2015年12月05日

快楽のためのジョギング

ジョギングをしたあとで
ときどきものすごくいい気分になるときがある。
筋トレでからだをうごかすたのしさとはちがい、
かるい負荷をながくつづけたときにだけ、
なんともいえない爽快感をもたらしてくれる(いつもではない)。
ランナーズ・ハイほどすごいトリップではなく、
もうすこしささやかなしあわせだ。
なにか特殊な物質が脳に分泌されるのだろう。
この快感をあじわうために、
わたしは はしっているようなものだ。
はしると気もちがよくなることに、
人類はいつごろから気づいたのだろう。

たとえば、江戸時代に
ジョギングをたしなむひとがいたとはかんがえにくい。
はやおきしたり、仕事のあとで時間をみつけ、
町や野道をはしったりすれば、
まわりのひとからへんな目でみられたことだろう。
かなりひとめをひきそうだ。
縄文時代だって、獲物をおいかける以外の目的で、
たのしみとしてはしるひとがいたとはおもえない。
短距離を全力ではしるのは だれでもできるけど、
ゆっくり・ながくはしる場面はそうおおくない。

古代ギリシャやローマ時代などになると、
兵士の訓練として はしっていたのは想像できる。
ちからくらべみたいなかたちで、
だれがいちばんはやいかをきそうこともあっただろう。
じっとしていては はやくなれないから、
ライバルにかつために、はしってからだをきたえる。
しかし、快感のためにはしるようになったのは
いつのころからだろう。
健康やダイエットがおもな目的となるまえ、
純粋に快楽としてのジョギングの起源はいつか。

わたしからすれば、健康のほうが副産物だ。
ダイエットと関係なくても、
プロポーションにむすびつかなくても、
競争相手にかてなくても、
きのうの自分よりえらくなれなくても、
余命3ヶ月になっても、
わたしはただ快感のためにはしるだろう。

そうおもえるぐらい気もちよくて、
習慣になるのだから、
これはある種の中毒かもしれない。
酒やタバコにくらべてからだにいいのはたしかだし、
お金もかからないから 魔法みたいなききめだ。
ことしになって、すこしぐらいカゼをひいていても
はしると調子よくなるのもわかった。
薬の役わりをはたすみたいだ。
中学のとき、水泳部の活動で、
熱があっても「およげばなおる!」と
やすませてもらえなかったのをおもいだす。
症状にもよるけど、「およげばなおる」はほんとうだった。

快楽の種類としてはダウン系だ。
気もちよくなっても、
それを自分のなかだけでかみしめる。
しばらくすると はしったつかれがやってきて、
ますますなにもできなくなる。
そとにむけて あかるくはしゃぐような余力はない。
ジョギングした気もちよさから
うっかりミサイル発射のボタンをおしたりのミスは
まずおこらない。
ジョギングは世界平和にも役だちそうだ。

posted by カルピス at 15:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする