「オトナになった女子たちへ」というコラムがあり、
伊藤理佐さんと益田ミリさんが
交代で記事をよせている。
きのうは伊藤さんの番で、
タイトルは「がんばっちゃった」。
がんばるべきときに「がんばった」のではなく、
がんばってはならないのに「がんばっ」てしまったはなしだ。
がんばらないように「がんばる」には、どうしたらいのか。
これでは いったいなんのことだか
わからないだろう。
もうすこしくわしく説明すると、
伊藤さんは子どものためにお弁当をつくっており、
夫であるヨシダサンが
あまったおかずや、子どもがのこした朝ごはんを
ちいさなタッパーにつめようと 公園のハトがエサをねだるみたいに
(「ハトな仕草」とかいてある)
伊藤さんのすぐうしろでまっているそうだ。
おかずのきれはしを、ごはんのうえに
ぞんざいにならべるだけなのに、
ちいさないれもののせいか、すごくかわいくみえるという。
ツイッターでも評判になるほどで、
伊藤さんがそのタッパーを、しりあいにもみせようとしたら、
ヨシダサンがおもわずがんばってしまい
フツーのお弁当にすぎなくなってしまった。
ミニチュア感を出していた米粒が、そぼろたっぷりで見えていない。そぼろには手間感があって残り物感ゼロ。「喜ばしたい」が入っているのに「できることをできるだけしない」がなくなってて、この「ちゃんとしててつまらない」って、なんだろう・・・。
「次回はがんばらないように、がんばります」
がシメになっている。
わたしの存在が世のなかでいかされる場面があるとしたら、
この「できることをできるだけしない」だとおもった。
ちゃんとしたらつまらなくなるものが たしかにある。
あってほしい。
本気度のたりないわたしは、
「ちゃんと本気でやれよ」という雰囲気をかんじると、
いっぺんいしおれてしまう。
テキトーにやってこそ うかぶ瀬もあるのだ。
わたしに気をつけられるのは、
「がんばらないように、がんばる」しかない。