『ザ・ロード』(ジョン=ヒルコート監督・2009年・アメリカ)
コーマック=マッカーシーの原作が、
どう映像化されただろうか。
原作では、なんの説明もないまま、
親子がいきものの死にたえた世界をあるきまわる。
つめたい雨や雪のなかを こごえそうになりながら
ただひたすら南へむかう旅をつづける。
つかれはて、たべものも もうすぐなくなりそうだ。
よみながら あまりのつらさに、
もうかんべんしてくれといいたくなる。
もうすこしシェルターをみつけるのがおそくなり、
ひといきつけなかったら、
ふたりとも死んでいたにちがいない。
ギリギリで、希望のない旅だ。
映画は、原作をほぼ忠実になぞっている。
それほどさむさが強調されていないせいか、
あるいは ふたりともあまりやせほそっていないからか、
あまりお腹をすかせているようにはみえない。
シェルターにめぐりあえたのは、
ほし草の山からハリをみつけたような
ありえないほどの幸運だったはずなのに、
映画をみていると よくあるできごとにみえる。
よく健闘したといえるけど、
原作ほどの絶望的な世界を 映画は表現できなかった。
男は、まだ妻といっしょにくらしていた
かつての生活を ときどきおもいだす。
彼女はかわりはてた世界に絶望し、
生きる道をえらばなかった。
彼にしても、むすこがいなければ
とてもまえにむかえなかっただろう。
さいわいむすこはやさしい少年にそだった。
「善き人」の存在をむすこはしんじ、
善き人を希望としてふたりは南へむかう。
そんな絶望的な状況のなか、
よわっていた父親がとうとう死んでしまう。
ひとりになるのがどれだけつらくても、
少年は生きつづけなければならない。
生きつづけろと、父親はむすこにいいきかせてきた。
少年が父親にたいしてできるのは、生きることだけだ。
父親の死といれかわるようにわかい男があらわれて、
少年についてこいという。
「あなたは善き人?」と少年がたずねると、
「そうだ」と、その男がこたえたからだ。
サッカー選手のロナウジーニョに似ていて、
あまり誠実そうにはみえなかったけど、
少年はついていこうときめる。
少年は、男の家族と合流する。
子どもがふたりに犬もいた。
自分がうけいれられた少年は直感する。
善き人とめぐりあえて ほんとうによかった。
これほどおもい内容なのに、
みおわったあとで希望をかんじるのだから、
映画化は成功したといえるかもしれない。