朝日新聞の投書欄に
「日本の女性が力持ちで驚く」
という中国人留学生の記事がのった。
日本語学校にかよう20歳の女性による感想だ。
この方は、通学のときに
子ども2人を自転車にのせている女性をみかけ、
「そんな力持ちの女性たちを初めて見ました」
とおどろいている。
つづけて
「私の国ではほとんどの人は自転車に乗りません。
その代わり自動車やタクシーが普段の交通手段」
とある。
さいごに
「国の支援や環境保護の意志が日本女性の力の源だと思います」
とむすんでいる。
自転車に子どもをたくさんのせて
たくましくペダルをこぐ風景は、
中国こそ発祥の地かとおもっていたのに、
まさかこんなふうにおどろかれるなんて、
こっちがおどろいた。
むかしの日本人が中国のひとをみていたのと
立場がかんぜんに逆転している。
この方は、まちがった情報をつたえようとしているのではなく、
中国には ほんとうにそんな感覚でくらしているひともいるのだろう。
それにしても、
「私の国ではほとんどの人は自転車に乗りません。
その代わり自動車やタクシーが普段の交通手段」
こんなふうにきっぱりいわれるとタジタジとなる。
この方が特にお金もちのあつまる地区でそだったのか、
いまはこれが中国の常識なのか。
自分ではふつうだとおもっていることが、
外国のひとからみるとめずらしい、
というのとは、すこしちがうような気がする。
わたしがイメージする中国と、
この方のなはす中国はまったくちがう国のようだ。
どれだけの日本人女性が 環境保護をねがって
自転車に子どもをのせているのかも しりたくなった。
わたしの状況認識はふるすぎて、
この女性の観察がただしいのかもしれない。
外国のひとにとって、日本はほかの国とちがう原理で
ひとびとがうごいているようにみえるのかもしれない。
この方は、日本人男性について
ひとこともかたっていない。
「力持ち」なのは、女性だけだ。
自分の国の女性とくらべたときに、
日本の特徴として ちからづよい女性の姿が目にはいるのだろう。
たくましい代表かとおもっていた中国人女性からみても
日本人女性がおどろくべき存在とは、
日本人男性であるわたしには 気づきにくいとらえかただ。
クールだとおもって日本をみるからクールなのか、
客観的にみてほんとにそういえるのか、
20歳の女性が素直にかたった日本の印象におどろかされた。
2015年12月31日
2015年12月30日
冬ごもりの準備
お正月やすみにはたっぷり本をよもうと、
2つの図書館で5冊ずつ本をかりた。
エッセイ以外では、
・『魔弾』(スティーブン=ハンター)
・『死のドレスを花婿に』(ルメートル)
・『鳩の撃退法(上・下)』(佐藤正午)
・『ダーティホワイトボーイズ』(スティーブン=ハンター)
・『ビート・オブ・ハート』(ビリー=レッツ)
・『稲作の起源・伝来と”海上の道”(上・下)』
『ダーティホワイトボーイズ』なんて 700ページ以上もある。
これからまだ本屋さんにもいって
ことしさいごのかいものをしなければ
安心して年をこせないし。
そもそもいまよみかけのぶあつい本が2冊あり、
それをかたづけないと図書館の本にうつれない。
DVDも数本かりて、なんておもってたけど、
とてもそんな状況ではなくなった。
本にじっくりむきあった年として、
記憶にのこる冬やすみにしたい。
イメージとしては、いごこちのいい部屋に
たくさんの本をかかえて
さむい冬をのりきる冬眠みたいなかんじだ。
本は問題なくそろっているので、
あとはどれだけおちついて本にむきあえるか。
今年の冬は、窓にはる断熱シートと湯たんぽに期待している。
断熱シートは、
「3層シート約4ミリの空気層でW省エネ効果」
とあるので どんな商品かとおもったら、
まるで荷物をくるむプチプチシートだった。
ガラスにシートをはって、外のつめたさをふせぐ。
ベッドにすがって本をよんでいると、
首すじや背中がスースーしてくるので、
この「W省エネ効果」によって本に集中できそう。
湯たんぽは、ほんとうにすぐれた発明品だとおもう。
わたしの湯たんぽは、ホームセンターで500円くらいなのに、
その効果は絶大で、いつからか手ばなせなくなった。
ねるときだけでなく、机にむかうときでも
足元に湯たんぽがあると すごくあたたかい。
湯たんぽなんていうと、原始的な暖房におもえるけど、
いちどつかってみると そのすごさがわかる。
あついお湯をいれるだけで、
5時間はじゅうぶんあたたかくすごせるのだから
エアコンをつける時間がずいぶんすくなくなった。
わたしがもし金正恩氏なら、側近にきびしくめいじて
全国民に湯たんぽをプレゼントするだろう。
お正月やすみだけでは無理にしても、
2週間の貸出期間にはなんとかよみおえられるよう
しっかり湯たんぽにはたらいてもらいたい。
2つの図書館で5冊ずつ本をかりた。
エッセイ以外では、
・『魔弾』(スティーブン=ハンター)
・『死のドレスを花婿に』(ルメートル)
・『鳩の撃退法(上・下)』(佐藤正午)
・『ダーティホワイトボーイズ』(スティーブン=ハンター)
・『ビート・オブ・ハート』(ビリー=レッツ)
・『稲作の起源・伝来と”海上の道”(上・下)』
『ダーティホワイトボーイズ』なんて 700ページ以上もある。
これからまだ本屋さんにもいって
ことしさいごのかいものをしなければ
安心して年をこせないし。
そもそもいまよみかけのぶあつい本が2冊あり、
それをかたづけないと図書館の本にうつれない。
DVDも数本かりて、なんておもってたけど、
とてもそんな状況ではなくなった。
本にじっくりむきあった年として、
記憶にのこる冬やすみにしたい。
イメージとしては、いごこちのいい部屋に
たくさんの本をかかえて
さむい冬をのりきる冬眠みたいなかんじだ。
本は問題なくそろっているので、
あとはどれだけおちついて本にむきあえるか。
今年の冬は、窓にはる断熱シートと湯たんぽに期待している。
断熱シートは、
「3層シート約4ミリの空気層でW省エネ効果」
とあるので どんな商品かとおもったら、
まるで荷物をくるむプチプチシートだった。
ガラスにシートをはって、外のつめたさをふせぐ。
ベッドにすがって本をよんでいると、
首すじや背中がスースーしてくるので、
この「W省エネ効果」によって本に集中できそう。
湯たんぽは、ほんとうにすぐれた発明品だとおもう。
わたしの湯たんぽは、ホームセンターで500円くらいなのに、
その効果は絶大で、いつからか手ばなせなくなった。
ねるときだけでなく、机にむかうときでも
足元に湯たんぽがあると すごくあたたかい。
湯たんぽなんていうと、原始的な暖房におもえるけど、
いちどつかってみると そのすごさがわかる。
あついお湯をいれるだけで、
5時間はじゅうぶんあたたかくすごせるのだから
エアコンをつける時間がずいぶんすくなくなった。
わたしがもし金正恩氏なら、側近にきびしくめいじて
全国民に湯たんぽをプレゼントするだろう。
お正月やすみだけでは無理にしても、
2週間の貸出期間にはなんとかよみおえられるよう
しっかり湯たんぽにはたらいてもらいたい。
2015年12月29日
リーディンググラス
3年まえから老眼鏡をつかうようになり、
はじめはときどきだったのが、
そのうち文字をよむときには メガネがかかせなくなった。
3年間で、老眼がどんどんすすんだわけではないけれど、
このごろは ちいさな文字、たとえば ふるい文庫本なんかだと
すぐに目がつかれてしまい、読書にならない。
高齢者の割合がふえたためか、
新聞や、本の活字は以前よりもおおきくなっている。
老眼になったわたしにはたすかるものの、
すこしまえにつくられた本は どうしようもない。
ふるい文庫本は、1行に42〜43以上の活字がつめこまれており、
これぐらいこまかな字になると、
はじめにつくった老眼鏡では
すぐに目がつかれ、頭がいたくなってくる。
いまの文庫本は、1行に38〜39文字とすこしおおきめで、
このほんのすこしの差が老眼にはこたえる。
読書用にあたらしいメガネをつくるまえに、
きょねんホームセンターでかったメガネをつけてみた。
老眼鏡がなくなった緊急時のために 用意したものだ。
度がきつすぎるため、ふつうに文字をよむときに
このメガネをかけると、みえすぎてつかれてしまう。
一時しのぎだから、それでもいいやと、1000円ほどでかった。
ためしてみると、読書用にはこのメガネがぴったりだった。
ほかの場面ではつかえない。
純粋に読書のためだけのメガネだ。
つよい近眼の宮崎駿さんが、
身のまわり用、仕事用、読書用など、
5つものメガネをつかいわけるのが、
すごくめんどくさいとかいていた。
わかいころのわたしにはピンとこなかったけど、
ひとつの老眼鏡だけでは用をはたせなくなり、
読書に特化したメガネが必要になると
宮崎さんのいうことがよくわかる。
わたしは近眼がなかったので、
まさか自分が2つのメガネをつかうようになるなんて
おもってもみなかった。
老眼鏡は、英語でいうとリーディンググラスだ。
わたしはできるだけ英語をつかわない主義だけど、
メガネだけは老眼鏡よりも
リーディンググラスとよびたくなる。
「老眼鏡」なんて、ふとっているひとを「デブ」というみたいな、
マイナス面を強調する無神経なことばではないか。
酒井順子さんの『儒教と負け犬』(講談社)によると、
負け犬のことを韓国語で「老処女」、
中国語では「余女」というらしい。
あまりにも露骨な表現に、
当事者でないわたしでさえ 胸がいたくなる。
老眼鏡というよび名には、
老処女にもにた、人間疎外の発想がみえる。
これからわたしは本来的な意味あいにおいて
老眼鏡ではなく、リーディンググラスとよぶことにする。
老後の読書としてためこんでいるふるい文庫本が、
老眼のすすんだわたしには 宝の山になっていた。
ブックスキャンにだして、タブレットでよむのが理想的だけど、
めんどくさくて なかなか腰があがらない。
メガネの度をつよくするという、いちばんかんたんな方法で、
かなりの程度こまかな活字にたえられるのがわかった。
もうしばらくはタブレットではなく、このまま本のかたちで
ふるい本がたのしめる。
読書に特化したメガネをかけ、
ねるまえの本として
『夢果つる街』(トレヴェニアン・角川文庫)をひっぱりだす。
この本をよみだすまでは、
目がつかれるほどの こまかな活字の本をさけてきた。
『おすすめ文庫王国』で50代の読書にすすめてあり、
わたしにとって大切な本になるかもしれないので
なんとかよみたいとおもった。
度のあったメガネなら、目や頭がつかれずに
いままでどおりに活字をおえる。
2つ目のメガネはめんどくさいけど、
おかげで自由な読書をとりもどせた。
50代にすすめられた本がきっかけで、メガネの度をあわすのは
これでいいような、なんだか腑におちないような。
はじめはときどきだったのが、
そのうち文字をよむときには メガネがかかせなくなった。
3年間で、老眼がどんどんすすんだわけではないけれど、
このごろは ちいさな文字、たとえば ふるい文庫本なんかだと
すぐに目がつかれてしまい、読書にならない。
高齢者の割合がふえたためか、
新聞や、本の活字は以前よりもおおきくなっている。
老眼になったわたしにはたすかるものの、
すこしまえにつくられた本は どうしようもない。
ふるい文庫本は、1行に42〜43以上の活字がつめこまれており、
これぐらいこまかな字になると、
はじめにつくった老眼鏡では
すぐに目がつかれ、頭がいたくなってくる。
いまの文庫本は、1行に38〜39文字とすこしおおきめで、
このほんのすこしの差が老眼にはこたえる。
読書用にあたらしいメガネをつくるまえに、
きょねんホームセンターでかったメガネをつけてみた。
老眼鏡がなくなった緊急時のために 用意したものだ。
度がきつすぎるため、ふつうに文字をよむときに
このメガネをかけると、みえすぎてつかれてしまう。
一時しのぎだから、それでもいいやと、1000円ほどでかった。
ためしてみると、読書用にはこのメガネがぴったりだった。
ほかの場面ではつかえない。
純粋に読書のためだけのメガネだ。
つよい近眼の宮崎駿さんが、
身のまわり用、仕事用、読書用など、
5つものメガネをつかいわけるのが、
すごくめんどくさいとかいていた。
わかいころのわたしにはピンとこなかったけど、
ひとつの老眼鏡だけでは用をはたせなくなり、
読書に特化したメガネが必要になると
宮崎さんのいうことがよくわかる。
わたしは近眼がなかったので、
まさか自分が2つのメガネをつかうようになるなんて
おもってもみなかった。
老眼鏡は、英語でいうとリーディンググラスだ。
わたしはできるだけ英語をつかわない主義だけど、
メガネだけは老眼鏡よりも
リーディンググラスとよびたくなる。
「老眼鏡」なんて、ふとっているひとを「デブ」というみたいな、
マイナス面を強調する無神経なことばではないか。
酒井順子さんの『儒教と負け犬』(講談社)によると、
負け犬のことを韓国語で「老処女」、
中国語では「余女」というらしい。
あまりにも露骨な表現に、
当事者でないわたしでさえ 胸がいたくなる。
老眼鏡というよび名には、
老処女にもにた、人間疎外の発想がみえる。
これからわたしは本来的な意味あいにおいて
老眼鏡ではなく、リーディンググラスとよぶことにする。
老後の読書としてためこんでいるふるい文庫本が、
老眼のすすんだわたしには 宝の山になっていた。
ブックスキャンにだして、タブレットでよむのが理想的だけど、
めんどくさくて なかなか腰があがらない。
メガネの度をつよくするという、いちばんかんたんな方法で、
かなりの程度こまかな活字にたえられるのがわかった。
もうしばらくはタブレットではなく、このまま本のかたちで
ふるい本がたのしめる。
読書に特化したメガネをかけ、
ねるまえの本として
『夢果つる街』(トレヴェニアン・角川文庫)をひっぱりだす。
この本をよみだすまでは、
目がつかれるほどの こまかな活字の本をさけてきた。
『おすすめ文庫王国』で50代の読書にすすめてあり、
わたしにとって大切な本になるかもしれないので
なんとかよみたいとおもった。
度のあったメガネなら、目や頭がつかれずに
いままでどおりに活字をおえる。
2つ目のメガネはめんどくさいけど、
おかげで自由な読書をとりもどせた。
50代にすすめられた本がきっかけで、メガネの度をあわすのは
これでいいような、なんだか腑におちないような。
2015年12月28日
軟弱なおでかけも、妄想でタフな旅行者
介護保険にはなくて
障害者だけにむけられたサービスとして、移動支援がある。
ヘルパーが利用者ひとりにマンツーマンでつきそい、
おでかけの手だすけをする。
ひとは、生きてるだけで満足できるわけではなく、
なんらかのこころのときめきが必要だ。
余暇が充実していてこそ、生活がたのしいのだから、
必要なひとのために、こうしたサービスが用意されている。
きのうわたしがいっしょにおでかけをしたひとは、
あるいて町をまわるのが すきなひとだった。
そのひとの家からショッピングセンターまで、
90分ほどひたすらあるく。
小雨まじりのお天気で、風もあり、
おでかけにはたのしくないコンディションだ。
移動支援でなければ、こんな日に
そとをあるいたりしないだろう。
それでもだんだん調子がでてきて
どこまでもこのままいけそうな気になってきた。
さむいなか、雨や風にへこたれずすすむ
タフな旅行者になったつもりだ。
つぎにでかけるであろう
あるく旅行への妄想がふくらむ。
すこしまえの「デイリーポータルZ」に
「お祭りを抜けてコンビニに行くとパラダイス」
という記事があった。
http://portal.nifty.com/kiji/110913147917_1.htm
お祭りはたのしいものの、
屋台にならぶたべものは のきなみたかい。
じゃがバターなんて、じゃがいもにバターをぬっただけなのに
500円もする。
そうしたお祭りの相場を頭にうえつけたうえで、
コンビニにはいると まるでパラダイスみたいにやすい、
という趣旨だ。
そりゃお祭りでうってるものは、
お祭りだからたかいにきまっている。
コンビニの料金とくらべるのがむちゃというものだ。
とはいえ、視点をちょっとずらしただけで、
