気らくにしてくれることばがいろいろあるなかで、
「あなたがそうおもってるだけ」というのも
かなり上位にくるのではないか。
なにしろそれはあなたの意見にすぎなくて、
わたしとは関係ないと はっきりつきはなしているから、
そこでもうふたりの会話はおわっている。
そのさき建設的なはなしあいになる可能性は
かなりうすい。
たとえばきのうの新聞に、
出口治明氏の『本物の教養』という本の
広告がでていた。
・「自分の頭で考えられる」ことが教養
・謙虚でなければ教養は身につかない
・速読は百害あって一利なし
など、章ごとの項目が紹介してある。
いつものわたしだと、
それらのひとつひとつに感心してしまい、
ひるがえって自分がいかにつまらない人間かと
下をむきがちだけど、
「あなたがそうおもってるだけ」といいかえせば
まったくなんの問題もない。
たいていの発言は、
「あなたがそうおもっているだけ」であり、
ひとつのかんがえ方にすぎない。
(『本物の教養』が、つまらない本といっているのではない。
あくまでも「たとえば」のはなし)。
新書のタイトルで
「◯◯しなさい」「◯◯するな」など
上から目線のものがあると反発したくなる。
断定的で、ひとの意見をとりいれる余地などなさそうだ。
「あなたがそうおもってるだけ」と、
わたしはいつもあいの手をいれる。
村上春樹さんは
「そういうものだ」と「それがどうした」を
「人生における2大キーワード」にあげている
(『村上朝日堂はいほー!』)。
このふたつは、おもに自分にいいきかせるタイプのフレーズで、
いっぽう「あなたが〜」は
相手にいいかえすとき 役だつだろう。
あんまり連発せずに、
お腹のなかでつぶやくだけのほうが
人間関係のためにはいいかもしれない。
とはいえ、もしだれかに「あなたが〜」といわれたとしても、
それほどショックはうけないのではないか。
相手をやりこめるというよりも、かわすときにちからを発揮する。
攻撃よりもうけ身が得意だ。
みかけほど危険な表現ではない。
村上さんは、
こういう考え方に基いて生きていると、気楽に生きていくことはできるけれど、人間的にまず向上しない。(中略)物事にはほどほどというのが必要である。
と注意がきもそえている。
「あなたが〜」も、たしかにその「ほどほど」がむつかしい。