『標的の村』(三上智恵監督・2013年)
沖縄の高江にある米軍の訓練場に、
オスプレイのヘリパッド(離着陸帯)がつくられるという。
戦争の訓練には標的が必要であり、
高江村は、まさにその標的として米軍に位置づけられ、
ヘリパッドが村をかこむように計画されていた。
安心してすめなくなる高江村のひとたちは
自分たちのくらしをまもろうと、反対運動にたちあがる。
中心となって運動にとりくむ安次嶺(あしみね)夫妻は
高江村で6人の子どもたちをそだてている。
妻の雪音さんは松江市出身の方で、
朝日新聞の島根版に高江村でのくらしを連載されており、
その記事から今回の上映会をしった。
村のひとたちが防衛局に説明をもとめても
はぐらかされるだけだ。
なにをやってもきいてもらえないから、
しかたなく実力行使としてすわりこみにうったえる。
建設業者が資材をはこびいれ、
防衛局は村のひとを強制的に「排除」しようとする。
おなじ沖縄にすむひとどおしがにくしみあう、かなしい状況。
高江村だけでなく、沖縄にあるすべての米軍基地で
おなじ構図がつくられており、この状況をかえようと、
沖縄県民全体による運動がたかまっている。
おおくのひとたちが普天間基地の封鎖など、
実力行使に参加し、理解をしめすようになった。
オスプレイは、沖縄をあざむきつづけた
政府の象徴だと映画は指摘する。
ひとごとにしかかんじなかった基地問題を、
これだけリアルにしらせてくれた映像ははじめてだ。
防衛局の職員へのいかりがわいてきて、
わたしにはとても高江村のひとたちのように
冷静で気ながなとりくみはできそうにない。
上映のあとで安次嶺雪音さんがおはなしをされた。
運動は9年目にはいり、おこってばかりではつかれてしまうし、
いかりがさきにたつと、いいほうにうごかないので、
このごろはたのしみながらとりくんでいるという。
うたやおどりをとりいれ、
防衛局のひとたちへも、敵としてではなく
自分たちの気もちをていねいにつたえようとする。
雪音さんは、「わたしのこころには希望しかない」といわれる。
これだけたくさんのひとが協力してくれるから、
沖縄はきっと大丈夫だし、
沖縄が大丈夫なら日本も大丈夫で、
日本が大丈夫なら、世界も大丈夫だ。
「くらしをまもりたい」とはじめた反対運動が、
いまでは日本、そして世界の希望とかんじるという。
ありえない状況が沖縄の現状となっているのに、
沖縄以外の場所に、その事実がしられていない。
そのギャップに雪音さんはおどろいている。
沖縄も原発も安保も、根っこはみんなおなじであり、
ひとりひとりが自分にできることをすれば
きっと状況はかえられると 協力をうったえられる。
平和な世界、ヤンバルのゆたかな自然をつぎの世代にのこしたい。
日本をよくするのは、いまを生きるわたしたちにしかできないと
雪音さんはむすばれた。