ピピがときどきおしりのあたりから血をだす。
血尿だろうか。
いよいよさいごのときか、と観念していたら、
キズがウミをもち、そこをおおっていた皮膚がずるむけして
血のまじったウミがでていたのだった。
おそらく外でケンカをしたときのケガが原因だ。
口内炎で、まともにごはんをたべられず、
足もとがふらふらでトイレにいけなくなり、
やせほそり、かたてでつかめるほど ほそいウエストで、
トイレシートではおしっこがまにあわず なんどもふとんをよごし、
口もとやハナの穴のまわりに かさぶたがはりついて、
どうみても 死にかけている年おいたネコなのに、
それでもまだ そとにでてケンカをし、
ケガをするほどたたかわなければ、
ネコはネコとして生きれないのか。
ネコの野性にあきれはてる。
とりあえず消毒液をかけてオロナイン軟膏をぬる。
ウミがでて ずるむけになっている皮膚が
このていどの治療で再生されるとはおもえない。
あさってのやすみの日に、病院へつれていくことにする。
口内炎でやつれはてたピピをつれて病院へゆき、
治療の目的がしっぽのケガとしったら
病院の先生にあきれられそうだ。
柔道の山下泰裕選手をおもいだす。
いや、おもいだすのは
ロサンゼルスオリンピックの決勝でたたかった
ラシュワン選手(エジプト)だ。
2回戦でふくらはぎの肉ばなれをおこした山下選手は、
足をひきずって決勝戦にのぞんでいた。
ラシュワン選手は、いためている足をねらわずに、
正々堂々とたたかった、という美談がつたえられている
(そうした事実はない、という説もある)。
ネコの社会は、このようなフェアプレーの精神とは無縁みたいだ。
へろへろにしかうごけなくなっている
年配のネコにむけてツメをたてるとは、
なんという無慈悲できびしい世界か。
それにしても、ろくにからだがうごかないのに
そとにでて よそのネコと一戦をまじえるピピにも
つよく反省をもとめたい。
そんなげんきがあれば、トイレシートでなしに
ちゃんとトイレでおしっこをしてほしいし、
わざとふとんのうえでおしっこするのは いかがなものか。
ネコたちの優先順位は、人間の合理的な価値観からすると
まったく うけいれがたい。
ケンカをするのは 病気をなおしてからにすればいいのに、
すこしでも エネルギーがたまってくると、
そとにでないわけにいかず、
そとでほかのネコにであえば
「こんにちは」くらいではおさまらない。
いっぽうがよわっていると、
なおさらつけこんだり、つけこまれたりしやすいのかもしれない。
お天気の日にグータラしているネコをみると、
ネコに生まれなかったのをくやみたくなるけど、
ネコがネコとして生きるのは
けしてたやすいことばかりではなさそうだ。
それでもピピはそとにでなければならない。
からだがすこしでもうごくかぎり、へろへろでもそとにででるのが、
ピピにとっては ネコとして生きたあかしのようだ。
もうそろそろおむかえか、となんどもおもいつつ
ピピの「さいご」は 予想外に ながくつづいている。
ピピとのおわかれをまえにして、
しんみりよりそっているつもりなのに、
ピピはネコであることを 絶対にやめたりしない。
あくまでネコとして生きるピピの頑固さに あきれはてている。