日常はあっという間に非日常的なパラダイスになると
この記事はおしえてくれる。
軟弱な旅行者であるわたしは、
じっさいにあるく旅行をするほどのガッツはないので、
妄想にたよって「旅」をたのしむ。
雨がふっていて、風もつよいけれど
そんな悪条件にめげないで まえにすすむかっこいいオレ。
じっさいは、雨といってもたいしたふり方ではないし、
風だってそんなにつよくない。
せおってるのは 巨大なリュックではなく、
ほんの3キロほどのデイパックだ。
それでも妄想のおかげで、
わたしはきびしい原野をのしのしすすむ
超人的な旅行者になる。
頭のなかでは冷静にパッキングをかんがえる。
どんな道具をリュックにつめようか。
寝袋とマットは必需品として、
コンロをどうするかでいつもまよう。
コンビニがそこらじゅうにあるのに、
おもい荷物をせおいたくないものの、
自由に火をおこせたら たべるたのしみがます。
本やパソコンはどんな形にしたらかさばらないか。
わたしはおおきなカサをさし、
パーカーやらマフラー、それに手袋で
しっかり防寒しているのに、
わたしがいっしょにおでかけした方は、
最小限の冬服でしかない。
現実にかえると、わたしより、そのひとのほうが
ずっとタフでクールな旅行者にみえる。
わたしがあるく旅行にでかける
「いつか」はやってくるだろうか。
障害者だけにむけられたサービスとして、移動支援がある。
ヘルパーが利用者ひとりにマンツーマンでつきそい、
おでかけの手だすけをする。
ひとは、生きてるだけで満足できるわけではなく、
なんらかのこころのときめきが必要だ。
余暇が充実していてこそ、生活がたのしいのだから、
必要なひとのために、こうしたサービスが用意されている。
きのうわたしがいっしょにおでかけをしたひとは、
あるいて町をまわるのが すきなひとだった。
そのひとの家からショッピングセンターまで、
90分ほどひたすらあるく。
小雨まじりのお天気で、風もあり、
おでかけにはたのしくないコンディションだ。
移動支援でなければ、こんな日に
そとをあるいたりしないだろう。
それでもだんだん調子がでてきて
どこまでもこのままいけそうな気になってきた。
さむいなか、雨や風にへこたれずすすむ
タフな旅行者になったつもりだ。
つぎにでかけるであろう
あるく旅行への妄想がふくらむ。
すこしまえの「デイリーポータルZ」に
「お祭りを抜けてコンビニに行くとパラダイス」
という記事があった。
http://portal.nifty.com/kiji/110913147917_1.htm
お祭りはたのしいものの、
屋台にならぶたべものは のきなみたかい。
じゃがバターなんて、じゃがいもにバターをぬっただけなのに
500円もする。
そうしたお祭りの相場を頭にうえつけたうえで、
コンビニにはいると まるでパラダイスみたいにやすい、
という趣旨だ。
そりゃお祭りでうってるものは、
お祭りだからたかいにきまっている。
コンビニの料金とくらべるのがむちゃというものだ。
とはいえ、視点をちょっとずらしただけで、
日常はあっという間に非日常的なパラダイスになると
この記事はおしえてくれる。
軟弱な旅行者であるわたしは、
じっさいにあるく旅行をするほどのガッツはないので、
妄想にたよって「旅」をたのしむ。
雨がふっていて、風もつよいけれど
そんな悪条件にめげないで まえにすすむかっこいいオレ。
じっさいは、雨といってもたいしたふり方ではないし、
風だってそんなにつよくない。
せおってるのは 巨大なリュックではなく、
ほんの3キロほどのデイパックだ。
それでも妄想のおかげで、
わたしはきびしい原野をのしのしすすむ
超人的な旅行者になる。
頭のなかでは冷静にパッキングをかんがえる。
どんな道具をリュックにつめようか。
寝袋とマットは必需品として、
コンロをどうするかでいつもまよう。
コンビニがそこらじゅうにあるのに、
おもい荷物をせおいたくないものの、
自由に火をおこせたら たべるたのしみがます。
本やパソコンはどんな形にしたらかさばらないか。
わたしはおおきなカサをさし、
パーカーやらマフラー、それに手袋で
しっかり防寒しているのに、
わたしがいっしょにおでかけした方は、
最小限の冬服でしかない。
現実にかえると、わたしより、そのひとのほうが
ずっとタフでクールな旅行者にみえる。
わたしがあるく旅行にでかける
「いつか」はやってくるだろうか。
2015年12月27日
2015年のサッカー界をふりかえって
きのうは天皇杯の準々決勝4試合がおこなわれた。
決勝戦が元旦におこなわれるのだから、
それまでに出場チームをきめるのはあたりまえだけど、
ずいぶん唐突に予選が再開した印象をうける。
チャンピオンシップがあり、
クラブワールドカップでにぎわい、
もう今年のサッカーはおわったような気がしていた。
広島がそのあいだ ずっとテレビにうつりつづけ、
年間の勝者にふさわしい
成熟したチームのつよさをみせつけていた。
2015年は広島の年だった、というまとめをもって
今シーズンのサッカーは、わたしのなかでおわっていた。
もし天皇杯の決勝がおこなわれなくても、
あんがい気づかないひとがおおかったのではないか。
これはあながちわたしのおもいすごしなのではなく、
じっさいに11月22日がリーグ戦の最終節だったので、
チャンピオンシップに関係のなかったチームは、
1ヶ月以上もちゅうぶらりんの状態におかれていたのだ。
そのあいだに澤選手の引退報道があった。
ヨーロッパリーグへとわたる選手たちも話題になった。
サッカー界は、すっかりシーズンオフの雰囲気だったのだ。
おわったとおもっていたサッカーなのに、
天皇杯の予選というかたちで、
ふたたびJ1のチームが顔をそろえたのだから、
なんだかみょうな新鮮さをおぼえた。
みるほうがそうなのだから、
広島以外のチームは精神的なコンディションづくりが
たいへんだったのではないか。
いちど気もちがとぎれると、
からだはなかなかもとにもどらないものだ。
サポーターにしても、いまさらまた応援するのには、
気もちのきりかえがむつかしかっただろう。
いろんな条件がかさなって
こうした日程にしかたなくなったのだろうけど、
ぎくしゃくした年だったという印象はいなめない。
おわったとおもっていた2015年を、
いまさらながらふりかえってみると、
・アジア杯ベスト8どまり
・ハリルホジッチ監督就任(アギーレ監督の解任)
・2シーズン制の実施
・Wカップアジア予選に意外とくるしむ
・東アジア杯で4位とふるわない
・女子Wカップ アメリカに5-3でやぶれ準優勝
・サンフレッチェ広島がJ1で3どめの優勝
・サンフレッチェ広島がクラブワールドカップで3位
・澤穂希選手の引退
・鈴木啓太選手の引退(個人的にすきだったので)
・http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201512150004-spnavi
・http://www.webdoku.jp/column/sugie/2015/10/24/072211.html
日本代表に、あまり関心がむかわなくなったいちねんと
2015年をまとめたい。
ハリルホジッチ監督は、はじめ魔術師のように
はなばなしく登場したものの、
そのうちに エキセントリックで
かわったおじさんへと 評価がおちてくる。
いまの日本代表は、アジアにおいてもぬきんでた存在ではないと、
おおくのファンが危機感をもつ年となった。
来年からはじまるアジア最終予選は
かなりくるしいレースになりそうだ。
決勝戦が元旦におこなわれるのだから、
それまでに出場チームをきめるのはあたりまえだけど、
ずいぶん唐突に予選が再開した印象をうける。
チャンピオンシップがあり、
クラブワールドカップでにぎわい、
もう今年のサッカーはおわったような気がしていた。
広島がそのあいだ ずっとテレビにうつりつづけ、
年間の勝者にふさわしい
成熟したチームのつよさをみせつけていた。
2015年は広島の年だった、というまとめをもって
今シーズンのサッカーは、わたしのなかでおわっていた。
もし天皇杯の決勝がおこなわれなくても、
あんがい気づかないひとがおおかったのではないか。
これはあながちわたしのおもいすごしなのではなく、
じっさいに11月22日がリーグ戦の最終節だったので、
チャンピオンシップに関係のなかったチームは、
1ヶ月以上もちゅうぶらりんの状態におかれていたのだ。
そのあいだに澤選手の引退報道があった。
ヨーロッパリーグへとわたる選手たちも話題になった。
サッカー界は、すっかりシーズンオフの雰囲気だったのだ。
おわったとおもっていたサッカーなのに、
天皇杯の予選というかたちで、
ふたたびJ1のチームが顔をそろえたのだから、
なんだかみょうな新鮮さをおぼえた。
みるほうがそうなのだから、
広島以外のチームは精神的なコンディションづくりが
たいへんだったのではないか。
いちど気もちがとぎれると、
からだはなかなかもとにもどらないものだ。
サポーターにしても、いまさらまた応援するのには、
気もちのきりかえがむつかしかっただろう。
いろんな条件がかさなって
こうした日程にしかたなくなったのだろうけど、
ぎくしゃくした年だったという印象はいなめない。
おわったとおもっていた2015年を、
いまさらながらふりかえってみると、
・アジア杯ベスト8どまり
・ハリルホジッチ監督就任(アギーレ監督の解任)
・2シーズン制の実施
・Wカップアジア予選に意外とくるしむ
・東アジア杯で4位とふるわない
・女子Wカップ アメリカに5-3でやぶれ準優勝
・サンフレッチェ広島がJ1で3どめの優勝
・サンフレッチェ広島がクラブワールドカップで3位
・澤穂希選手の引退
・鈴木啓太選手の引退(個人的にすきだったので)
・http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201512150004-spnavi
・http://www.webdoku.jp/column/sugie/2015/10/24/072211.html
日本代表に、あまり関心がむかわなくなったいちねんと
2015年をまとめたい。
ハリルホジッチ監督は、はじめ魔術師のように
はなばなしく登場したものの、
そのうちに エキセントリックで
かわったおじさんへと 評価がおちてくる。
いまの日本代表は、アジアにおいてもぬきんでた存在ではないと、
おおくのファンが危機感をもつ年となった。
来年からはじまるアジア最終予選は
かなりくるしいレースになりそうだ。
2015年12月26日
めんどくささをおしえてくれたクリスマスケーキのイチゴ
わかいころ、農業研修というかたちで
1年間グループでの生活を体験した。
日中は畑や田んぼでいくつかの仕事にわかれ、
食事はメンバーが交代で15人分ほどをつくり、いっしょにたべる。
わたしはそんなにたくさんの量をつくったことがないので、
はじめはすこしとまどったものの、
あんがいそつなくこなしたようにおもう。
わたしだけでなく、男性のつくるものには
それぞれ個人の特徴があらわれて、たのしめる食事だった。
わたしの記憶では、あんがい女性のほうが
すごい料理をつくったような気がする。
女だからといって料理ができるわけではなく、
料理をつくるうちに だんだんとなれていく。
「女にうまれるのではない。女になるのだ」
というだれかのセリフは料理においてもまた事実だ。
男だろうと女だろうと、つくったことがなければ料理はできず、
つくりながらやり方をおぼえるしかない。
煮こみうどんをつくるときに、
お汁のなかにうどんの乾麺をそのままいれたら、
いつまでもやわらかくならなくて、
ひんしゅくをかった女性がいた。
ミネストローネはパスタをバキバキおって
スープのなかにいれるので、
この女性のつくり方は あながち まちがえではない。
でも、すくなくともうどんの乾麺については、
かならずゆでてからお汁にいれなければならないみたいだ。
メインの料理が煮こみうどんだったので、
かわりに主食となるものがなく、
おなかをすかせたメンバーたちはぶつぶつ文句をいった。
その女性は家庭科の先生の資格をもつひとだったので、
そんなこともしらないのかと、ますますまわりがいいつのる。
家庭科教師の資格なんかをもってると、
できてとうぜんとおもわれるので、なにかとたいへんそうだ。
クリスマスケーキとイチゴのおもいでも、
その女性が教訓としてわたしにのこしてくれた。
クリスマスにみんなでケーキをつくったとき、
てっぺんにイチゴをのせて できあがりとなる。
大切そうにケーキをイチゴでかざった
煮こみうどんの女性は満足そうだ。
でも、そんなにだいじにするものだから、
ひとりの男性が、いたずらでそのイチゴをたべてしまった。
はじめは冗談っぽく抗議していた女性が、
そのうちになきだしてしまい
ジワーっとなみだがあふれてきて、とまらない。
そのイチゴは彼女にとって
それだけ大切な「なにか」だったのだろう。
こういうのを「おんなごころ」というのかもしれない。
男と女の決定的なちがいを、
このイチゴはわたしにしっかりおしえてくれた。
男ならぜったいにわらってすませる場面でも、
女の子にとっては冗談ですまないことがある。
それにしても、イチゴをたべられただけで
おとなの女性がなきだすとは。
いまおもえば、この体験はただのイチゴにおわらず、
わたしの無意識に なにかをうえつけたみたいだ。
あーめんどくさい。
1年間グループでの生活を体験した。
日中は畑や田んぼでいくつかの仕事にわかれ、
食事はメンバーが交代で15人分ほどをつくり、いっしょにたべる。
わたしはそんなにたくさんの量をつくったことがないので、
はじめはすこしとまどったものの、
あんがいそつなくこなしたようにおもう。
わたしだけでなく、男性のつくるものには
それぞれ個人の特徴があらわれて、たのしめる食事だった。
わたしの記憶では、あんがい女性のほうが
すごい料理をつくったような気がする。
女だからといって料理ができるわけではなく、
料理をつくるうちに だんだんとなれていく。
「女にうまれるのではない。女になるのだ」
というだれかのセリフは料理においてもまた事実だ。
男だろうと女だろうと、つくったことがなければ料理はできず、
つくりながらやり方をおぼえるしかない。
煮こみうどんをつくるときに、
お汁のなかにうどんの乾麺をそのままいれたら、
いつまでもやわらかくならなくて、
ひんしゅくをかった女性がいた。
ミネストローネはパスタをバキバキおって
スープのなかにいれるので、
この女性のつくり方は あながち まちがえではない。
でも、すくなくともうどんの乾麺については、
かならずゆでてからお汁にいれなければならないみたいだ。
メインの料理が煮こみうどんだったので、
かわりに主食となるものがなく、
おなかをすかせたメンバーたちはぶつぶつ文句をいった。
その女性は家庭科の先生の資格をもつひとだったので、
そんなこともしらないのかと、ますますまわりがいいつのる。
家庭科教師の資格なんかをもってると、
できてとうぜんとおもわれるので、なにかとたいへんそうだ。
クリスマスケーキとイチゴのおもいでも、
その女性が教訓としてわたしにのこしてくれた。
クリスマスにみんなでケーキをつくったとき、
てっぺんにイチゴをのせて できあがりとなる。
大切そうにケーキをイチゴでかざった
煮こみうどんの女性は満足そうだ。
でも、そんなにだいじにするものだから、
ひとりの男性が、いたずらでそのイチゴをたべてしまった。
はじめは冗談っぽく抗議していた女性が、
そのうちになきだしてしまい
ジワーっとなみだがあふれてきて、とまらない。
そのイチゴは彼女にとって
それだけ大切な「なにか」だったのだろう。
こういうのを「おんなごころ」というのかもしれない。
男と女の決定的なちがいを、
このイチゴはわたしにしっかりおしえてくれた。
男ならぜったいにわらってすませる場面でも、
女の子にとっては冗談ですまないことがある。
それにしても、イチゴをたべられただけで
おとなの女性がなきだすとは。
いまおもえば、この体験はただのイチゴにおわらず、
わたしの無意識に なにかをうえつけたみたいだ。
あーめんどくさい。
