『ダンスがすんだ』(フジモトマサル・新潮社)
奇書といっていいだろう。
回文による一冊。回文だけの文章。
ただ回文をあつめて本にしたのではなく、
回文によってストーリーがかたられている。
でありながら、フジモトさんの絵がなければ
ストーリーがまったく機能しないところも
奇書たるゆえんだ。
絵と回文をあわせた、
みごとなバランスによって本書はなりたっている。
この本を手にしたとき、
わたしは『ハートブレイク・カフェ』をよみおえたばかりだった。
どっぷり「近日オープンカフェ」につかっていたので、
すぐにまったくちがう小説にはむかえそうになく、
でもなにか本をよむたのしさの余韻にひたりたかった。
そんなときにこの『ダンスがすんだ』はぴったりだ。
でてくるひとたち(ネコたちも)は、
みんななにやらカゲがありそうなハードボイルドの世界。
だれもが自分なりのスタイルでとてもやさしい。
フジモトさんの絵は、
『村上さんのところ』ではじめて目にした。
この本では、なんといっても全身で人情味をかんじさせる
ネコたちがすばらしいけれど、
もうひとりお医者さんの奥さんに
助演女優賞的な魅力がある。
わたしは彼女の繊細な表情にまいってしまった。
お医者さんは彼女のもとにかえってくるだろうか。
たくさんの回文を目にすると、
かんたんに回文ができるような気がしてくるけど、
ためしにつくろうとしても まったく歯がたたない。
回文って、日本語だからできるあそびだろうか。
ネットをみると、英語でも回文があるようで、
日本語よりもつくるのがむつかしそうだ。
この本をよんだあとには、
目にはいる文章のおおくが回文におもえ
いちいちたしかめるようになる。
オビも回文だし、「おわりに」も回文まじりだ。
一冊まるごと回文をたのしみながら、
あくまでもフジモトさんの絵でなければ
この本はなりたたないところがすごい。
ネコたちがあつまって、
仲間の死をいたむ絵には、
お墓に「2018〜2034」とほられている。
死ぬ直前まで肉体労働にたずさわっていたとすると
享年16歳は、ネコとしてたいした大往生だといえる。
ということはまあいいとして、
いまが2034年というからには、
このものがたりは未来をかたっているわけで、
そのわりにはいまの世界と
たいしてかわらないようすがえがかれている。
世界は物質的に もう煮つまっており、
このさきは それぞれが内面にかかえる闇で
勝負する時代となるのだ。
回文のひとつもつくれないようでは、
2034年の世界で生きのこれない。