「姓と名 名乗る順番は?」という記事がのっていた。
英語での自己紹介は、
Yamada Taro かTaro Yamadaか。
まだそんなことをいっているのかとおどろいた。
日本人なのだから、Yamada Taroにきまっている。
もうとっくのむかしに 決着がついているのかとおもっていた
(別の問題として、Taroだと タロウではなくタロだ。
タロウさんはいやじゃないのかな)。
本多勝一さんがなにかの本で、
毛沢東が自己紹介をするときに
「沢東 毛」というわけがない、とかいていた。
日本人だけが姓と名をひっくりかえしたがるのかを
不思議がっていたように記憶している。
わたしも本多さんのかんがえ方に賛成だ。
日本人の場合は、相手がもとめるからというよりも、
はなす側が自分のほうでかってに「名ー姓」とかえてしまう。
自虐的というか、サービス精神にあふれているというか、
理解しにくい心理だ。
外国人が日本語をはなすときでも、
「姓ー名」とかえないのとおなじで、
日本人が英語をはなすときも
日本式のままでいいと わたしはおもう。
記事には
英会話学校Gabaで9年間講師を務める英国人のバーナビー・アルガーさんによると、現在でもほとんどの生徒が「名ー姓」で自己紹介をするそうです。「Taro Yamadaと言った方がナチュラルな印象です。親しい雰囲気をつくりたいのであれば、相手の文化にあわせた方がいいのではないでしょうか」
と、愛国心をくすぐられる意見が紹介されている。
なにが「ナチュラル」だ。
それならイギリス人の名前を日本語にのせるときは、
ぜんぶ「姓ー名」にひっくりかえすのが「ナチュラル」となる。
バーナビー・アルガー氏も、
日本ではもちろんアルガー・バーナビー氏だ。
ちがう文化をしるために外国語をまなぶのはいいけど、
相手の文化にあわせる必要なんてない。