2016年01月27日

くだり坂がにがて

きゅうな坂道をマウンテンバイクでくだっていると、
なんてことないフツーの自転車にのったおじさんに
あっさりぬかれた。
わたしはとくにいそいでいなかったけど、
そのおじさんにしても あたりまえに自転車をこいでるだけだ。
スポーツ車が業務用っぽい自転車にぬかれるのは
なんだかかっこわるい。
ゆっくりはしるランナーとして、
ぬかれるのになれているわたしでも、すこしがっかりする。

そういえば、自動車を運転していても、
わたしはくだり坂がにがてだ。
ふつうに運転しているぶんには、わたしはわりとうまい。
駐車場にいれるときは たいてい一発できまるし、
坂道をのぼるときも キビキビとカーブをまがる。
それなのに、きゅうなくだりになると、
とたんにうしろの車がせまってきて、
わたしの のろさにいらついているようすをみせる。
のぼりはそんなことない。くだりだけだ。
テクニックはあっても、勇気がないのだろう。
自分ではふつうのつもりでも、
おもわぬかたちで馬脚があらわれる。
馬脚があらわれたら なんだかはやそうだけど、
もちろんこの場合は、ことわざとしての馬脚だ。

ジョギングのときは、ゆっくりはしっているのだから、
うしろからきたランナーにどんどんぬかれていく。
自分のおそさにひらきなおりつつ、
それでいて、オヤジが健康づくりにはげんでいるのではなく、
アスリートがトレーニングをしていると
かんちがいしてほしいのだから、
もと運動選手の心理はややこしい。

・ていねいなウォーミングアップ
・リハビリちゅうの長距離ランナー
・長距離ランのさいごの1キロ

にみられないかと、期待しながらゆっくりはしる。

ジョギングをしていてこまるのは、宅配のおにいさんや、
なにかいそぐ用事があるのか、こばしりに道をいく女性、
家族で散歩ちゅうに かけだした子どもなどが、
わたしよりもはやく かろやかにはしっていくときだ。
トレーニングの服装をしているわたしが、
ふだん着の彼らにぬかれるのは あまりたのしくない。
余裕のないわたしのはしりにひきかえ、
「ちょっとさきをいそぐひと」のはしりにはバネがあり、
はしることが 生まれついてそなわっている能力だとかんじさせる。
そなわってないのは わたしぐらいだ。

posted by カルピス at 11:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする