『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります』
(上野千鶴子・古市憲寿・光文社新書)
団塊の世代の上野さんが、
団塊ジュニアである古市さんの質問にこたえるかたちで
将来の介護についてはなしあう。
老後にはこれだけのお金が必要だ、なんて
不安をあおる記事をよくみかけるけど、
この本はやわなおどしではない。
親にも、自分にも、
これからどんな介護がまっているのか。
親を介護するとはどういうことか。
新聞をよんでいたら、
「65歳以上のお年寄りのうち〜」とかいてあり、
えーっ!とあわててしまった。
わたしもあと10年もたてば「お年寄り」という
あたりまえなことに気づき、うすらさむくなる。
自分ではまったくそんなつもりがなくても、
客観的にみれば65歳は「お年寄り」であり、
いやでもそのカテゴリーに仲間いりする。
介護される側にまわるのだ。
そのときに親がどんな状態か、
親のストックをあてにできるのかなどを、
上野さんがみてきた事例から
これからおこりえる状況がかたられる。
「遺産もらえるかな、なんて思ってもムダです」
「介護の果てに待つ、なんの保障もない老後」
介護保険をつかっても、
すべての介護をひきうけてくれるわけではないし、
お金だってそれなりに必要となる。
親にパラサイトして介護しても、
親が死んでしまえば自分にどんな境遇がまっているか。
介護にくわしいひとなどすくないし、
自分におとずれるはじめての状況なのだから、
老後を不安におもうのはあたりまえだ。
とはいえ、不安だけど なにが不安なのか、
その中身がいまひとつはっきりしない。
不安なのに、問題がさしせまらないとうごかない。
上野さんが提案するのは「老化のソフトランディング」で、
これは国全体のシステムとしてもそうだけど、
それぞれの親子関係についてもいえる。
どうやったら、おだやかに介護をスタートさせ、
無理のないようにつづけられるかを、
いまのうちに家族ではなしあっておいたほうがいいと
上野さんはすすめている。
わたしの家についていえば、同居する母(83歳)と、
1時間ほどはなれた町にいる義理の父(84歳)は
年金と介護サービスでなんとかなりそうだ。
いちばんあやういのは
わずかな年金しかうけとれないわたしのようで、
年金のうえに なにかで収入をうわのせしないと
悲惨な老後がかなりの確率でまっている。
健康なままいられたら、状況はだいぶちがうので、
せっせとからだをうごかし、
ボケないようプログをかく。
お米や野菜をそだてるのも、いくらかは役にたつはずだ。
不安はとくにない。
こわいものみたさで、
10年、20年さきをたのしみにしている。