ドル平という泳法がある。
およげないひとが呼吸をマスターするのに
とてもわかりやすいおよぎだ。
足がドルフィンキック、
手のうごきが平およぎににていることから「ドル平」。
ビート板をもってのキック練習が
水泳の基礎とおもわれているけれど、
バタ足をいくらやったところで およげるようにはならない。
およげないのは、呼吸ができないからで、
その呼吸を身につけるのに、ドル平は最適な泳法なのだ。
およげないひとでも、ドル平を説明すると、
クロールよりずっとかんたんに
いきつぎができるようになる。
ドル平にはずいぶんお世話になったので、
わたしはドル平がだいすきなのだけど、
このまえプールでおよいでいたら、
となりのコースに ドル平とよくにたフォームで
「ドボーン、ドボーン」とはでに波をおこしているおじさんがいた。
ドルフィンキックというよりも、ひざをおおきくおって、
はでに水をうちつけている。
となりでおよいでいるわたしは、
なにごとがおきたかとおもえるほど、水中でつよい波をうけた。
宇宙戦艦ヤマトの波動砲をみればわかるとおり、
波はとほうもなくおおきなちからとなって、
まわりにつよい影響をあたえる性質をもつ。
そのひとはもちろん水泳をたのしんでいるのだろうけど、
となりでおよぐものにとっては、
波をおこしてこまらせようとしかおもえないうごきだ。
こういうひとにかぎってものすごく体力があり、
いつまでもやすまずに「ドボーン、ドボーン」をつづける。
プール監視のひとに、へんなおよぎをやめさせるよう
注意してもらおうかとおもった。
でも、水面をみているぶんには、
ほとんど波はあらわれておらず、
水のなかで そんなにつよい波ができているようには まるでみえない。
それなのに、となりでおよいでいると、
まるで荒波にもまれる木の葉みたいに 波にほんろうされる。
オープンウォータースイミングの
練習をしているとおもえばいいんだ、と
いいきかせてみるけど、
それにしてもひどい波なのでうんざりしてくる。
ながいあいだ水泳をやっていながら、
こんなやり方でまわりの迷惑になるひとをはじめてみた。
だいすきだったドル平まで
はらだたしいおよぎにおもえてきた。
でも、冷静にかんがえると、
たかだかひとりのおじさんがおこす波ごときに
およぎをじゃまされるわたしのほうがどうかしてるのだ。
わたしがつよいキックとプルをきかせておよげば、
そんな「ドボーン、ドボーン」にわるさをされたりしない。
それにしてもあのおじさんは、
ドル平もどきのおよぎで なにをしていたのだろう。
まえにすすむ快感よりも、「ドボーン、ドボーン」と
おおきな波をおこすよろこびに ひたっているとしかみえない。
あれはあれで、れっきとした 水泳のあたらしいたのしみ方なのだ。
クロールや平およぎで、ぐんぐんまえにすすむだけが
水泳のたのしさではない。
あのおじさんのように、ただうかびながら
「ドボーン、ドボーン」と波をおこすのも ありなのだろう。
いつまでも嬉々として「ドボーン、ドボーン」をつづけるおじさんは、
これまで水泳といわれている概念から
まったくはなれた たのしみ方を発見したのかもしれない。
あるいは、あんがい別の世界からきたひとだったのかも。