2015年12月25日
ジョギングできく「とことん暑苦しい音楽」
ジョギングするときは、iPodにいれたロックをきいている。
わたしは音楽にあかるくないので、以前ラジオでやっていた
『とことん暑苦しい音楽』を参考に、
70曲ほどをユーチューブからiPodにとりこんだ。
この番組は、DJホットマン氏が
「暑苦しい」曲をとことん紹介したものだ。
ほんとは、それがロックなのかジャズなのか、
ポップスなのか あるいはソウルなのか、わたしはよくわからない。
やかましいのがハードロックで、
そうでないのはジャズかな?くらいなとらえ方だ。
なにをきいてもよくわからないわたしにとって、
ぜんぶをごちゃまぜにながしてくれた『とことん暑苦しい』は
ありがたい番組だった。
紹介される曲は、いかにもジョギングむきで、
はしっていると、ホットマン氏の「暑苦しい」声をおもいだす。
はしりながらきくのだから、
はやいテンポの曲ならなんでもいいかというと、
これが意外とむつかしい。
体調によってヘロヘロでしかはしれないときは
(そういうときがおおい)、
ハードな曲は音楽にたきつけられるようで、かえってしんどい。
そんなにあおらないでよ、といじけてしまい、
ダラダラはしりたくなる。
その日の調子によって、ハードロックにするか、
かるいアップテンポの曲にするかを
えらんだほうがいいのだろうけど、
そこまでこまかく編集してないし、体調もつかみにくい。
はしりだしたら調子がでてきた、
なんてときもあるので、どんなタイプの曲がむいているかは
あんがいそのときしだいだ。
ロックでも、たとえば
ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」をきくのと、
おなじ曲を王様が直訳の日本語でうたう「湖上の煙」とでは
だいぶ印象がちがってくる。
へんに意味がわかると、頭が歌詞をおいかけてしまい
はしるのにはじゃまになりがちだ。
こういうのは、はしったりしないで、
じっくりきいたほうがいいようにおもう。
まえに「ランニングむきのクラシック」というのを
ためしたことがあるけど、
どこがランニングにむいているのか
ぜんぜんわからなかった。
わたしにとってクラシックはどこまでもクラシックだ。
かなり上級レベルのランナーでないと、
クラシックをきいたからといって
いい気分ではしれないのではないか。
ジムで自転車をこぐときには、
あんがい落語がぴったりくる。
それだけたいした運動量ではないのだろう。
とまっている状態、というのも
落語にあっているのかもしれない。
そとで自転車にのっているときは、
落語をききたいなんてとてもおもわないのに、
ジムの自転車では耳をかたむけられる。
「およぎながらきけるiPod」が開発されたら
単調な水泳にはありがたいかもしれない。
英語の教材をiPodにいれてためしたことがあるけど、
これはすぐにいらついてきた。
はしっているときに、勉強で頭をつかいたくない。
散歩なんかのゆっくりしたうごきには あっているかもしれない。
わたしがiPodにいれたのは
DJホットマン氏がランダムに紹介したものだから、
曲のながれになんの脈絡もない。
はじめからシャッフルされているようなもので、
iPodからは まったくちがうタイプの曲がつぎつぎにかかる。
「暑苦しい音楽」によるプレイリストは、
ジャンルをこえた ひろい音楽の世界をたのしませてくれる。
音楽に初心者のわたしには、まったくありがたい番組だった。
わたしは音楽にあかるくないので、以前ラジオでやっていた
『とことん暑苦しい音楽』を参考に、
70曲ほどをユーチューブからiPodにとりこんだ。
この番組は、DJホットマン氏が
「暑苦しい」曲をとことん紹介したものだ。
ほんとは、それがロックなのかジャズなのか、
ポップスなのか あるいはソウルなのか、わたしはよくわからない。
やかましいのがハードロックで、
そうでないのはジャズかな?くらいなとらえ方だ。
なにをきいてもよくわからないわたしにとって、
ぜんぶをごちゃまぜにながしてくれた『とことん暑苦しい』は
ありがたい番組だった。
紹介される曲は、いかにもジョギングむきで、
はしっていると、ホットマン氏の「暑苦しい」声をおもいだす。
はしりながらきくのだから、
はやいテンポの曲ならなんでもいいかというと、
これが意外とむつかしい。
体調によってヘロヘロでしかはしれないときは
(そういうときがおおい)、
ハードな曲は音楽にたきつけられるようで、かえってしんどい。
そんなにあおらないでよ、といじけてしまい、
ダラダラはしりたくなる。
その日の調子によって、ハードロックにするか、
かるいアップテンポの曲にするかを
えらんだほうがいいのだろうけど、
そこまでこまかく編集してないし、体調もつかみにくい。
はしりだしたら調子がでてきた、
なんてときもあるので、どんなタイプの曲がむいているかは
あんがいそのときしだいだ。
ロックでも、たとえば
ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」をきくのと、
おなじ曲を王様が直訳の日本語でうたう「湖上の煙」とでは
だいぶ印象がちがってくる。
へんに意味がわかると、頭が歌詞をおいかけてしまい
はしるのにはじゃまになりがちだ。
こういうのは、はしったりしないで、
じっくりきいたほうがいいようにおもう。
まえに「ランニングむきのクラシック」というのを
ためしたことがあるけど、
どこがランニングにむいているのか
ぜんぜんわからなかった。
わたしにとってクラシックはどこまでもクラシックだ。
かなり上級レベルのランナーでないと、
クラシックをきいたからといって
いい気分ではしれないのではないか。
ジムで自転車をこぐときには、
あんがい落語がぴったりくる。
それだけたいした運動量ではないのだろう。
とまっている状態、というのも
落語にあっているのかもしれない。
そとで自転車にのっているときは、
落語をききたいなんてとてもおもわないのに、
ジムの自転車では耳をかたむけられる。
「およぎながらきけるiPod」が開発されたら
単調な水泳にはありがたいかもしれない。
英語の教材をiPodにいれてためしたことがあるけど、
これはすぐにいらついてきた。
はしっているときに、勉強で頭をつかいたくない。
散歩なんかのゆっくりしたうごきには あっているかもしれない。
わたしがiPodにいれたのは
DJホットマン氏がランダムに紹介したものだから、
曲のながれになんの脈絡もない。
はじめからシャッフルされているようなもので、
iPodからは まったくちがうタイプの曲がつぎつぎにかかる。
「暑苦しい音楽」によるプレイリストは、
ジャンルをこえた ひろい音楽の世界をたのしませてくれる。
音楽に初心者のわたしには、まったくありがたい番組だった。
2015年12月24日
にがてなクリスマスとお正月をどうやりすごすか
クリスマスイブ。
クリスマスとお正月がにがてなわたしには、
しばらくたのしくない日がつづく。
冬やすみに外国旅行にでかけるひとは、
この時期でないと やすみがとれないという理由のほかに、
正月を日本ですごさないほうが 楽だからではないか。
きょねんのいまごろはラオスを旅行していた。
町の雰囲気がちっともクリスマスでないし、
そもそも夏みたいなあたたかさだから
クリスマスをぜんぜんかんじない。
元旦はタイのチェンライにいた。
こちらは新年をおいわいするイベントもあったけど、
日本のクリスマスみたいに
とってつけたようなもよおしで、
町の雰囲気としては、たいして「お正月」でない。
そのせいか、すごく気らくにすごせた。
「サワディーピーマイ」(新年おめでとう)と、
こっちからあいさつしたりして、
日本にいなければ わたしはかなり素直でよい人間になる。
お正月を外国ですごすと、年賀状にもなやまされない。
いただいた年賀状には、日本にかえってから
寒中みまいとして かんたんな手紙をかいた。
いつもだと、年賀状にのせる写真をどうしようと、
年末ギリギリになってようやく腰をあげるところだ。
年賀状のないお正月が、こんなに気らくだとはおもわなかった。
ラオスでいちばんおもいでにのこっている
シーパンドンのゲストハウスでは、
年配のギリシャ人ご夫婦といっしょになった。
わたしの会話力では理解できなかったけど、
引退後の年金ぐらしというわけではなく、
それでも毎年こんなふうにアジアの国々を旅行しているのだという。
そりゃギリシャの経済がガタガタになるわけだ、と
とっさにおもったけど、うらやましい。
日中はメコン川をのぞむテラスにねそべって、
タブレットか本をのぞきこみ、
夜になると日をかえて近所のレストラン(というか食堂だけど)で
ながい夕ごはんをとる。まったくうらやましい。
わたしの前世はギリシャ人だったのかもしれない。
ことしはクリスマスとお正月を、
日本でもろにうけとめないといけない。
まずは今夜のイブをどうするか。
来年からむすこが大学へすすむので、
親子そろってのイブはたぶんさいごだろう。
おいわいとして、ほとんど自分のために ボルドーの赤ワインをかった。
お正月は、とくになんのおでかけもかんがえていない。
なにか特別なことをしても、
お正月の魔の手からはのがれなれないのを わたしはしっている。
じたばたしないで 息をひそめ、やりすごすしかない。
あのギリシャ人ご夫婦は、どんな年末をすごしているだろうか。
クリスマスとお正月がにがてなわたしには、
しばらくたのしくない日がつづく。
冬やすみに外国旅行にでかけるひとは、
この時期でないと やすみがとれないという理由のほかに、
正月を日本ですごさないほうが 楽だからではないか。
きょねんのいまごろはラオスを旅行していた。
町の雰囲気がちっともクリスマスでないし、
そもそも夏みたいなあたたかさだから
クリスマスをぜんぜんかんじない。
元旦はタイのチェンライにいた。
こちらは新年をおいわいするイベントもあったけど、
日本のクリスマスみたいに
とってつけたようなもよおしで、
町の雰囲気としては、たいして「お正月」でない。
そのせいか、すごく気らくにすごせた。
「サワディーピーマイ」(新年おめでとう)と、
こっちからあいさつしたりして、
日本にいなければ わたしはかなり素直でよい人間になる。
お正月を外国ですごすと、年賀状にもなやまされない。
いただいた年賀状には、日本にかえってから
寒中みまいとして かんたんな手紙をかいた。
いつもだと、年賀状にのせる写真をどうしようと、
年末ギリギリになってようやく腰をあげるところだ。
年賀状のないお正月が、こんなに気らくだとはおもわなかった。
ラオスでいちばんおもいでにのこっている
シーパンドンのゲストハウスでは、
年配のギリシャ人ご夫婦といっしょになった。
わたしの会話力では理解できなかったけど、
引退後の年金ぐらしというわけではなく、
それでも毎年こんなふうにアジアの国々を旅行しているのだという。
そりゃギリシャの経済がガタガタになるわけだ、と
とっさにおもったけど、うらやましい。
日中はメコン川をのぞむテラスにねそべって、
タブレットか本をのぞきこみ、
夜になると日をかえて近所のレストラン(というか食堂だけど)で
ながい夕ごはんをとる。まったくうらやましい。
わたしの前世はギリシャ人だったのかもしれない。
ことしはクリスマスとお正月を、
日本でもろにうけとめないといけない。
まずは今夜のイブをどうするか。
来年からむすこが大学へすすむので、
親子そろってのイブはたぶんさいごだろう。
おいわいとして、ほとんど自分のために ボルドーの赤ワインをかった。
お正月は、とくになんのおでかけもかんがえていない。
なにか特別なことをしても、
お正月の魔の手からはのがれなれないのを わたしはしっている。
じたばたしないで 息をひそめ、やりすごすしかない。
あのギリシャ人ご夫婦は、どんな年末をすごしているだろうか。
2015年12月23日
「自由ポータルZ」に投稿する
きのうの記事でお米のつくり方をまとめたのは、
「自由ポータルZ」に投稿したかったからだ。
これは、「デイリーポータルZ」の読者を対象にした投稿コーナーで、
だれでも「自由」に応募できる。
この企画がはじまったときの応募要項をみると、
「自分が好きなこと、興奮できることをするのが鉄則」とあった。
http://portal.nifty.com/kiji/150411193212_1.htm
読者からの記事をみると、それぞれ不思議な発想がはばたいており、
わたしもなにかかいてみたいけど、
こんなへんな企画はとてもおもいつけない。
自分と縁のない世界だと しばらくはしょんぼりしていた。
でも、自然農法によるお米づくりは、
あんがい「自分が好きなこと」にひっかかっているかもしれない。
お米づくりをまとめる意味もかねて、
ストレートすぎるこの記事を投稿したいとおもうようになった。
「やらなくていいことをして、
行かなくていい場所へ行く」という、
デイリーポータルがかかげる理念とは、
すこしはずれているかもしれないけど、
それはまあ、よんだひとがきめればいい。
「自由ポータルZ」には、
そのつど編集部からのアドバイスがのっている。
http://portal.nifty.com/cs/fpz/detail/151218195321/1.htm
このまえは「相談しない」があげられていた。
いいことばだ。
自分でだめだときめつけないで、
とにかく投稿してみる。
投稿したからといって、「デイリーポータルZ」のライターを
めざしているわけではない。
でも、なぜか「デイリーポータルZ」のひとたち(読者・編集者)に、
よんでもらいたいとおもった。
というよびかけに、きれいにひっかかった。
「デイリーポータルZ」は、いまのわたしがあこがれ、
よりどころとするサイトだ。
自分がおもしろいとおもえば、
なにをしてもいいとよくいうけれど、
それをこんなにはっきりと形にしている場所はなかなかない。
どんな内容にも 堂々とチャレンジするライターたちの自由な精神は
賞賛にあたいする。
ヒットばかりではなく、ときにはすごいからぶりもあるけれど、
ライターたちは自分の興味・関心に忠実で、
ためらわずに打席にたつ。
ひとりの読者にすぎないわたしが
今回の投稿で、はじめて「デイリーポータルZ」にかかわれたことを
よろこんでいる。
「自由ポータルZ」に投稿したかったからだ。
これは、「デイリーポータルZ」の読者を対象にした投稿コーナーで、
だれでも「自由」に応募できる。
この企画がはじまったときの応募要項をみると、
「自分が好きなこと、興奮できることをするのが鉄則」とあった。
http://portal.nifty.com/kiji/150411193212_1.htm
読者からの記事をみると、それぞれ不思議な発想がはばたいており、
わたしもなにかかいてみたいけど、
こんなへんな企画はとてもおもいつけない。
自分と縁のない世界だと しばらくはしょんぼりしていた。
でも、自然農法によるお米づくりは、
あんがい「自分が好きなこと」にひっかかっているかもしれない。
お米づくりをまとめる意味もかねて、
ストレートすぎるこの記事を投稿したいとおもうようになった。
「やらなくていいことをして、
行かなくていい場所へ行く」という、
デイリーポータルがかかげる理念とは、
すこしはずれているかもしれないけど、
それはまあ、よんだひとがきめればいい。
「自由ポータルZ」には、
そのつど編集部からのアドバイスがのっている。
http://portal.nifty.com/cs/fpz/detail/151218195321/1.htm
このまえは「相談しない」があげられていた。
アイデアって企画書を書いたり、何人かで揉むとどんどん面白くなくなります。ひとりの人の歪んだ思いつきや欲望が削れて普通になります。
いいことばだ。
自分でだめだときめつけないで、
とにかく投稿してみる。
投稿したからといって、「デイリーポータルZ」のライターを
めざしているわけではない。
でも、なぜか「デイリーポータルZ」のひとたち(読者・編集者)に、
よんでもらいたいとおもった。
自由ポータルZに投稿して余計な方向に人生の幅を広げてみよう!
というよびかけに、きれいにひっかかった。
「デイリーポータルZ」は、いまのわたしがあこがれ、
よりどころとするサイトだ。
自分がおもしろいとおもえば、
なにをしてもいいとよくいうけれど、
それをこんなにはっきりと形にしている場所はなかなかない。
どんな内容にも 堂々とチャレンジするライターたちの自由な精神は
賞賛にあたいする。
ヒットばかりではなく、ときにはすごいからぶりもあるけれど、
ライターたちは自分の興味・関心に忠実で、
ためらわずに打席にたつ。
ひとりの読者にすぎないわたしが
今回の投稿で、はじめて「デイリーポータルZ」にかかわれたことを
よろこんでいる。
2015年12月22日
なんちゃって自然農法でお米がつくれるか?(まとめ)
1.はじめに
まえからお米をつくりたいとおもっていた。
おなかをすかせたくないから。
もし異常気象がおきて、
外国から食糧が輸入されなくなっても、
とりあえずお米をたくさんたくわえていたら安心だ。
いきるうえで、じゅうぶんなたべものこそ、
なによりも大切なおさえどころであり、
こころのゆとりも そこからうまれてくる。

たわわにみのったイネ。この写真だけをみると成功だけど・・・
2.お米づくりはむずかしいか?
農業、とくに米づくりというと、
勤勉や苦労とセットでとらえられており、
かるいのりをこばむ雰囲気がある。
もっといいかげんな気もちでとりくめないものか。
米づくりと道徳とは関係がない。
苦労せず、かんたんにお米がとれたほうが いいにきまっている。
「こんなに楽して できちゃった」という米づくりを
わたしはめざしたい。
3.自然農法での米つくり
そんなときにぴったりなのが、
自然農法による米つくりだ。
自然農法は、いろんなかんがえ方がある。
かんたんにいえば、自然にまかせて作物をつくる方法といえる。
人間が、なんだかんだと手をださなくても、
作物はちゃんと自分でそだつちからをもっている。
その自然農法でお米をつくってみた。
自然農法の理論を正確に理解しているわけではなく、
なんちゃって自然農法といったほうがいいだろう。
楽なところばかりをとりいれた。
オリジナリティはまったくないけれど、
楽をきらう米づくりの世界では、
こうしたこころみも、なんらかのデーターになるだろう。
参考にしたのは、福岡正信さんが かんがえだしたやり方だ。
福岡さんは、自然農法の世界で超有名なひとだけど、
ここではかんたんな紹介にとどめる。
土をたがやしたり、田うえをしなくても
お米がつくれることを ぜひ証明したい。
福岡さんによる自然農法の特徴は、
・土をたがやさず
・草をとらず
・肥料をやらず
・農薬をつかわない
・粘土団子によるじかまき
という点にある。
たがやさないからトラクターはいらないし、
農薬や肥料をかわなくてもいいから
お金もかからない。
「粘土団子によるじかまき」とは、
粘土にタネもみをまぜて団子にし、
それを田んぼにばらまくやり方だ。
つまり、田うえをしないので 田植機もいらない。
やってみるとわかるけど、
しろうとがお米をつくろうとした場合、
自然農法がいちばんはじめやすい。
機械がなくてもいいし、お金もかからない。
4.じっさいにつくってみて
【田んぼをかりる】
もしかしたら、米つくりのいちばんやっかいなハードルは、
田んぼをかりることかもしれない。
わたしの場合はしりあいの紹介で、
何年かほったらかしてあった田んぼをかりられた。
7アールのひろさなので、うまくいけば
家族4人が一年間たべられるだけのお米がとれる。
5年間無料という ありがたい条件で契約をむすぶ。

草だらけの田んぼ。このままの状態でタネをまく。
【タネまき】
タネを粘土団子にするのは、
鳥や虫にたべられるのをふせぐためだ。
その粘土団子づくりが、あんがいうまくいかない。
うさぎのエサのぺレットみたいなかたまりをつくりたかったのに、
なんだかグチャグチャのチョコフレークみたいなのができた。
田うえをしないので、花さかじいさんのように、
パラパラっとこのチョコフレークを 田んぼにまく。
ほんの20分ですんだ。
ほんらいなら田植は米づくりでいちばんたいへんな仕事なのに、
それがたった20分なのだから すごく楽だ。
でも、土に土をまいただけだから、
みためにはなんのかわりもない。
これでちゃんと芽がでるのかと、
ひじょうにこころもとない。

【芽がなかなかでない】
雑草のなかに粘土団子をまいたので、
なにかの苗がそだっていても、
どれが雑草でどれがイネなのかわからない。
はじめはぜんぜんイネが芽をだしていないのかと心配した。
だんだんと苗がおおきくなるにつれて、
イネと雑草との区別がつくようになる。
みためにも発芽にむらがあり、
イネがはえているところと、
そうでないところの差がおおきい。
タネのまき方と、水のやり方に問題があったのかもしれない。
【田んぼがいいかんじ】
いきものがたくさんすむ田んぼはうつくしい。
おたまじゃくしがおよいでいるし、ゲンゴロウもいる。
へびだって なんどもみかけた。
イネの数はすくないかもしれないけど、
田んぼの風景としてはすごくいいかんじだ。
動物たちがよろこんでいるような気がする。

【収穫】
順調にイネがそだち、10月の下旬にカマでイネかりをする。
場所によってはほかの田んぼにひけをとらないほど、
たくさんイネがはえているところもあるけれど、
そうでない場所のほうが圧倒的におおい。
たいした量がないので、いちにちでイネかりがすんだ。
たばねたイネをハデにかける。
2週間ほどほして、イネをかわかす。
乾燥したイネを足踏脱穀機にかけて
ワラからモミをはずす。
このために3万円で足踏脱穀機をかった。
米づくりでいちばんたかいかいものとなった。


足踏脱穀機。足でペダルをふみ、ドラムをまわすしくみ。
【収量】
2.7キロのタネをまいたのに、
たった18キロのお米しかとれなかった。
およそ6.7倍にしかなっていない。
かんたんにお米ができた、というには
ちょっとくるしい量だ。
でも、たいした世話をしなかったのだから、
こんなものかという解釈もできる。
5.まとめ
自然農法のかんたんさを証明したかったのに、
今回はなかなかうまくいかなかった。
でも、農薬をやってないのにもかかわらず、
病気にならなかったし、虫にもやられなかった。
草とりだって そんなに一生懸命やったわけではない。
収量のすくなさは、肥料や農薬をつかわなかったからではなく、
発芽がそろわなかったことと、
水のやり方に問題があったからだ。
芽がでさえすれば、あとはほっといてもイネがそだった。
来年は、きっと10倍ぐらいたくさんのお米がとれるはず。
まえからお米をつくりたいとおもっていた。
おなかをすかせたくないから。
もし異常気象がおきて、
外国から食糧が輸入されなくなっても、
とりあえずお米をたくさんたくわえていたら安心だ。
いきるうえで、じゅうぶんなたべものこそ、
なによりも大切なおさえどころであり、
こころのゆとりも そこからうまれてくる。

たわわにみのったイネ。この写真だけをみると成功だけど・・・
2.お米づくりはむずかしいか?
農業、とくに米づくりというと、
勤勉や苦労とセットでとらえられており、
かるいのりをこばむ雰囲気がある。
もっといいかげんな気もちでとりくめないものか。
米づくりと道徳とは関係がない。
苦労せず、かんたんにお米がとれたほうが いいにきまっている。
「こんなに楽して できちゃった」という米づくりを
わたしはめざしたい。
3.自然農法での米つくり
そんなときにぴったりなのが、
自然農法による米つくりだ。
自然農法は、いろんなかんがえ方がある。
かんたんにいえば、自然にまかせて作物をつくる方法といえる。
人間が、なんだかんだと手をださなくても、
作物はちゃんと自分でそだつちからをもっている。
その自然農法でお米をつくってみた。
自然農法の理論を正確に理解しているわけではなく、
なんちゃって自然農法といったほうがいいだろう。
楽なところばかりをとりいれた。
オリジナリティはまったくないけれど、
楽をきらう米づくりの世界では、
こうしたこころみも、なんらかのデーターになるだろう。
参考にしたのは、福岡正信さんが かんがえだしたやり方だ。
福岡さんは、自然農法の世界で超有名なひとだけど、
ここではかんたんな紹介にとどめる。
土をたがやしたり、田うえをしなくても
お米がつくれることを ぜひ証明したい。
福岡さんによる自然農法の特徴は、
・土をたがやさず
・草をとらず
・肥料をやらず
・農薬をつかわない
・粘土団子によるじかまき
という点にある。
たがやさないからトラクターはいらないし、
農薬や肥料をかわなくてもいいから
お金もかからない。
「粘土団子によるじかまき」とは、
粘土にタネもみをまぜて団子にし、
それを田んぼにばらまくやり方だ。
つまり、田うえをしないので 田植機もいらない。
やってみるとわかるけど、
しろうとがお米をつくろうとした場合、
自然農法がいちばんはじめやすい。
機械がなくてもいいし、お金もかからない。
4.じっさいにつくってみて
【田んぼをかりる】
もしかしたら、米つくりのいちばんやっかいなハードルは、
田んぼをかりることかもしれない。
わたしの場合はしりあいの紹介で、
何年かほったらかしてあった田んぼをかりられた。
7アールのひろさなので、うまくいけば
家族4人が一年間たべられるだけのお米がとれる。
5年間無料という ありがたい条件で契約をむすぶ。

草だらけの田んぼ。このままの状態でタネをまく。
【タネまき】
タネを粘土団子にするのは、
鳥や虫にたべられるのをふせぐためだ。
その粘土団子づくりが、あんがいうまくいかない。
うさぎのエサのぺレットみたいなかたまりをつくりたかったのに、
なんだかグチャグチャのチョコフレークみたいなのができた。
田うえをしないので、花さかじいさんのように、
パラパラっとこのチョコフレークを 田んぼにまく。
ほんの20分ですんだ。
ほんらいなら田植は米づくりでいちばんたいへんな仕事なのに、
それがたった20分なのだから すごく楽だ。
でも、土に土をまいただけだから、
みためにはなんのかわりもない。
これでちゃんと芽がでるのかと、
ひじょうにこころもとない。

【芽がなかなかでない】
雑草のなかに粘土団子をまいたので、
なにかの苗がそだっていても、
どれが雑草でどれがイネなのかわからない。
はじめはぜんぜんイネが芽をだしていないのかと心配した。
だんだんと苗がおおきくなるにつれて、
イネと雑草との区別がつくようになる。
みためにも発芽にむらがあり、
イネがはえているところと、
そうでないところの差がおおきい。
タネのまき方と、水のやり方に問題があったのかもしれない。
【田んぼがいいかんじ】
いきものがたくさんすむ田んぼはうつくしい。
おたまじゃくしがおよいでいるし、ゲンゴロウもいる。
へびだって なんどもみかけた。
イネの数はすくないかもしれないけど、
田んぼの風景としてはすごくいいかんじだ。
動物たちがよろこんでいるような気がする。

【収穫】
順調にイネがそだち、10月の下旬にカマでイネかりをする。
場所によってはほかの田んぼにひけをとらないほど、
たくさんイネがはえているところもあるけれど、
そうでない場所のほうが圧倒的におおい。
たいした量がないので、いちにちでイネかりがすんだ。
たばねたイネをハデにかける。
2週間ほどほして、イネをかわかす。
乾燥したイネを足踏脱穀機にかけて
ワラからモミをはずす。
このために3万円で足踏脱穀機をかった。
米づくりでいちばんたかいかいものとなった。


足踏脱穀機。足でペダルをふみ、ドラムをまわすしくみ。
【収量】
2.7キロのタネをまいたのに、
たった18キロのお米しかとれなかった。
およそ6.7倍にしかなっていない。
かんたんにお米ができた、というには
ちょっとくるしい量だ。
でも、たいした世話をしなかったのだから、
こんなものかという解釈もできる。
5.まとめ
自然農法のかんたんさを証明したかったのに、
今回はなかなかうまくいかなかった。
でも、農薬をやってないのにもかかわらず、
病気にならなかったし、虫にもやられなかった。
草とりだって そんなに一生懸命やったわけではない。
収量のすくなさは、肥料や農薬をつかわなかったからではなく、
発芽がそろわなかったことと、
水のやり方に問題があったからだ。
芽がでさえすれば、あとはほっといてもイネがそだった。
来年は、きっと10倍ぐらいたくさんのお米がとれるはず。

2015年12月21日
細マッチョ大会
体育館のプールでおよいだあとジャグジーにむかったら、
さきにお湯につかっていた男性がはなしかけてきた。
わたしのとなりのコースでおよいでいたひとだ。
ボディビルダーのように発達した筋肉と、
脂肪のないからだつきをしている。
どんなスポーツをしているのかとたずねられたわたしは、
わかいころ水泳をやっていたとこたえた。
そのひとのからだがすごかったので、
わたしもトレーニングについてきいてみると、
「細マッチョ大会にでています」といわれた。
最近はいろんなことばがつぎつぎにでてくるので
ついていくのがたいへんだ。
流行語のトリプルスリーなんて
わたしはきいたことがなかったし、
IoTとかノームコアなんていわれても、
なんのことかわからない。
でも、細マッチョは、そのことばからだいたい想像がつく。
筋肉ムキムキのマッチョではなく、
一般人の体型からそんなにはずれない、
自然なうつくしさをめざした体型だと わたしは理解していた。
何年かまえから、雑誌『ターザン』が
細マッチョをあおるような記事をのせるようになった。
そのときは、あたらしいブームをつくりたいメディアが、
くるしまぎれにうちだした概念であり、
いきのこって市民権をもつことばになるとはおもわなかった。
それにしても「細マッチョ大会」だ。
そんな大会がひらかれるようになったとは。
ネットをみると、「細マッチョ大会」は通称であり、
一般的には「ベストボディ大会」とよばれているらしい。
ジャグジーでいっしょになった男性によると、
ようするに「かっこよさ」をめざす大会なのだという。
ボディビルは圧倒的な筋肉の量がもとめられるけど、
細マッチョは常識的な範囲におさまるプロポーションなのだろう。
いまの時代に マッチョをめざすのは頭がわるそうだけど、
細マッチョなら自分でも納得できるし、まわりにもインパクトがある。
大会では、ボディビルみたいにポーズをとるのかとたずねると、
ジーンズをはいて(上半身ははだかで)
ファッションショーみたいに 舞台をあるくのだそうだ。
応募するときには作文もだすといわれた。
かっこよさをめざすと宣言してトレーニングにはげみ、
自分がもっともかっこよくみえるポーズをとり、
モデルみたいに舞台をあるくなんて、
わたしにははずかしくてとてもできない。
とにかく「かっこよさ」を堂々と口にするのだからすごい。
すこしまえまだと、「かっこよさ」はまわりがきめることで、
自分からもとめるものではなかったのに。
ジャグジーでのおしゃべりはとても興味ぶかかったけど、
そのうち失礼な質問をしそうな気がして
はやめにきりあげた。
