家のちかくにある運動公園をジョギングしていると、
公園にすんでいるらしい 何匹ものネコにであう。
ネコにごはんをあげにきているひともみかける。
おひるまえには、そうした愛好家と、
ごはんにあつまってきたネコが、
公園のあちこちで食事会をひらいている。
じゅうぶんな食事にありついているせいか、
ネコたちはよくふとり、毛のつやもいい。
公園での生活は、いかにもストレスがなさそうで、
ネコたちはゆったりとくつろいでいる。
外国の公園などでは よくみかける光景だけど、
日本でこれだけリラックスできる環境は
あまりないのではないか。
わたしはネコがすきなので
ネコがいごこちよくすごせるのはうれしいし、
エサやりにくるひとをありがたくおもう。
とはいえ、なかには「エサなんかやるな!」と
反対するひともいるのではないか。
はしりながら 愛好家と反対派とのトラブルを 心配したりする。
ネットをみると、その運動公園は
「地域猫」のとりくみをしているそうだ。
「人間と動物が、共生できる環境づくりにご理解とご協力を」
とかかれたフダがはられている。
禁止どころか奨励されているのだから、
エサをやるひとたちに
うしろめたさはないのかもしれない。
ただ、日本人はこうした「環境」について
ぼんやりした状態にほっておくのが苦手なので、
なにかとややこしいことになりそうな気がする。
しっかり避妊手術をしろとか、
エサをやるだけなんて無責任だとか、
うるさいはなしがでてこないだろうか。
わたしはひとから干渉されたくないので、
ひとにもああだこうだいわないようにしている。
エサをやりたいひとが、かってにやっているのだから
ほっとけばいいとおもうけど、
しろ・くろをつけたがるひともいる。
そういうひとは、自分にとってのただしさを
まわりにも もとめがちだ。
公衆道徳や、動物とのただしいつきあい方、
なんていいだすと めんどくさい。
ベストの状態をつきつめてめざすのではなく、
もっと無関心に、たかだかネコのことだからと、
あたりまえに「共生」できたらいいけど。
運動公園のネコたちは、これからも「地域猫」として
のんびりすごせるだろうか。
ネコがしあわせにくらす公園を、市民として自慢したい。
でも、ネコ公園としてうりだすのはやりすぎだ。
ごくあたりまえの共生がのぞましい。
それがむつかしいからこそ、自慢できる公園となる。