(椎名誠・早川書房)
椎名さんが体験してきた不思議なできごとや、
これまでによんだおもしろ本が紹介されている。
『SFマガジン』に隔月で連載されているエッセイ
「椎名誠のニュートラルコーナー」をあつめた一冊だ。
おもしろいはなしをあつめたのだから、
おもしろいにきまっているし、
それをまたこうしてブログにかくのは
あまりにも安易でずるい気がするけど、
興味をひかれたんだから、これでいいんだと、ひらきなおる。
透明人間と、地球が直径1メートルの球だとしたら、
というはなしが そのなかでもとくにかんがえさせられる。
透明人間になれたらさぞたのしいだろうと
だれもがいちどはおもったことがあるのではないか。
『透明人間の告白』(H=F=セイント)をよむと、
透明人間も あんがいたいへんそうなのがわかる。
たとえばハンバーガーをたべたりしたら、
それが完全に消化されるまでは
物体としての形をたもっているわけだから、
はたからみると かなり気もちのわるい光景となる。
椎名さんは透明人間ならではの問題を、
さらにエスカレートさせて心配する。
うんこについてだ。
トイレをさがさなくても、透明人間なのだから
どこでうんこをしようが ひとからはみえない。
ひとまえでうんこするのは、
まちがいなく かなりかわった気分があじわえそうだ。
こまるのは、うんこはみえなくても、
紙でおしりをふこうとしたときは、
紙がただよっているのがひとにはみえてしまうので、
ゆっくりおしりをふいている余裕などないわけだ。
さらに、そのうんこをふんずけるひとがいたら、
かなり悲惨さ状況になる、というのが椎名さんの指摘だ。
だれかが散歩していて、なにもふんでいないはずなのに、
なんとなくニュルッとしたかんじがする。
指でさわってみると、なにやらクツについているようで、
確認しようと指を鼻にちかづけたときに、
なにもみえないけど、あきらかにうんこをふんづけたことをしる。
まったくよけいなお世話でしかないけど、
椎名さんにいわれるまで 「うんこ問題」のたいへんさを
わたしはみのがしていた。
うんこはみえなくても、ひねりだせばにおいがただようだろうから、
そこらへんの道ばたでやるよりも、
トイレでうんこをしたほうが安全だ。
トイレだったら、トイレットペーパーだけがひらひらまっている
おかしな光景をひとにみられる心配もない。
しかし、せっかく透明人間になりながら、
トイレでうんこをするなんて すごく不自由なはなしだ。
透明人間にもしなれたとしても、
アドバンテージはかなり限定的なのではないか。
『地球がもし100pの球だったら』(永井智哉・世界文化社)
にたとえられている地球も刺激的だ。
地球が100p、つまり直径1メートルだったらそれを覆う大気は1ミリしかないのだ。一番高い山エベレスト登頂は0.7ミリ。一番深い海溝は0.9ミリしかない。(中略)
この惑星の水の全体の量は660cc。その殆どは海水で、淡水はわずか17cc。そのうち12ccは南極や氷河などで凍っており、循環している淡水は5ccしかない。スプーン1杯の量である。
椎名さんが気づいた「やるせない現実」とは、
この17ccの淡水は、これ以上ふえることなく
ずっと17ccのままという事実。
それなのに、文明がすすむにつれて
貴重な淡水は加速度的に汚染されている。
すでに国家的に「水不足」となっていて、よその国から水を輸入したり、あるいは「盗む」ことなども行われている。
日本の水は、外国の企業が自由にかいしめられるそうで、
中国などは、日本の水に目をつけて、
将来的な戦略をねっているかもしれない。
そんなことになってはたいへんなので、
いまのうちになんとか手をうたなければならない。
はなしのながれからいって、
ここは当然 透明人間のでばんだ。