2016年03月14日

中高年期をむかえた元ボクサーたちの実力は?

朝日新聞に連載されている『春に散る』(沢木耕太郎)には、
もとボクサーたちのシェアハウスがでてくる。
わかいころおなじジムに所属し、
チャンピオンをめざして
トレーニングにあけくれていたボクサー4人が
40年後にふたたびあつまって
シェアハウスでいっしょにくらすようになる。
4人が再会をいわって食事をしていると、
町のチンピラがからんできてケンカになった。

元ボクサーだけあって、
4人はチンピラをまったくよせつけず
(ひとりは最近まで現役だったボクサーなのに)、
かんたんにうちのめしてしまうのだけど、
じっさいにそんなかっこよく はなしがすすむのだろうか。
いくらわかいころは それなりにつよかった4人とはいえ、
それは40年以上まえのはなしだ。
そのあとながいあいだ不摂生をつづけていた身なのに、
一瞬の技とはいえ、むかしとおなじキレを
たもてるわけがないようにおもう。

ひとりは引退後に自分でジムを経営していたので、
すこしぐらいはトレーニングをする機会があっただろうけど、
主人公の広岡は心臓発作をおこし、
いつたおれるかわからない状態だ。
のこるふたりは 日常的に
からだをきたえているようにはみえない。
おやじ体型となり、パンチのキレも
ボクサーだったころとはくらべようもない(はず)。

わたしが自分のからだにかんじるのは、
いくらむかしはそれなりのレベルにたっしていても、
年齢をかさねるうちに 実力はどんどんおちるきびしい現実だ。
50歳をこえるころには 頭がえがくフォームと、
じっさいの競技力との差がおおきくひらいてゆく。
むかしの貯金でなんとかやっていけるのは、
いいとこ30代までであり、
『春に散る』の4人がいまもまだつよいままなんて、
虫がよすぎるはなしではないのか。

わたしは沢木氏に、もうひとつの『春に散る』を提案したい。
チンピラたちにからまれた4人は、
むかしとった杵づかで、かっこよく相手になるのだけど、
からだはおもうようにうごかず
けちょんけちょんにやられてしまう。
チャンピオンをめざした自分たちが、
わかいだけがとりえのチンピラに まけたままではおわれない。
4人はシェアハウスにこもってトレーニングにとりくみ、
もういちどかつてのコンディションをとりもどしたのちに、
チンピラたちへ もういちど たたかいをいどむ・・・。
なんだか金城一紀の『フライ,ダディ,フライ』みたいだ。
『春に散る』は中高年の夢ものがたりであり、
ありえないはなしにリアリティをもたせるのは、
『フライ,ダディ,フライ』のほうがうまい。

たとえむかしはそれなりにならしたとはいえ、
なにもしないでおいて コンディションをたもてるほど
ボクシングがあまいスポーツとはおもえない。
中高年になった元ボクサーが、
むかしのうごきをとりもどすには
ある期間のハードトレーニングが必要なはずで、
それにうちかってこそ中高年の星となる。
中高年期をむかえた元ボクサーたちの、報告をまちたい。

posted by カルピス at 22:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする