2015年11月24日

「本塚」をめぐる記事に 大里をなつかしむ

「デイリーポータルZ」に
中国の大里(だいり)をとりあげた記事がのっていた。
http://portal.nifty.com/kiji/151120195111_1.htm
大里は雲南省にあるちいさな町だ。
いぜんは日本人旅行者がたくさんおとずれたのに、
いまはほとんど日本人がいかない町になっているそうだ。
ライスマウンテン氏によるこの記事は、
旅行者がのこしていった本のあつまりを「本塚」と名づけ、
いぜんのにぎわいと、いまの大里とのギャップを報告している。
古代人がのこした貝の山を「貝塚」というように、
残骸となった日本語の本は、
かつてそこに日本人があつまった遺跡だから「本塚」なのだ。

本塚にはどんな本がのこされているだろう。
旅行者が 荷物になるのにあえて本をもっていくわけだから、
えりすぐりの大切な本があつまっているかというと、
ぜんぜんそうではない。
いくら日本語にうえていても、
手にとる気さえおこらないタイトルがおおい。
もっとも、だからこその本塚ともいえる。
栄枯盛衰のことわりが、本塚からよみとれる。
本塚は、いわば死んだ本のあつまりだ。
本棚はやはり活発な本のではいりがないと
ふるくさいだけのゴミ箱になってしまう。

それにしても、大里はなぜ
日本人旅行者のいない町になってしまったのだろう。
記事によると、中国人観光客がふえたかわりに
日本人だけでなく外国人旅行者がいなくなったという。
旅行地には、はやりすたりがあるとはいえ、
ここまで徹底的に旅行者からそっぽをむかれるのは
ただごとではない。
なにか事情があったのかもしれないし、
理由がないのに ガラッとかわったとしたら
どうしようもないぶん それもまたおそろしい。

わたしは1987年に大里をたずねたことがある。
記事にもあるように、こぢんまりとして
すごしやすい町だった。
大里は洱海という湖にめんしており、
そこを一周するサイクリングにでかけると、
土地のひとがあつまるちいさな市場を見学できた。
いかにもいなかにきている気分にしてくれるので、
当時の旅行者には人気のある町だった。
大里についたとき、外国人むけの宿(招待所)で
ドミトリーを希望したら、
日本人の女の子4人がはいっている部屋をあてがわれた。
男はわたしひとりだけだ。
「ラッキー!」とよろこぶほどわたしはスレておらず、
きがえのときなどは ねたふりをしてしのいだのをおぼえている。
4人のうちのひとりと、それをきっかけになかよくなり・・・
という展開はなく、
日本にかえってからいちど 手紙がとどいただけだ。
大里というと、女の子にかこまれてすごした ドミトリーをおもいだす。

posted by カルピス at 16:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする