2016年01月31日

ローテーションのやりくりに手あみのセーター

1月からこれまでとちがう部屋ではたらくことになり、
からだと頭がおちつくのにしばらくかかりそうだ。
こんどの部署には女性職員がおおく、
かっこをつけたいわけではないけど、
これまでのようにおなじ服をずっときたまま、
というわけにはいかないような気がする。
これまでは、ジーンズだったら冬は2ヶ月、
フリースでも1ヶ月は平気でおなじものを身につけていた。
もちろん下着は毎日かえるけれど、それ以外の服は、
汗をかいたり ひどくよごれたりしないかぎり、
ぜんぜん気にせずに着つづけてきた。
ダサイのはしょうがないとしても、
不潔とかバカ、あるいは
もっとひどいことをおもわれたら かなしいので、
くるしいローテーションを楽にするために、
手もちの服をかきあつめる。

スーツにネクタイで職場にかようサラリーマンは、
毎日ワイシャツをかえるのはともかく、
スーツは最低限の枚数でまわしているはずだ。
それですむのだから、
こんなことならエリートサラリーマンになればよかった。
わたしがつとめる介護事業所は、普段着が仕事服であり、
普段着のもちあわせがきわめて貧弱なわたしはこまってしまう。
ジャージはあまりにも介護事業所っぽく、利用者に失礼ということで、
社会人としておおきくはずれないカジュアルさが
暗黙のうちにもとめられている。
ジャージにフリースでいいのだから、
これをたいへんだというほうが ほんとうはどうかしているのだけど。

『フランス人は10着しか服を持たない』は、まだよんでない。
島根のいなかものからみると、
京都のひとはなにをやっても格好がつくのとおなじように、
フランス人、とくにパリジェンヌは
どんな安ものや ダサイ服でも、それなりに着こなしそうだから、
あんまり参考にならない気がする。
それに、いまはむしろ日本の女性たちのファッションを、
フランス人がまねしたがっているのではなかったか。

とにかく、いまさらユニクロにはしるのもなんなので、
もうすこしローテーションのあたまかずをそろえようと
タンスにしまいこんである ふるいセーターをひっぱりだした。
配偶者がまだわたしと結婚するまえに
プレゼントしてくれた手あみのセーターだ。
手あみを自慢したいわけではなく、
ほかにきるものがなかったのだからしかたない。

小倉千加子さんの『女の人生すごろく』には、
おつきあいパッケージといういい方で、
だれもがマニュアルにそって、
おなじような恋愛をしていると指摘してある。
最初から彼女たちには、おつきあいパッケージというのがちゃんとあって、そのパッケージの中にポソッと入っただけなんです。

もっとも、これは1990年と ずいぶんまえに出版された本で、
いまではちがうパッケージがでまわっているのだろう。
わたしや配偶者がわかかったころは、
おつきあいパッケージにそって
セーターをおくるというのが、わりと一般的だった。
配偶者(そのころはまだ結婚していない)に
おつきあいパッケージのはなしをしたら、
ほんとに セーターをプレゼントされた。
彼女の気もちに水をさしたようで なんだかもうしわけなかった。

パッケージにそってつくられたセーターを職場にきていくと、
すぐに「手あみ」をみぬかれる。
いいわけしなくてもいいのに、なんだかすごくはずかしい。
パッケージのはなしをしても、
いまのわかいひとにはつうじそうにないので、
バツのわるさにたえるしかない。
手もちの服がすくないと いろいろたいへんなのだ。
もっとも、手あみのセーターは
いまではあまりにも別世界のプレゼントで、
わかいひとたちには「ぜんぜんわからない」みたいだ。
かえって家のなかでむかしのセーターをきるほうが
よけいな気をつかってしまう。
やっぱりエリートサラリーマンになればよかった。

posted by カルピス at 23:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする