『48時間』(ウォルター=ヒル監督・1982年・アメリカ)
録画してあった『48時間』をなんどかにわけて
こきざみにみた。
つまらないから「こきざみ」なのではなく、
もうなんどもみてきた なじみの作品だからだ。
ひさしぶりにみると、30年まえにおどろいた
かるさとスピード感は そんなにせまってこないけど、
むかしながらのローカルにとどまっている
犯罪者・警察の雰囲気がなつかしくなる。
この作品のキモはしょぼさだ。
刑事のジャック(ニック=ノルティ)は
脱獄した凶悪犯に仲間の刑事をころされる。
操作の手がかりに、ジャックは48時間限定で
レジー(エディー=マーフィー)を刑務所からだし、
犯人たちをおいかけていく。
まだタイプライターをつかっている時代の作品だ。
ゴリゴリおしていくしか能のないジャックに、
はじめぜんぜん共感できないけど、
このひとにはこのやり方しかないんだと、
だんだんいいやつにおもえてくる。
彼はむかしながらのやり方をかえるつもりはない。
あたらしいものになじめない。
仕事ちゅうにウィスキーをのみ、タバコをすいつづけ、
でもそれなりに筋はとおしていく。
単純なストーリーのはずなのに、
いったいいまなにをしてるのかがわからなくなってくる。
犯人をおっているのか、人質をたすけたいのか、
金をとりもどしたいのか。
でもまあ、わからないのが たいして気にはならない。
ジャックとレジーのコンビが、
ギクシャクしながらうごきまわるようすは、
ボーっとしながらみていてもたのしい。
なんどもおいつめながら、そのたびに犯人をとりにがす。
ジャックはボスにさんざんののしられ、
レジーを刑務所につれもどそうとする。
さいごにふたりがバーでおわかれするときがすきだ。
さんざんおっかけたけど、つかまえられっこないから、
もうやめようと、さっきまでレジーはいっていたのに、
そうだな、これからおまえをムショにおくらないといけないし、
とジャックがいうと、
レジーがコロッと態度をかえて 捜査のつづきにむかおうとする。
どんなにトホホな捜査でも、
刑務所にはいっているよりマシだ。
音楽がいい。
「(The Boys Are) BACK IN TOWN」(ブライアン=オニール)が
ガンガンながれるなか、レジーがはりこみをしているところ。
この曲は、エンディングにもながれてきて、
作品のかるくてローカルな世界観をあらわしている。
さいごの場面では、とりもどした金を
ぜんぶレジーにやるとジャックがいう。
そのかわり、あたらしい車をかうから2000ドルかせ、
というのが しょぼくていいはなしだ。
ジャックがいまのっているでかいコンバーチブルは、
ただであげるといわれても
おことわりしたくなるほどボコボコだ。
あんなのにのっていたら、人生をななめにみたくもなるだろう。
それなのに、つぎにかう車が
またコンバーチブルというから、どこまでもこりないおっさんだ。
このひとは、ずっとこうやって
底のほうで刑事をつづけていくのだろう。
それが自分だと ジャックはわりきっている。
完全なB級映画だとおもってたけど、
監督がウォルター=ヒルなので、
まったく期待されなかったわけではないだろう。
それにしてはやすっぽいつくりで、
B級ならではのしょぼさとかるさが魅力になっている。
エディー=マーフィーのデビュー作なのだそうだ。
これからのしあがろうとするエディー=マーフィーが
ギラギラしている。