ケガが化膿したために食欲をなくしたピピは、
ウエストが片手でにぎれるほどほそくなった。
ベッドにもとびあがれず、
ツメをたてて なんとかはいあがる。
しかし、そこからがピピのすごいところで、
お医者さんにつれていき、ケガがよくなると、
それまでの2倍のごはんをたべるようになり、肉づきもよくなった。
体調がいいと、おしっこをトイレシートでする回数がへり、
ちゃんと自分でトイレへいくようになった。
「衣食たりて礼節をしる」は ほんとうだった。
生活の質は体力がにぎっている。
からだに栄養がいきわたれば、状況は劇的にかわる。
とおもって気をゆるめていたら、
ピピが ふとんのうえでおしっこをした。
自分でトイレにいけるのに、
わざとふとんのうえにあがってのおしっこだ。
わたしはキレてしまった。
ふとんにもぐりこみ、ピピのもとめにたいし、
すべてしらんぷりをする。
ピピがわたしのそばにこようとしても、すぐに床のうえにもどす。
ピピはふとんのなかにはいろうと なんどもくりかえす。
そんなことをつづけているうちに、ピピのツメがふとんにひっかかり、
ちからずくではがすと、ほうりなげるかたちになってしまった。
あんなにだいじにしていたピピを、わたしがなげだすなんて。
ピピにたいして、そんないじわるをする自分にショックをうける。
いいわけをさせてもらえば、
夜になんどもおこされるのにたえられなくなった
いわば介護づかれだ。
梅棹忠夫さんが、探検隊が個人用のテントをもつことについて、
下記のようにかいている。
(一人一人が個人用テントをもつことは)個人の精神衛生を保つためにも、隊員間の平和を維持するためにも、経験的に言って最も有効な方法である。(中略)共同生活が長くなれば、波と波がぶつかりあって、しぶきを散らす機会も出てくる。そんなことは、探検心理学の対象となる自然現象であって、道徳の問題ではない。自然現象に対しては、技術的な処理が可能であり、かつ必要なのである。(『モゴール族探検記』)
・気もちのぶつかりあいは、道徳の問題ではなく、自然現象である。
・技術的な処理が可能であり、かつ必要である。
探検隊のテントも、ピピの介護も
さらにいえば、人間の介護の現場だって、きっといっしょだ。
「自然現象に対しての技術的な処理」が
なおざりになると、介護する側も される側も不幸となる。
グループホームや家で虐待がおこるのも、
介護が道徳の問題にすりかえられて、
しくみのうえで適切な処理がほどこされていないからだ。
密室にならないよう、ひとの目がはいるようにしたり、
相談できるひとがいる体制づくりが、
探検隊における個人用のテントの役割をはたす。
からだやこころがつかれはてた職員ひとりに、
ながい時間の介護をおしつければ、
自然現象として問題がおきてくる。
そんなことは わかっている、と
現場の介護職員はいうだろう。
すくない職員体制で、ながい時間はたらかざるをえないのが、
いまの介護状況なのだ。
職員の数をふやし、待遇をよくすることでしか、
根本的な解決は はかれないだろう。
50年前におこなわれた探検で、
すでに隊員の精神衛生がまもられていたのに、
2016年において いまだに介護職員のこころの安定は
じゅうぶんにかえりみられていない。