『荒野へ』(ジョン=クラカワー・集英社文庫)
臨時の仕事として利用者の方とおとまりする。
グループホームではなく、
おとまりの体験や、緊急時にとまるための家があり、
そこをつかっての1泊だ。
グループホームなら、5人以上が生活するので、
なにかと仕事がおおいだろうが、
きのうの場合は1対1でのつきそいなので
あまりすることがない。
夕食をおえ、お風呂にはいれば
あとはねる時間をまつだけだ。
夜9時にはすっかりしずかになり、
わたしのまえには膨大な時間が 手つかずでのこされた。
ふだん家にいるときは、9時になっても
なんだかんだすることがあり、
ズルズルと夜ふかししてしまうのに、
この日の夜は 完全にからっぽの時間だ。
ネットもなく、テレビもつけないし、お酒をのまなければ
夜はこんなにもながい。
なかでもネットがいちばん時間をうばう。
わたしはフェイスブックとツイッターをしていないのに
こんな感想をもつのだから、
スマホ依存症のひとが おもいがけず IT断食を体験したら
きっとあまりの空白におどろくだろう。
時間をもてあましたときのために、
数冊の本をもってきていた。
よみかけの『荒野へ』(ジョン=クラカワー)をとりだして
ふとんにねそべってよむ。
アレックスはなぜ 両親・お金・地位・名声を否定して
アラスカの荒野へはいったのか。
この本は、あっちこっちにはなしがとぶので集中しずらい。
著者は、アレックスがとったような無謀とおもえる行為を、
おおくの若者にみられる共通の熱狂として位置づけようと
このような構成にしたのだろう。
それにしても もうすこし彼のうごきに
焦点をしぼってくれたほうが
アレックス的な心理にせまれたのではないか。
アラスカは、アレックスにとっておおきな夢ではあったけど、
最終的な目的地というわけではなかった。
生きてアラスカからもどったとしたら、
彼はどんな生きかたをのこしただろう。
アレックスは、旅さきでであった80歳をこえた老人に、
保守的な価値観にとらわれない
つつましいくらしのすばらしさをとき、
ライフスタイルをかえるよう すすめている。
そして老人は実行にうつそうと旅にでた。
アレックスの言動は、
それだけひとをひきつけるちからがあったのだろう。
わたしの人生のおわりも、中古車に荷物をつんで、
移動しながらの生活になるような気がしてきた。
そとからみたら、それはホームレスのひとかもしれない。