細マッチョになったらもてるかどうかを、
きけばよかったと あとになっておもいつく。
「かっこよさ」をもとめていはいるけれど、
女性からみとめられるかどうかについて、
きっと彼らは あまり関心がないのではないか。
さいしょの動機がどうあれ、細マッチョをめざしているうちに、
ナルシストへの傾向がたかまるような気がする。
世の中にはいろんなうつくしさがあるものだ。
「かっこよさ」をめざすなんて、
まえだと冗談でしかくちにできなかったのに、
いまではりっぱな大会までひらかれている。
トリプルスリーの意味はわかったけど、
「細マッチョ大会」ということばは
ずいぶんとおくにきたとかんじさせる。
さきにお湯につかっていた男性がはなしかけてきた。
わたしのとなりのコースでおよいでいたひとだ。
ボディビルダーのように発達した筋肉と、
脂肪のないからだつきをしている。
どんなスポーツをしているのかとたずねられたわたしは、
わかいころ水泳をやっていたとこたえた。
そのひとのからだがすごかったので、
わたしもトレーニングについてきいてみると、
「細マッチョ大会にでています」といわれた。
最近はいろんなことばがつぎつぎにでてくるので
ついていくのがたいへんだ。
流行語のトリプルスリーなんて
わたしはきいたことがなかったし、
IoTとかノームコアなんていわれても、
なんのことかわからない。
でも、細マッチョは、そのことばからだいたい想像がつく。
筋肉ムキムキのマッチョではなく、
一般人の体型からそんなにはずれない、
自然なうつくしさをめざした体型だと わたしは理解していた。
何年かまえから、雑誌『ターザン』が
細マッチョをあおるような記事をのせるようになった。
そのときは、あたらしいブームをつくりたいメディアが、
くるしまぎれにうちだした概念であり、
いきのこって市民権をもつことばになるとはおもわなかった。
それにしても「細マッチョ大会」だ。
そんな大会がひらかれるようになったとは。
ネットをみると、「細マッチョ大会」は通称であり、
一般的には「ベストボディ大会」とよばれているらしい。
ジャグジーでいっしょになった男性によると、
ようするに「かっこよさ」をめざす大会なのだという。
ボディビルは圧倒的な筋肉の量がもとめられるけど、
細マッチョは常識的な範囲におさまるプロポーションなのだろう。
いまの時代に マッチョをめざすのは頭がわるそうだけど、
細マッチョなら自分でも納得できるし、まわりにもインパクトがある。
大会では、ボディビルみたいにポーズをとるのかとたずねると、
ジーンズをはいて(上半身ははだかで)
ファッションショーみたいに 舞台をあるくのだそうだ。
応募するときには作文もだすといわれた。
かっこよさをめざすと宣言してトレーニングにはげみ、
自分がもっともかっこよくみえるポーズをとり、
モデルみたいに舞台をあるくなんて、
わたしにははずかしくてとてもできない。
とにかく「かっこよさ」を堂々と口にするのだからすごい。
すこしまえまだと、「かっこよさ」はまわりがきめることで、
自分からもとめるものではなかったのに。
ジャグジーでのおしゃべりはとても興味ぶかかったけど、
そのうち失礼な質問をしそうな気がして
はやめにきりあげた。
細マッチョになったらもてるかどうかを、
きけばよかったと あとになっておもいつく。
「かっこよさ」をもとめていはいるけれど、
女性からみとめられるかどうかについて、
きっと彼らは あまり関心がないのではないか。
さいしょの動機がどうあれ、細マッチョをめざしているうちに、
ナルシストへの傾向がたかまるような気がする。
世の中にはいろんなうつくしさがあるものだ。
「かっこよさ」をめざすなんて、
まえだと冗談でしかくちにできなかったのに、
いまではりっぱな大会までひらかれている。
トリプルスリーの意味はわかったけど、
「細マッチョ大会」ということばは
ずいぶんとおくにきたとかんじさせる。
2015年12月20日
あまり歓迎したくないデーターテクノロジーをいかした選手強化
NHKの『スポーツイノベーション』で
データーテクノロジーをとりいれた選手強化について つたえていた。
ラグビーWカップで日本が南アフリカをたおしたのは、
ビッグデーターによる分析をいかしたものだし、
サッカーでもいまやデーターテクノロジーが
絶大な効果をあげているという。
すこしまえからトラッキング技術として、
選手が試合中にどれだけはしったとか、
時速◯キロ以上のダッシュを
なんどくりかえしたかが紹介されるようになった。
すごい時代になったものだと感心していたのに、
もはやそんなデーターは牧歌的にさえみえる。
最先端でとりいれられているデーターテクノロジーでは、
試合ちゅうのチームメイトや相手選手のうごきを瞬時に測定し、
選手ひとりひとりの特徴や弱点、くせなど、
あらゆるうごきが数値化され、分析されている。
むかしから、選手が個人的にあつめた「データー」を試合にいかすのは
頭脳的なプレーとして評価されてきたけれど、
いまのビッグデーターはその精度と規模において
レベルがまるでちがう。
ドイツ・ブンデスリーガのホッフェンハイムは
9部リーグで低迷するチームだったところを、
データーテクノロジーの導入により 1部リーグまでのぼりつめている。
そしていまやドイツサッカー界が
データーテクノロジーを全面的にとりいれて
選手強化にあたるまでになった。
Wカップブラジル大会で、ドイツがブラジルを7-1という
驚異的なつよさでやぶったのも、
データーテクノロジーの恩恵によるそうだ。
つよくなればそれだけお金になるのだから、
ラグビーとサッカーにとどまらず、あらゆるスポーツで
データーテクノロジーによる戦略がねられているのだろう。
あつめる情報はますます精緻をきわめ、
ありとあらゆるうごきが分析され、
チームへ提供するビジネスがなりたつ。
監督やスタッフは、どれだけその情報をいかせるかがとわれる。
このうごきは とうぶんおさまりそうにない。
問題は、それをおもしろいとおもえるかどうかだ。
じっさいに試合をする選手たちは、
データーをおいかける試合や練習にさらされて、
それをどうお腹におさめていくのだろう。
サポーターたちは、みえないところですすめられる こうした選手強化を
納得して応援しつづけられるのか。
つよくなったさきに、なにがまっているのか。
データーを重視しすぎたトレーニングが、
試合をつまらなくなるとだれもがみとめるようになれば、
あるレベル以上の情報をあつめてはならないと、
規制されるようになるかもしれない。
しかし、それはまださきのはなしだ。
かつことがスポーツの目的なのだから、
しばらくはとことんデーターテクノロジーをとりいれた
選手強化がつづくだろう。
わたしはどうもこうしたうごきになじめないので、
ビッグデーターなんかにたよらないチームを このましくおもう。
だめなチームがガッツではいあがるはなしにひかれる
典型的にふるいタイプの人間だ。
データーにまったくたよらないチームづくりなど
いまの時代に じっさいには ありえないけれど、
あまりにも度をすぎると
「あそび」や「社交」の精神からとおくなってしまう。
元日本代表監督のオシムさんは、
こうしたながれをあまりおもしろいとおもわないだろうし、
予測できないうごきに魅力があったジダン選手なら
鼻でわらってとりあわないような気がする。
はじまったばかりのデーターテクノロジーは、
これからしばらくスポーツ界の主流となるだろう。
日本代表が南アフリカにかったのはうれしかったけど、
その舞台裏をしると、もうこれぐらいの段階でとめてほしくなった。
データーテクノロジーをとりいれた選手強化について つたえていた。
ラグビーWカップで日本が南アフリカをたおしたのは、
ビッグデーターによる分析をいかしたものだし、
サッカーでもいまやデーターテクノロジーが
絶大な効果をあげているという。
すこしまえからトラッキング技術として、
選手が試合中にどれだけはしったとか、
時速◯キロ以上のダッシュを
なんどくりかえしたかが紹介されるようになった。
すごい時代になったものだと感心していたのに、
もはやそんなデーターは牧歌的にさえみえる。
最先端でとりいれられているデーターテクノロジーでは、
試合ちゅうのチームメイトや相手選手のうごきを瞬時に測定し、
選手ひとりひとりの特徴や弱点、くせなど、
あらゆるうごきが数値化され、分析されている。
むかしから、選手が個人的にあつめた「データー」を試合にいかすのは
頭脳的なプレーとして評価されてきたけれど、
いまのビッグデーターはその精度と規模において
レベルがまるでちがう。
ドイツ・ブンデスリーガのホッフェンハイムは
9部リーグで低迷するチームだったところを、
データーテクノロジーの導入により 1部リーグまでのぼりつめている。
そしていまやドイツサッカー界が
データーテクノロジーを全面的にとりいれて
選手強化にあたるまでになった。
Wカップブラジル大会で、ドイツがブラジルを7-1という
驚異的なつよさでやぶったのも、
データーテクノロジーの恩恵によるそうだ。
つよくなればそれだけお金になるのだから、
ラグビーとサッカーにとどまらず、あらゆるスポーツで
データーテクノロジーによる戦略がねられているのだろう。
あつめる情報はますます精緻をきわめ、
ありとあらゆるうごきが分析され、
チームへ提供するビジネスがなりたつ。
監督やスタッフは、どれだけその情報をいかせるかがとわれる。
このうごきは とうぶんおさまりそうにない。
問題は、それをおもしろいとおもえるかどうかだ。
じっさいに試合をする選手たちは、
データーをおいかける試合や練習にさらされて、
それをどうお腹におさめていくのだろう。
サポーターたちは、みえないところですすめられる こうした選手強化を
納得して応援しつづけられるのか。
つよくなったさきに、なにがまっているのか。
データーを重視しすぎたトレーニングが、
試合をつまらなくなるとだれもがみとめるようになれば、
あるレベル以上の情報をあつめてはならないと、
規制されるようになるかもしれない。
しかし、それはまださきのはなしだ。
かつことがスポーツの目的なのだから、
しばらくはとことんデーターテクノロジーをとりいれた
選手強化がつづくだろう。
わたしはどうもこうしたうごきになじめないので、
ビッグデーターなんかにたよらないチームを このましくおもう。
だめなチームがガッツではいあがるはなしにひかれる
典型的にふるいタイプの人間だ。
データーにまったくたよらないチームづくりなど
いまの時代に じっさいには ありえないけれど、
あまりにも度をすぎると
「あそび」や「社交」の精神からとおくなってしまう。
元日本代表監督のオシムさんは、
こうしたながれをあまりおもしろいとおもわないだろうし、
予測できないうごきに魅力があったジダン選手なら
鼻でわらってとりあわないような気がする。
はじまったばかりのデーターテクノロジーは、
これからしばらくスポーツ界の主流となるだろう。
日本代表が南アフリカにかったのはうれしかったけど、
その舞台裏をしると、もうこれぐらいの段階でとめてほしくなった。
2015年12月19日
クラブWカップでの、サンフレッチェ広島の善戦
クラブWカップが日本でひらかれている。
開催国枠で出場したサンフレッチェ広島は、
準決勝まですすみながら、南米代表のリバー=プレートにやぶれた。
それまでの2試合では、広島らしいかたい守備と、
こまかいパスまわしによる速攻がいきて、
日本の代表にふさわしいつよさが 印象にのこった。
リバー=プレートとの試合でも、
内容では広島のほうが圧倒していたのに、
なんども決定的なチャンスをつくりながら
きめきれなかったのが さいごまでひびいた。
解説の岡田さんが
「せっかくこれだけの試合をしてるんだから
なんとか1点をかえさないと」と、
かてたのに もったいない試合だと残念がっていた。
ほんとうに、なんとかかたせてあげたいと
ねがいたくなる内容だった。
もっとも、きめきれなかったら かてないのがサッカーであり、
広島がこれからもうひと皮むけて つよくなるよう期待したい。
広島の戦術は、世界の強豪にたいしてもじゅうぶん通用しており、
自分たちのスタイルをもつ、成熟したチームにそだっている。
この大会は、形のうえでは
世界一のクラブチームをきめる大会とうたっているものの、
現実的には地域間でのレベルの差がおおきく
その格差を反映させた日程はまったく公平でない。
たとえば広島は4試合にかちつづけなければ優勝できないのに、
ヨーロッパと南米枠のチームは、
1試合にかっただけで つぎが決勝戦となる。
それだけ実力に差があるのだから しかたがないのだけれど、
はじめから露骨に差をつけておいて、
「真の世界一」とあおりたてるのは かなりむりがある。
ようするに、クラブWカップは
実力による世界一をきめるというよりも、
各大陸のナンバーワンチームがあつまりますよと、
形式を強調したおまつりにすぎない。
形だけのおまつりなのだから、
おまつりとしてたのしめばいい。
南米チームの応援にはいつもおどろかされる。
今回は、リバー=プレートのサポーターによる
道頓堀での決起集会が話題になった。
日本にはない情熱の表現は圧倒的だ。
ヨーロッパチャンピオンのチームは、
こんな機会がなければ日本にきてくれないので、
バルセロナやレアル=マドリードの試合をみられるのはありがたい。
すこしまえでは マンチェスター=ユナイテッドと
ガンバ大阪とのうちあい(3-5でマンU)が記憶にのこる。
あの試合も、クラブワールドカップならではのごほうびだった。
クラブWカップに出場するためには、
各地域でのチャンピオンズリーグに優勝しなければならず、
そのチャンピオンズリーグに参加するのには、
各国のリーグで上位の成績をおさめなければならない。
参加するための条件は ものすごくハードルがたかいのに、
その頂点の大会がただの「おまつり」なのがおもしろい。
参加するまでは ものすごくくるしいたたかいで、
本大会にはいると いっぺんに緊張がとけて、
「ごほうび」であり「おまつり」に内容がかわる。
あんがい そっちのほうが
すべてにおけるWカップの本質をついているのかもしれない。
開催国枠で出場したサンフレッチェ広島は、
準決勝まですすみながら、南米代表のリバー=プレートにやぶれた。
それまでの2試合では、広島らしいかたい守備と、
こまかいパスまわしによる速攻がいきて、
日本の代表にふさわしいつよさが 印象にのこった。
リバー=プレートとの試合でも、
内容では広島のほうが圧倒していたのに、
なんども決定的なチャンスをつくりながら
きめきれなかったのが さいごまでひびいた。
解説の岡田さんが
「せっかくこれだけの試合をしてるんだから
なんとか1点をかえさないと」と、
かてたのに もったいない試合だと残念がっていた。
ほんとうに、なんとかかたせてあげたいと
ねがいたくなる内容だった。
もっとも、きめきれなかったら かてないのがサッカーであり、
広島がこれからもうひと皮むけて つよくなるよう期待したい。
広島の戦術は、世界の強豪にたいしてもじゅうぶん通用しており、
