売され、
解説がちゃんとついているものもある。
つまり、出版社から注文をうけてかいた解説だけでなく、
その本についてひとこといわせろと、
北上さんが「勝手に」かいたものをふくむ。
ほかのひとがかいた解説に不満だから、
北上さんが異議もうしたてをしたのではなく、
「おれにも書かせろ、というニュアンスにすぎない」そうだ。
「勝手に」のタイトルは、まさにその意味からつけられている。
たのまれもしないのに「勝手に」かく自由さがいいかんじだ。
『凸凹デイズ』(山本幸久・文春文庫)には、
三浦しをんさんが解説をよせている。
北上さんはこの解説を「素晴らしい」と評価しつつも
『凸凹デイズ』の解説を「勝手に」かいた。
しをんさんは、「なぜ働くのか」について、
「ひとは、だれかとつながっていたい生き物だから」
では、と仮設をたてる。
『凸凹デイズ』の帯には
「恋愛じゃなくて、友情じゃなくて、仕事仲間。」
というコピーがつけられている。
この本がでた当時、会社をやめ、
ひとりで家にいた北上さんは、
このコピーが胸にしみたそうだ。
「もう恋愛はいらないし、友情もいらないが、
しかししかし仕事仲間は欲しいのである。」
わたしは、仕事をやりだすと
すぐなまけたくなって文句をいうくせに、
『凸凹デイズ』みたいなお仕事小説がだいすきだ。
主人公とそこのスタッフたちが、なにかを目的に
仕事づけで事務所にこもっている、みたいな場面によわい。
自分にないものをもとめる典型にちがいない。
しをんさんの「だれかとつながりたいから」は、
いいところをついているのではないか。
ひとといっしょに仕事をするのは
けっこうたいへんだけど、
信頼できるメンバーという条件つきで
仲間との仕事はたしかにたのしい。
『凸凹デイズ』には、ちいさなデザイン事務所ではたらく
3人の若者がでてくる。
お金にならない しけた仕事でも、
手をぬかないで最善をつくす。
けんかばかりしている3人に
「だれかとつながりたい?」とたずねたら、
きっとまともなこたえはかえってこないだろう。
でも 3人とも、その事務所で、
仲間といっしょにする仕事に、
なにかをかんじている。
つながり、といってもいいかもしれない。
メンバーのひとりのお母さんが、
ファミレスでパートの仕事をはじめる。
ウェイトレスなんて、それまでにやったことのないのに
だんだんと職場になれてきて、いきいきとはたらいている。
ほんとうに、はたらくとは、なんなのだろう。