きのうの朝日新聞で、川上未映子さんが
子そだての「イヤイヤ期」に
こころがおれた体験をかたっている。
いうことはきいてくれないし、
かんしゃくをおこすしで、
「素晴らしい贈り物のような3年間だったけど、
こんなしんどい3年間はもうない!って感じです」。
3歳をすぎると子そだてはスッと楽になる。
それまでの3年間は、それほどたいへんな時期だ。
わたしはむすこの子そだてちゅうに、
たまたま発達についての勉強会に参加し、
子どもが成長する過程の知識をえた。
これからどうそだっていくのかのみとおしがもて、
とてもありがたい情報だった。
子そだてがたいへんなのは客観的な事実だけれど、
こころがまえがあるかないかで ずいぶんちがってくる。
子どもたちの成長は、右肩あがりの一直線ではなく、
なだらかな階段をのぼるときのように
いち段ごとにしばらくの停滞期間がある。
そのたいらな時期に子どもたちはちからをつけて、
つぎの段階にすすんでゆく。
そのいくつかの段差は「発達のふしめ」とよばれていて、
あたらしいちからを獲得していく過程で
どうしてもくぐりぬけなければならない
ポイントとなっている。
ひとりでやらないと気がすまない時期があるし、
なんにでも「イヤ」と、
とにかくいうことをきかないときもある。
そんなとき、親が手つだおうとしたり、
理屈でわからせようとしても子どもにはつうじないので、
おとなからは「わがままな子」「あつかいにくい子」にうつる。
いずれもつぎの段階にすすむにあたり必要なちからであり、
それがなければあたらしいステージにたてない。
というようなことを、情報としてしっていたので、
あまり子そだてにイライラせずにすんだようにおもう。
それぐらいのことは、いまでは常識なのだろうか。
わたしの場合、説明してくれたひとのうまさに
すくわれたのかもしれない。
川上未映子さんは、「イヤイヤ期」として
ふしめをとらえながらも、
なおこころがおれるぐらいだから、
おさない子とむきあうのは ほんとうにたいへんだ。
子どもによって こだわりのつよさに差があるとはいえ、
夜中になんどもおこされ、おおなきされれば、
だれだってへとへとになる。
そんなときに、かならずとおらなければならない
発達のふしめとうけとめられたら
気もちがずいぶん楽になるのではないか。
おとながすることすべてにかかわろうとしてきたり、
とりあえず「イヤ」という時期がくると、
これがあのふしめなのかと、
あんがい余裕をもってうけいれられる。
こまかくて正確な知識でなくても、
「発達のふしめ」というものがあると、
おおざっぱにしっているだけでいい。
ささやかな知識だけど
わたしにはとてもありがたい勉強会だった。