自分たちのスタイルをもつ、成熟したチームにそだっている。
この大会は、形のうえでは
世界一のクラブチームをきめる大会とうたっているものの、
現実的には地域間でのレベルの差がおおきく
その格差を反映させた日程はまったく公平でない。
たとえば広島は4試合にかちつづけなければ優勝できないのに、
ヨーロッパと南米枠のチームは、
1試合にかっただけで つぎが決勝戦となる。
それだけ実力に差があるのだから しかたがないのだけれど、
はじめから露骨に差をつけておいて、
「真の世界一」とあおりたてるのは かなりむりがある。
ようするに、クラブWカップは
実力による世界一をきめるというよりも、
各大陸のナンバーワンチームがあつまりますよと、
形式を強調したおまつりにすぎない。
形だけのおまつりなのだから、
おまつりとしてたのしめばいい。
南米チームの応援にはいつもおどろかされる。
今回は、リバー=プレートのサポーターによる
道頓堀での決起集会が話題になった。
日本にはない情熱の表現は圧倒的だ。
ヨーロッパチャンピオンのチームは、
こんな機会がなければ日本にきてくれないので、
バルセロナやレアル=マドリードの試合をみられるのはありがたい。
すこしまえでは マンチェスター=ユナイテッドと
ガンバ大阪とのうちあい(3-5でマンU)が記憶にのこる。
あの試合も、クラブワールドカップならではのごほうびだった。
クラブWカップに出場するためには、
各地域でのチャンピオンズリーグに優勝しなければならず、
そのチャンピオンズリーグに参加するのには、
各国のリーグで上位の成績をおさめなければならない。
参加するための条件は ものすごくハードルがたかいのに、
その頂点の大会がただの「おまつり」なのがおもしろい。
参加するまでは ものすごくくるしいたたかいで、
本大会にはいると いっぺんに緊張がとけて、
「ごほうび」であり「おまつり」に内容がかわる。
あんがい そっちのほうが
すべてにおけるWカップの本質をついているのかもしれない。
2015年12月18日
スズメはあんがいお米をたべない
福岡正信さんの自然農法による米づくりでは、
かりとった稲わらを、ぜんぶ田んぼにばらまく。
ワラをきって堆肥をつくったりせずに、
ながいままのワラを田んぼにかえすことで、
つぎの年の栄養分になるからだ。
いや、栄養分なんてとらえ方が
いかにも科学的な知識にたよろうとしていて、
自然農法らしくない。
その田んぼでそだったものが、
その場所でくちおちていくのは当然のながれであり、
そのワラによっていきものの活動がさかんになる。
それらを全部ひっくるめてなりたっているのが自然農法だ。
ワラにはまだモミのついた穂がいくらかついていたので、
それをあつめて庭においておく。
たべものがみつけにくい冬には、
スズメたちにとって またとないごちそうになるだろう。
わたしは自分の善意に 自分でいい点をつける。
もしかしたら、おおきいツヅラとちいさいツヅラのうち
どちらかをえらんでください、
なんて展開になるかもしれない。
でも、まったくではないにしろ、
スズメたちはそんなによろこんで かけつけてはくれなかった。
ネコがいる家だとスズメ社会にしれわたっており、
警戒してるのかもしれない。
庭においてから 10日たっても
まだいくらかモミがのこっているくらいだから、
スズメにとって たいして魅力的でない「ごちそう」のようだ。
このさむい季節に、スズメたちはなにをたべているのだろう。
虫はいそうにないし、木の実だって
どこにでもはえているわけではない。
スズメというと、どこにでもいる
地味な野鳥というイメージがあるけれど、
その姿をしっているだけにすぎず、
どんな生活をおくっているかについて、
わたしはまったくしらない。
気まぐれに ほんのすこし おやつを用意したからといって、
ありがたがるスズメたちから
おんがえしまで期待したわたしは
めちゃくちゃ自然界をあまくみている。
カメやスズメがおんがえしをするのは、
人間がつくったものがたりのなかだけだ。
動物たちは、おんがえしに まったく関心がない。
いっしょにくらしているピピ(ネコ)だって、
いくらわたしが誠意をつくしても、
基本的に自分の都合だけで生きている。
犬はどうか。犬におんがえしの意識があるだろうか。
すこしまえにみた映画『ペイ・フォワード』は、
みかえりを期待しないで善意をほどこす運動だった。
善意をうけたひとは、直接おんがえしをするのではなく、
そのバトンをべつのだれかにわたすことにより、
善意の波がひろがって、社会がかわっていく。
もしかしたら、動物たちは おんがえしではなく、
ペイ・フォワードの論理で生きているのかもしれない。
自然農法とは、ペイ・フォワードのことなのかもしれない。
かりとった稲わらを、ぜんぶ田んぼにばらまく。
ワラをきって堆肥をつくったりせずに、
ながいままのワラを田んぼにかえすことで、
つぎの年の栄養分になるからだ。
いや、栄養分なんてとらえ方が
いかにも科学的な知識にたよろうとしていて、
自然農法らしくない。
その田んぼでそだったものが、
その場所でくちおちていくのは当然のながれであり、
そのワラによっていきものの活動がさかんになる。
それらを全部ひっくるめてなりたっているのが自然農法だ。
ワラにはまだモミのついた穂がいくらかついていたので、
それをあつめて庭においておく。
たべものがみつけにくい冬には、
スズメたちにとって またとないごちそうになるだろう。
わたしは自分の善意に 自分でいい点をつける。
もしかしたら、おおきいツヅラとちいさいツヅラのうち
どちらかをえらんでください、
なんて展開になるかもしれない。
でも、まったくではないにしろ、
スズメたちはそんなによろこんで かけつけてはくれなかった。
ネコがいる家だとスズメ社会にしれわたっており、
警戒してるのかもしれない。
庭においてから 10日たっても
まだいくらかモミがのこっているくらいだから、
スズメにとって たいして魅力的でない「ごちそう」のようだ。
このさむい季節に、スズメたちはなにをたべているのだろう。
虫はいそうにないし、木の実だって
どこにでもはえているわけではない。
スズメというと、どこにでもいる
地味な野鳥というイメージがあるけれど、
その姿をしっているだけにすぎず、
どんな生活をおくっているかについて、
わたしはまったくしらない。
気まぐれに ほんのすこし おやつを用意したからといって、
ありがたがるスズメたちから
おんがえしまで期待したわたしは
めちゃくちゃ自然界をあまくみている。
カメやスズメがおんがえしをするのは、
人間がつくったものがたりのなかだけだ。
動物たちは、おんがえしに まったく関心がない。
いっしょにくらしているピピ(ネコ)だって、
いくらわたしが誠意をつくしても、
基本的に自分の都合だけで生きている。
犬はどうか。犬におんがえしの意識があるだろうか。
すこしまえにみた映画『ペイ・フォワード』は、
みかえりを期待しないで善意をほどこす運動だった。
善意をうけたひとは、直接おんがえしをするのではなく、
そのバトンをべつのだれかにわたすことにより、
善意の波がひろがって、社会がかわっていく。
もしかしたら、動物たちは おんがえしではなく、
ペイ・フォワードの論理で生きているのかもしれない。
自然農法とは、ペイ・フォワードのことなのかもしれない。
2015年12月17日
忍者のなにが外国人をひきつけるのだろう
クールジャパンで忍者をとりあげていた。
いま世界じゅうで忍者の人気がたかまっているという。
番組では、忍者のイベントショーに忍者のレストラン、
忍者の修業体験、
それに忍者のマンガをあつめた図書館が紹介されている。
どれも外国人に人気があり、子どもだけでなく、
おとなもおおよろこびだ。
忍者の修業はリピーターがおおく、
毎年のようにやってきて1週間の修業に参加するのだそうだ。
ひやかしではなくて、みんな真剣な表情で訓練にはげんでいる。
忍者と武士のちがいさえよくわからないわたしは、
なんでそんなに外国のひとが
忍者に関心をしめすのか 不思議におもう。
わたしもちいさいころは『サスケ』や『赤影』に
熱中したこともあったけど、
成長するにつれて 無関心になった。
スタジオにあつまった外国人ゲストは、
全員が忍者についてある程度の関心があり、
じっさいにイベントショーやレストランへ
いったことがあるひとたちだ。
忍者ゲームに熱中したひともいる。
外国人のこうした熱意をしると、
忍者へのわたしの無関心が
まずしい精神のあらわれにおもえてきた。
べつにおおくのひとがすきだからといって、
自分も関心をもたなければならないわけではないけれど、
これだけ外国人がおもしろがる忍者なのだから、
それだけの魅力があるにちがいない。
なぞめいた日本にあこがれるエキゾチシズムではなく、
ポップカルチャーとして 彼らは忍者をおもしろがっている。
おおくの対象に おもしろいとおもえたほうが、
人生たのしいにきまっている。
好奇心のとぼしい人間くらい、つまらない存在はない。
わたしは 自分がやわらかい精神をもち、
なんでもおもしろがれる人間だとおもっていたのに、
ほんとうはかなり問題のあるひとだったりして。
ツイッターとフェイスブックに 距離をおくのも、
忍者への無関心となにか関係があるかもしれない。
率直にいって、番組で紹介したすべての「忍者」が、
わたしにはうすっぺらで底のあさい「ゴッコ」にみえた。
とはいえ そんなのは余計なお世話であり、
すきだから、やりたいから、かよってくるひとのほうが
なにかと批判的にみるわたしより、
ずっと充実した時間をすごしているだろう。
外国人が歌舞伎や能をおもしろがっても、
無関心な自分をうしろめたくおもわないのに、
忍者のおもしろさがわからないのには
コンプレックスをかんじてしまった。
忍者のどこにひかれるのかは、
外国人と日本人で すこしちがうようにおもう。
そして、外国人による忍者の人気は、
彼らがほかのアニメやマンガとはまた
べつの魅力に気づいたからではないか。
いま世界じゅうで忍者の人気がたかまっているという。
番組では、忍者のイベントショーに忍者のレストラン、
忍者の修業体験、
それに忍者のマンガをあつめた図書館が紹介されている。
どれも外国人に人気があり、子どもだけでなく、
おとなもおおよろこびだ。
忍者の修業はリピーターがおおく、
毎年のようにやってきて1週間の修業に参加するのだそうだ。
ひやかしではなくて、みんな真剣な表情で訓練にはげんでいる。
忍者と武士のちがいさえよくわからないわたしは、
なんでそんなに外国のひとが
忍者に関心をしめすのか 不思議におもう。
わたしもちいさいころは『サスケ』や『赤影』に
熱中したこともあったけど、
成長するにつれて 無関心になった。
スタジオにあつまった外国人ゲストは、
全員が忍者についてある程度の関心があり、
じっさいにイベントショーやレストランへ
いったことがあるひとたちだ。
忍者ゲームに熱中したひともいる。
外国人のこうした熱意をしると、
忍者へのわたしの無関心が
まずしい精神のあらわれにおもえてきた。
べつにおおくのひとがすきだからといって、
自分も関心をもたなければならないわけではないけれど、
これだけ外国人がおもしろがる忍者なのだから、
それだけの魅力があるにちがいない。
なぞめいた日本にあこがれるエキゾチシズムではなく、
ポップカルチャーとして 彼らは忍者をおもしろがっている。
おおくの対象に おもしろいとおもえたほうが、
人生たのしいにきまっている。
好奇心のとぼしい人間くらい、つまらない存在はない。
わたしは 自分がやわらかい精神をもち、
なんでもおもしろがれる人間だとおもっていたのに、
ほんとうはかなり問題のあるひとだったりして。
ツイッターとフェイスブックに 距離をおくのも、
忍者への無関心となにか関係があるかもしれない。
率直にいって、番組で紹介したすべての「忍者」が、
わたしにはうすっぺらで底のあさい「ゴッコ」にみえた。
とはいえ そんなのは余計なお世話であり、
すきだから、やりたいから、かよってくるひとのほうが
なにかと批判的にみるわたしより、
ずっと充実した時間をすごしているだろう。
外国人が歌舞伎や能をおもしろがっても、
無関心な自分をうしろめたくおもわないのに、
忍者のおもしろさがわからないのには
コンプレックスをかんじてしまった。
忍者のどこにひかれるのかは、
外国人と日本人で すこしちがうようにおもう。
そして、外国人による忍者の人気は、
彼らがほかのアニメやマンガとはまた
べつの魅力に気づいたからではないか。
2015年12月16日
『ゼロ・グラビティ』わたしにも大気圏突入ができそう
『ゼロ・グラビティ』
(アルフォンソ=キュアロン:監督2013年・アメリカ)
いまさらだけど『ゼロ・グラビティ』。
もっとも、わたしがかくのは「いまさら」の作品ばかりだ。
話題作なので、ハリウッド的なゴテゴテてんこもりの、
おもしろいけど「どうだ、おどろいたか!」
が鼻につく大作かとかまえていたら、
すごくすっきりつくってあった。こりゃ、すごいわ。
オープニングでは、なんの状況説明もないまま
数人の飛行士が宇宙船のまわりで なにやら仕事をしている。
ただそれだけなのに、無重力状態のリアルさにひきつけられる。
ことばでの説明なんて必要ない。
画面をみているだけで、無重力がどんなに特殊な状態なのかがわかる。
そして、沈黙の宇宙からみる 圧倒的にうつくしい地球。
とつぜんふりかかったアクシデントにより、
女性飛行士が宇宙にひとりでとりのこされる。
とびきりたよりになる上司とも、はなればなれになってしまった。
彼女はこれからどうやって地球にかえるのだろう。
無重力状態は、これまでになんども映画でみてきた。
しかし『ゼロ・グラビティ』のリアルさはまったくべつの次元だ。
重力と摩擦がない宇宙では、
ある方向にいったんうごきはじめると、
ずっとそのままのいきおいがたもたれたまま とまらない。
「慣性の法則」なんてことばを ひさしぶりにおもいだした。
からだが回転すれば まわりっぱなしだし、
もしも宇宙船からはなれる方向にながされたら、
たとえどんなにゆっくりのスピードだったとしても、
自分のちからだけではもどれない。
海のなかを およぐようなわけにはいかない。
(以下ネタバレ)
結論からいえば、女性飛行士は
あんがいすんなりと地球にもどってこれた。
大気圏突入も意外とかんたんだ。
はじめてガンダムにのったアムロが、
マニュアルをめくりながら操縦したのをおもいだす。
ハラハラ・ドキドキのアクシデントをいくつもこしらえて、
もっとながくひっぱれるところを
この作品は 91分と、みじかくまとめている。
ものたりなかったわけではない。
どうしてもながくなりがちな大作路線にたいし、
『ゼロ・グラビティ』のすっきり感がこのましい。
この作品がもとめたのは、無重力状態のリアルな表現であり、
ハラハラ・ドキドキによるエンタメではなかったのだろう。
奇跡的に地球への生還をはたせば、
ふつうの作品なら愛と感動でおおさわぎ、という場面なのに、
『ゼロ・グラビティ』は ただ主人公が自分のちからでたちあがるだけ。
