福岡正信さんの自然農法による米づくりでは、
かりとった稲わらを、ぜんぶ田んぼにばらまく。
ワラをきって堆肥をつくったりせずに、
ながいままのワラを田んぼにかえすことで、
つぎの年の栄養分になるからだ。
いや、栄養分なんてとらえ方が
いかにも科学的な知識にたよろうとしていて、
自然農法らしくない。
その田んぼでそだったものが、
その場所でくちおちていくのは当然のながれであり、
そのワラによっていきものの活動がさかんになる。
それらを全部ひっくるめてなりたっているのが自然農法だ。
ワラにはまだモミのついた穂がいくらかついていたので、
それをあつめて庭においておく。
たべものがみつけにくい冬には、
スズメたちにとって またとないごちそうになるだろう。
わたしは自分の善意に 自分でいい点をつける。
もしかしたら、おおきいツヅラとちいさいツヅラのうち
どちらかをえらんでください、
なんて展開になるかもしれない。
でも、まったくではないにしろ、
スズメたちはそんなによろこんで かけつけてはくれなかった。
ネコがいる家だとスズメ社会にしれわたっており、
警戒してるのかもしれない。
庭においてから 10日たっても
まだいくらかモミがのこっているくらいだから、
スズメにとって たいして魅力的でない「ごちそう」のようだ。
このさむい季節に、スズメたちはなにをたべているのだろう。
虫はいそうにないし、木の実だって
どこにでもはえているわけではない。
スズメというと、どこにでもいる
地味な野鳥というイメージがあるけれど、
その姿をしっているだけにすぎず、
どんな生活をおくっているかについて、
わたしはまったくしらない。
気まぐれに ほんのすこし おやつを用意したからといって、
ありがたがるスズメたちから
おんがえしまで期待したわたしは
めちゃくちゃ自然界をあまくみている。
カメやスズメがおんがえしをするのは、
人間がつくったものがたりのなかだけだ。
動物たちは、おんがえしに まったく関心がない。
いっしょにくらしているピピ(ネコ)だって、
いくらわたしが誠意をつくしても、
基本的に自分の都合だけで生きている。
犬はどうか。犬におんがえしの意識があるだろうか。
すこしまえにみた映画『ペイ・フォワード』は、
みかえりを期待しないで善意をほどこす運動だった。
善意をうけたひとは、直接おんがえしをするのではなく、
そのバトンをべつのだれかにわたすことにより、
善意の波がひろがって、社会がかわっていく。
もしかしたら、動物たちは おんがえしではなく、
ペイ・フォワードの論理で生きているのかもしれない。
自然農法とは、ペイ・フォワードのことなのかもしれない。