しかしそれが この作品にはいちばんふさわしいラストだとおもえる。
耳をすますと、まわりからは虫の羽音がきこえてくる。
地球にはいきものがいるのだ。
わかくうつくしい女性飛行士は、サンドラ=ブロックがえんじていた。
撮影当時49歳だったはずなのに、まったくそんな歳にはみえない。
目のまえにせまる絶望的な状況に、
全力をつくして対応する彼女がとても魅力的だ。
そういえば、サンドラ=ブロックはいつもこんな役のような気がする。
『スピード』でも『ザ・インターネット』でも、
不器用だけどいつも一生懸命にぶつかっていく。
この作品もまた、アクション映画というには
いくぶんしずかな作品でありながら、
女性飛行士の行動力と精神力につよく勇気づけられる。
宇宙にひとりのこされることをおもえば、
地球でのアクシデントなんて たいしたことない。
中国の宇宙船にはいったら、卓球のラケットがただよっていたし
(いくら中国人でも、さすがに宇宙で卓球はしないだろう)、
地球の湖では、あのふかさにいるはずのないカエルが
女性飛行士にキックのやり方をおしえてくれた。
こうしたあそびごころや、作品全体のすっきり感に、
アルフォンソ=キュアロン監督のセンスをかんじる。
(アルフォンソ=キュアロン:監督2013年・アメリカ)
いまさらだけど『ゼロ・グラビティ』。
もっとも、わたしがかくのは「いまさら」の作品ばかりだ。
話題作なので、ハリウッド的なゴテゴテてんこもりの、
おもしろいけど「どうだ、おどろいたか!」
が鼻につく大作かとかまえていたら、
すごくすっきりつくってあった。こりゃ、すごいわ。
オープニングでは、なんの状況説明もないまま
数人の飛行士が宇宙船のまわりで なにやら仕事をしている。
ただそれだけなのに、無重力状態のリアルさにひきつけられる。
ことばでの説明なんて必要ない。
画面をみているだけで、無重力がどんなに特殊な状態なのかがわかる。
そして、沈黙の宇宙からみる 圧倒的にうつくしい地球。
とつぜんふりかかったアクシデントにより、
女性飛行士が宇宙にひとりでとりのこされる。
とびきりたよりになる上司とも、はなればなれになってしまった。
彼女はこれからどうやって地球にかえるのだろう。
無重力状態は、これまでになんども映画でみてきた。
しかし『ゼロ・グラビティ』のリアルさはまったくべつの次元だ。
重力と摩擦がない宇宙では、
ある方向にいったんうごきはじめると、
ずっとそのままのいきおいがたもたれたまま とまらない。
「慣性の法則」なんてことばを ひさしぶりにおもいだした。
からだが回転すれば まわりっぱなしだし、
もしも宇宙船からはなれる方向にながされたら、
たとえどんなにゆっくりのスピードだったとしても、
自分のちからだけではもどれない。
海のなかを およぐようなわけにはいかない。
(以下ネタバレ)
結論からいえば、女性飛行士は
あんがいすんなりと地球にもどってこれた。
大気圏突入も意外とかんたんだ。
はじめてガンダムにのったアムロが、
マニュアルをめくりながら操縦したのをおもいだす。
ハラハラ・ドキドキのアクシデントをいくつもこしらえて、
もっとながくひっぱれるところを
この作品は 91分と、みじかくまとめている。
ものたりなかったわけではない。
どうしてもながくなりがちな大作路線にたいし、
『ゼロ・グラビティ』のすっきり感がこのましい。
この作品がもとめたのは、無重力状態のリアルな表現であり、
ハラハラ・ドキドキによるエンタメではなかったのだろう。
奇跡的に地球への生還をはたせば、
ふつうの作品なら愛と感動でおおさわぎ、という場面なのに、
『ゼロ・グラビティ』は ただ主人公が自分のちからでたちあがるだけ。
しかしそれが この作品にはいちばんふさわしいラストだとおもえる。
耳をすますと、まわりからは虫の羽音がきこえてくる。
地球にはいきものがいるのだ。
わかくうつくしい女性飛行士は、サンドラ=ブロックがえんじていた。
撮影当時49歳だったはずなのに、まったくそんな歳にはみえない。
目のまえにせまる絶望的な状況に、
全力をつくして対応する彼女がとても魅力的だ。
そういえば、サンドラ=ブロックはいつもこんな役のような気がする。
『スピード』でも『ザ・インターネット』でも、
不器用だけどいつも一生懸命にぶつかっていく。
この作品もまた、アクション映画というには
いくぶんしずかな作品でありながら、
女性飛行士の行動力と精神力につよく勇気づけられる。
宇宙にひとりのこされることをおもえば、
地球でのアクシデントなんて たいしたことない。
中国の宇宙船にはいったら、卓球のラケットがただよっていたし
(いくら中国人でも、さすがに宇宙で卓球はしないだろう)、
地球の湖では、あのふかさにいるはずのないカエルが
女性飛行士にキックのやり方をおしえてくれた。
こうしたあそびごころや、作品全体のすっきり感に、
アルフォンソ=キュアロン監督のセンスをかんじる。
2015年12月15日
『本の雑誌 1月号』2015年のベストテン
『本の雑誌 1月号』
1月号といえば、ことしのベストテンがのる号だ。
例によって熱がはいっているのか
テキトーなのかわからない座談会により、
ベストテンがきめられていく。
今回は、わけのわからない理由でのゴリおしはなく、
全員が納得しつつのベストテンえらびになっている。
もしかしたら『バーナード嬢曰く』の名前があがってくるのでは、
と期待してたけど、だれも推薦してくれなかった。
ベスト1は、わたしがまったくしらなかった本で、
とわたしにあいそうな冒険小説だ。
訳してるのがコーマック=マッカーシーでおなじみの
黒原敏行さんなので信頼できる。
『本の雑誌』ですこしまえから気になっている連載に
「そばですよ」がある。
今回が8回目なのに、本はまったく登場せず、
ひたすら たちくいソバのお店が紹介されている。
連載がスタートした号をひっぱりだしたけど、
とくになんの説明もなく、
いきなりたちくいソバ屋さんがでてくる。
「雑誌」なのだから、なんでもありなわけで、
本がでなくても かまわないという方針に好感がもてる。
要はおもしろければよく、
毎回いってみたくなるお店が紹介されているので、
連載の役目をはたしているといえる。
本と関係のないはなしが8回目となり、
こういうのもありだなと、あたりまえにおもえてきた。
ふところのふかい雑誌だ。
たぶん、それとこれとは関係ないとおもうけど、
菊池寛賞の受賞をいわうオビが 1月号についている。
40年もおもしろい本を紹介しつづけてくれたのだから、
なんらかの形で評価されて当然だろう。
ネット界から「デイリーポータルZ」がなくなったらこまるように、
『本の雑誌』がよめない本の世界は想像したくない。
1月号にのる各ジャンルのベストテンと、
『おすすめ文庫王国』でえらばれた本をみながら、
一年をふりかえり、これからよむ本の参考にする。
わたしの2015年の3冊は、
『その女アレックス』(P=ルメートル)
『平原の町』(コーマック=マッカーシー)
『ハートブレイク・カフェ』(ビリー=レッツ)
という一年だった。
どれも なんちゃってベストで、ことし出版されたものではない。
1月号といえば、ことしのベストテンがのる号だ。
例によって熱がはいっているのか
テキトーなのかわからない座談会により、
ベストテンがきめられていく。
今回は、わけのわからない理由でのゴリおしはなく、
全員が納得しつつのベストテンえらびになっている。
もしかしたら『バーナード嬢曰く』の名前があがってくるのでは、
と期待してたけど、だれも推薦してくれなかった。
ベスト1は、わたしがまったくしらなかった本で、
(主人公は)三十路半ばなのにいまだ迷えるおじさんで、
俺はどうしたらとか、彼女もいないしとか悩んだりしていて。
とわたしにあいそうな冒険小説だ。
訳してるのがコーマック=マッカーシーでおなじみの
黒原敏行さんなので信頼できる。
『本の雑誌』ですこしまえから気になっている連載に
「そばですよ」がある。
今回が8回目なのに、本はまったく登場せず、
ひたすら たちくいソバのお店が紹介されている。
連載がスタートした号をひっぱりだしたけど、
とくになんの説明もなく、
いきなりたちくいソバ屋さんがでてくる。
「雑誌」なのだから、なんでもありなわけで、
本がでなくても かまわないという方針に好感がもてる。
要はおもしろければよく、
毎回いってみたくなるお店が紹介されているので、
連載の役目をはたしているといえる。
本と関係のないはなしが8回目となり、
こういうのもありだなと、あたりまえにおもえてきた。
ふところのふかい雑誌だ。
たぶん、それとこれとは関係ないとおもうけど、
菊池寛賞の受賞をいわうオビが 1月号についている。
40年もおもしろい本を紹介しつづけてくれたのだから、
なんらかの形で評価されて当然だろう。
ネット界から「デイリーポータルZ」がなくなったらこまるように、
『本の雑誌』がよめない本の世界は想像したくない。
1月号にのる各ジャンルのベストテンと、
『おすすめ文庫王国』でえらばれた本をみながら、
一年をふりかえり、これからよむ本の参考にする。
わたしの2015年の3冊は、
『その女アレックス』(P=ルメートル)
『平原の町』(コーマック=マッカーシー)
『ハートブレイク・カフェ』(ビリー=レッツ)
という一年だった。
どれも なんちゃってベストで、ことし出版されたものではない。
2015年12月14日
『おすすめ文庫王国 2016』
『おすすめ文庫王国 2016』(本の雑誌社)
『おすすめ文庫王国』はことしで17年目になるといい、
毎年この時期のたのしみとなっている。
きょねんは、ベストテンを参考に4冊かった。
編集の基本路線がかわらないので、
まえの年の号をひっぱりだしてみると、
文庫界のうつりかわりがよくわかる。
わたしがすきな特集は、
文庫本の出版社をJリーグにたとえる「文庫Bリーグ」だ。
いちねんをつうじてのつよさ・いきおいを分析し、
だめなチームは下のリーグに降格する。
ことしの1位は『その女アレックス』が大活躍した文春文庫で、
2年ぶりの優勝と、安定したちからをみせている。
そういえばベストテンに
『その女アレックス』がないなーとおもったら、
この本は2014年に出版されていた。
では きょねんの『おすすめ文庫王国』でえらばれたかというと、
座談会で名前があがっただけだ。
ベストテンえらびは ひとつのおまつりと
わりきったほうがいい。
そうやってえらばれた本が
どうどうと「本の雑誌ベストテン」のオビをつけるのだから、
本をかったひとが ベストテンにえらばれた経緯をしったら
おどろくのではないか。
ことしおもしろかった企画は、
「世代別読んどく文庫はこれだ!」。
たとえば30代にはこの本が必読で、
40代だと◯◯のほうがよくて、というふうに、
世代別のおすすめ本をとりあげている。
担当者の年齢からか、とくに50代がこまかく分析してあり、
それによると50代のキーワードは「しみじみ」なのだそうだ。
わたしは当事者だから その気もちがとてもよくわかる。
もうわかくはなく、食欲も性欲もかすかにのこる程度で、
もうすぐやってくる老いがなんとなく不安な50代は、
たしかにむつかしい時期であり、
すくってくれる本があればずいぶんたすかる。
この記事ですすめている『夢果つる街』(トレヴェニアン)は、
もっているのにまだ「つんどく」のままだった。
さっそくお世話になりたい。
10代には北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』が
つよくすすめられている。
わたしは13歳のころにこの本をよんだけど、
それにより、10代をのりきる適切なちからが
やしなわれたかどうか、よくわからない。
ただ、本の世界にすんなりはいれたのは、
たしかにこの本のおかげかもしれない。
都内大型2書店でのうりあげを1位から100位までならべた
「文庫年間売上げ」の座談会では、
文庫がうれない理由について
と、老眼による世代交代が話題になっている。
おもしろい指摘だ。
もうひとつ、SNSやネットのレビューの影響にもふれている。
「しみじみ」よりも強烈なインパクトをのこす作品が、
SNSやレビューにはつよいかもしれない。
『その女アレックス』がうれたのは、
そんなネット社会の特徴がいかされたからだろうか。
『おすすめ文庫王国』はことしで17年目になるといい、
毎年この時期のたのしみとなっている。
きょねんは、ベストテンを参考に4冊かった。
編集の基本路線がかわらないので、
まえの年の号をひっぱりだしてみると、
文庫界のうつりかわりがよくわかる。
わたしがすきな特集は、
文庫本の出版社をJリーグにたとえる「文庫Bリーグ」だ。
いちねんをつうじてのつよさ・いきおいを分析し、
だめなチームは下のリーグに降格する。
ことしの1位は『その女アレックス』が大活躍した文春文庫で、
2年ぶりの優勝と、安定したちからをみせている。
そういえばベストテンに
『その女アレックス』がないなーとおもったら、
この本は2014年に出版されていた。
では きょねんの『おすすめ文庫王国』でえらばれたかというと、
座談会で名前があがっただけだ。
ベストテンえらびは ひとつのおまつりと
わりきったほうがいい。
そうやってえらばれた本が
どうどうと「本の雑誌ベストテン」のオビをつけるのだから、
本をかったひとが ベストテンにえらばれた経緯をしったら
おどろくのではないか。
ことしおもしろかった企画は、
「世代別読んどく文庫はこれだ!」。
たとえば30代にはこの本が必読で、
40代だと◯◯のほうがよくて、というふうに、
世代別のおすすめ本をとりあげている。
担当者の年齢からか、とくに50代がこまかく分析してあり、
それによると50代のキーワードは「しみじみ」なのだそうだ。
わたしは当事者だから その気もちがとてもよくわかる。
もうわかくはなく、食欲も性欲もかすかにのこる程度で、
もうすぐやってくる老いがなんとなく不安な50代は、
たしかにむつかしい時期であり、
すくってくれる本があればずいぶんたすかる。
この記事ですすめている『夢果つる街』(トレヴェニアン)は、
もっているのにまだ「つんどく」のままだった。
さっそくお世話になりたい。
10代には北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』が
つよくすすめられている。
わたしは13歳のころにこの本をよんだけど、
それにより、10代をのりきる適切なちからが
やしなわれたかどうか、よくわからない。
ただ、本の世界にすんなりはいれたのは、
たしかにこの本のおかげかもしれない。
都内大型2書店でのうりあげを1位から100位までならべた
「文庫年間売上げ」の座談会では、
文庫がうれない理由について
丸 あと、本が好きで今までいっぱい買ってくれていた
おじいさんおばあさんが、
さらにおじいさんおばあさんになってしまって、
本が読めなくなってしまった可能性がありますね。
三 活字をどんどん大きくしても追いつかない。
丸 お客さんの世代交代の時期なんじゃないですかね。
だから今、ライト文芸がすごいじゃないですか。
(丸:丸善・三:三省堂)
と、老眼による世代交代が話題になっている。
おもしろい指摘だ。
もうひとつ、SNSやネットのレビューの影響にもふれている。
「しみじみ」よりも強烈なインパクトをのこす作品が、
SNSやレビューにはつよいかもしれない。
『その女アレックス』がうれたのは、
そんなネット社会の特徴がいかされたからだろうか。
2015年12月13日
『イングロリアス・バスターズ』ナチをたおしても、素直によろこべない
『イングロリアス・バスターズ』
(クエンティン=タランティーノ:監督・2009年・アメリカ)
第二次大戦中の、ドイツが占領していたフランスを舞台に、
ナチによるユダヤ人がりと、
アメリカ軍の特殊部隊によるナチがりをからめている。
パリの映画館で、ドイツ軍の高官があつまっての
上映会をもよおすことになった。
そこでの破壊工作をめぐり、ナチ・特殊部隊・ユダヤ人の
かけひきがくりひろげられる。
タランティーノだから
えげつないシーンがあると予想(期待も)していたけど、
わたしの精神にはおもすぎるグロさだった。
これまでみたことのないタイプの暴力がテーマとなっている。
冒頭で、田舎にある1軒の農家を、
ユダヤハンターの異名をもつ ランダ大佐と部下たちがおとずれる。
農夫は、ユダヤ人の家族をかくまっていた。
大佐は礼儀ただしく農夫にせっしながら、
たくみなといかけで だんだんとおいつめていく。
表情ゆたかな話術はチャーミングですらあり、
じっさいに手をくだす残虐さとのギャップがきわだつ。
この作品の魅力をたかめているのは、
ランダ大佐の いかにもナチ的な上品さだ。
アメリカ軍の特殊部隊を指揮するのが
ブラッド=ピットえんじるレイン中尉で、
「ドイツ野郎の頭の皮を100枚はげ」と
およそブラッド=ピットらしくない
残酷な任務を部下にめいじている。
特殊部隊によるナチがりといっても、
対象は ユダヤ人の弾圧にかかわった
ゲシュタボや親衛隊だけではない。
彼らにとって、あいてはドイツ軍の兵士ならだれでもいいわけで、
軍人として勇敢にふるまうドイツ兵にさえ、
たのしみとしてバットをふるい たたきのめす。
戦争だからしかたなくあいてをころすのではなく、
彼らは残虐な行為に爽快感をおぼえている。
ユダヤ人を迫害するナチにやりかえすのだから、
いい気味だと よろこべるかといえば、
そうかんたんに気もちはおちつかない。
レイン中尉は 自分たちを開放したドイツ兵にむけて、
まったくためらわずにひきがねをひく。
彼がどれだけいかれた人間かをみせつけられ、
ランダ大佐はびびっていた。
この作品のあと味が いまひとつすっきりしないのは、
先月パリでおきたテロ事件とかさなるからだ。
映画館に数百人のドイツ軍高官をとじこめて
銃を乱射する場面をみたひとのおおくは、
パリのコンサートホールやレストランでおきた
かなしい事件をおもいうかべるだろう。
戦争中だから大義名分のたつ特殊部隊の行為と、
ISがおこなったテロと どれだけのちがいがあるだろう。
にくいナチをやっつけたと、
素直によろこぶ気にはなれなかった。
彼らはまったくイングロリアス(名誉のない)なやつらだ。
タランティーノ監督は、ただ暴力をえがきたくて
この作品をつくったはずがない。
ユダヤ人を迫害するナチはたしかにひどいけれど、
彼らとおなじように冷酷な行為を、
正義のはずの連合軍がふるっていた。
たとえユダヤ人への迫害がからんでも、
暴力に「ただしさ」はもとめられない。
さいごまでつよくひきつけられる
じょうずにつくられた作品とはいえ、
爽快なアクション映画としてはみれなかった。
(クエンティン=タランティーノ:監督・2009年・アメリカ)
第二次大戦中の、ドイツが占領していたフランスを舞台に、
ナチによるユダヤ人がりと、
アメリカ軍の特殊部隊によるナチがりをからめている。
パリの映画館で、ドイツ軍の高官があつまっての
上映会をもよおすことになった。
そこでの破壊工作をめぐり、ナチ・特殊部隊・ユダヤ人の
かけひきがくりひろげられる。
タランティーノだから
えげつないシーンがあると予想(期待も)していたけど、
わたしの精神にはおもすぎるグロさだった。
これまでみたことのないタイプの暴力がテーマとなっている。
冒頭で、田舎にある1軒の農家を、
ユダヤハンターの異名をもつ ランダ大佐と部下たちがおとずれる。
農夫は、ユダヤ人の家族をかくまっていた。
大佐は礼儀ただしく農夫にせっしながら、
たくみなといかけで だんだんとおいつめていく。
表情ゆたかな話術はチャーミングですらあり、
じっさいに手をくだす残虐さとのギャップがきわだつ。
この作品の魅力をたかめているのは、
ランダ大佐の いかにもナチ的な上品さだ。
アメリカ軍の特殊部隊を指揮するのが
ブラッド=ピットえんじるレイン中尉で、
「ドイツ野郎の頭の皮を100枚はげ」と
およそブラッド=ピットらしくない
残酷な任務を部下にめいじている。
特殊部隊によるナチがりといっても、
対象は ユダヤ人の弾圧にかかわった
ゲシュタボや親衛隊だけではない。
彼らにとって、あいてはドイツ軍の兵士ならだれでもいいわけで、
軍人として勇敢にふるまうドイツ兵にさえ、
たのしみとしてバットをふるい たたきのめす。
戦争だからしかたなくあいてをころすのではなく、
彼らは残虐な行為に爽快感をおぼえている。
ユダヤ人を迫害するナチにやりかえすのだから、
いい気味だと よろこべるかといえば、
そうかんたんに気もちはおちつかない。
レイン中尉は 自分たちを開放したドイツ兵にむけて、
まったくためらわずにひきがねをひく。
彼がどれだけいかれた人間かをみせつけられ、
ランダ大佐はびびっていた。
この作品のあと味が いまひとつすっきりしないのは、
先月パリでおきたテロ事件とかさなるからだ。
映画館に数百人のドイツ軍高官をとじこめて
銃を乱射する場面をみたひとのおおくは、
パリのコンサートホールやレストランでおきた
かなしい事件をおもいうかべるだろう。
戦争中だから大義名分のたつ特殊部隊の行為と、
ISがおこなったテロと どれだけのちがいがあるだろう。
にくいナチをやっつけたと、
素直によろこぶ気にはなれなかった。
彼らはまったくイングロリアス(名誉のない)なやつらだ。
タランティーノ監督は、ただ暴力をえがきたくて
この作品をつくったはずがない。
ユダヤ人を迫害するナチはたしかにひどいけれど、
彼らとおなじように冷酷な行為を、
正義のはずの連合軍がふるっていた。
たとえユダヤ人への迫害がからんでも、
暴力に「ただしさ」はもとめられない。
さいごまでつよくひきつけられる
じょうずにつくられた作品とはいえ、
爽快なアクション映画としてはみれなかった。
2015年12月12日
「グフをフグにする」をきっかけにデイリーポータルZをしった
デイリーポータルZの「よりぬきDPZ」に
「グフをフグにする」がのった。
なつかしい。
きょうねんの6月の記事だという。
わたしがデイリーポータルZに目ざめたのは、
この記事をよんだあたりだったとおもう。
ガンダムにでてくるモビルスーツのグフが、
フグとよくにた名前というのはいかがなものか、
というただ一点を理由に、
ライターのエンドケイプ氏が
グフのプラモデルをつかってフグらしくしあげている。
http://portal.nifty.com/kiji/140610164336_1.htm
そのすこしまえから
「カメムシはパクチーの代わりになるか」などの記事に
よろこんでいたけれど、
はっきりと「デイリーポータルZ」を意識してはいなかった。
それらの意味がなさそうだけどおもしろい報告の数々が、
ひとつの明確な方向性のもとに組織されているとしったのは
「グフをフグにする」あたりだ。
それからは、まいにちかかさずサイトをたずねて
チェックするようになった。
そのうちに、ライターごとの特徴があたまにはいってくる。
それぞれが得意とする分野で、
ことばたくみに どうでもよさそうな実験と観察をくりかえす。
わたしは ふかくおどろきながら しみじみと感心する。
クールジャパンとは、
こうしたサイトがおおくのひとに
よろこばれている状況をいうのではないか。
わたしがなんとか正気をたもてるのも、
デイリーポータルZの存在がおおきい。
11月からきょうまでの40日にかぎって
つよくひかれた記事をかきだしてみると、
・高め合おう涙腺の弱さ
http://portal.nifty.com/kiji/151028194925_1.htm
(なにをみてもないてしまう涙腺のよわさを報告しあう)
・地味な仮装160人のハロウィンパーティー
http://portal.nifty.com/kiji/151107195004_1.htm
(魔女やゾンビではなく、地味な仮装限定)
・100kmを自分の足で走って届けるのと
宅配便で届けるのはどちらが早いか
http://portal.nifty.com/kiji/151106195000_1.htm
・指についたポテトチップスでどれがうまいのか選手権in実家
http://portal.nifty.com/kiji/151110195016_1.htm
・ちくわにはブルーチーズを詰めよ
http://portal.nifty.com/kiji/151111195018_1.htm
・俺を見ろ!おうちでマッドマックス
http://portal.nifty.com/kiji/151102194965_1.htm
カーチェイスを「リアル」に再現
・ど根性大根になりたい
http://portal.nifty.com/kiji/151116195071_1.htm
(アスファルトをやぶってのびてくる植物のたくましさを、
コンクリートを自作して再現する)
・意見がないことを堂々と伝えたい
http://portal.nifty.com/kiji/151119195091_1.htm
(正々堂々と「特に何もありません」と言いたい)
・「チャンピオン」や「りぼん」から国語辞典にのせたい言葉を探す
http://portal.nifty.com/kiji/151125195134_1.htm
・恐怖!食われるガードレール
http://portal.nifty.com/kiji/151126195140_1.htm
(ガードレールにくいこむ街路樹の観察)
・きたなうまい自炊
http://portal.nifty.com/kiji/151126195150_1.htm
(みるからにきたならしくてまずそうだけど
おいしかった自炊料理の写真)
・野外で使えるこたつをつくった
http://portal.nifty.com/kiji/151207195227_1.htm
どれもわたしにはおもいつかないゆたかな発想であり、
それでいて、根っこはぜんぶつながっている。
わたしがみすごしているだけで、
おもしろさって、そこらじゅうにころがっているのがわかる。
すべては「グフをフグにする」からはじまった。
「グフをフグにする」がのった。
なつかしい。
きょうねんの6月の記事だという。
わたしがデイリーポータルZに目ざめたのは、
この記事をよんだあたりだったとおもう。
ガンダムにでてくるモビルスーツのグフが、
フグとよくにた名前というのはいかがなものか、
というただ一点を理由に、
ライターのエンドケイプ氏が
グフのプラモデルをつかってフグらしくしあげている。
http://portal.nifty.com/kiji/140610164336_1.htm
そのすこしまえから
「カメムシはパクチーの代わりになるか」などの記事に
よろこんでいたけれど、
はっきりと「デイリーポータルZ」を意識してはいなかった。
それらの意味がなさそうだけどおもしろい報告の数々が、
ひとつの明確な方向性のもとに組織されているとしったのは
「グフをフグにする」あたりだ。
それからは、まいにちかかさずサイトをたずねて
チェックするようになった。
そのうちに、ライターごとの特徴があたまにはいってくる。
それぞれが得意とする分野で、
ことばたくみに どうでもよさそうな実験と観察をくりかえす。
わたしは ふかくおどろきながら しみじみと感心する。
クールジャパンとは、
こうしたサイトがおおくのひとに
よろこばれている状況をいうのではないか。
わたしがなんとか正気をたもてるのも、
デイリーポータルZの存在がおおきい。
11月からきょうまでの40日にかぎって
つよくひかれた記事をかきだしてみると、
・高め合おう涙腺の弱さ
http://portal.nifty.com/kiji/151028194925_1.htm
(なにをみてもないてしまう涙腺のよわさを報告しあう)
・地味な仮装160人のハロウィンパーティー
http://portal.nifty.com/kiji/151107195004_1.htm
(魔女やゾンビではなく、地味な仮装限定)
・100kmを自分の足で走って届けるのと
宅配便で届けるのはどちらが早いか
http://portal.nifty.com/kiji/151106195000_1.htm
・指についたポテトチップスでどれがうまいのか選手権in実家
http://portal.nifty.com/kiji/151110195016_1.htm
・ちくわにはブルーチーズを詰めよ
http://portal.nifty.com/kiji/151111195018_1.htm
・俺を見ろ!おうちでマッドマックス
http://portal.nifty.com/kiji/151102194965_1.htm
カーチェイスを「リアル」に再現
・ど根性大根になりたい
http://portal.nifty.com/kiji/151116195071_1.htm
(アスファルトをやぶってのびてくる植物のたくましさを、
コンクリートを自作して再現する)
・意見がないことを堂々と伝えたい
http://portal.nifty.com/kiji/151119195091_1.htm
(正々堂々と「特に何もありません」と言いたい)
・「チャンピオン」や「りぼん」から国語辞典にのせたい言葉を探す
http://portal.nifty.com/kiji/151125195134_1.htm
・恐怖!食われるガードレール
http://portal.nifty.com/kiji/151126195140_1.htm
(ガードレールにくいこむ街路樹の観察)
・きたなうまい自炊
http://portal.nifty.com/kiji/151126195150_1.htm
(みるからにきたならしくてまずそうだけど
おいしかった自炊料理の写真)
・野外で使えるこたつをつくった
http://portal.nifty.com/kiji/151207195227_1.htm
どれもわたしにはおもいつかないゆたかな発想であり、
それでいて、根っこはぜんぶつながっている。
わたしがみすごしているだけで、
おもしろさって、そこらじゅうにころがっているのがわかる。
すべては「グフをフグにする」からはじまった。