2016年04月10日

バス停のそうじみたいな仕事

バスがわりとおおきなバス停をとおったとき、
ほうきでそうじをしているひとが目にはいった。
県立のホールのまえにあるバス停で、
たくさんのひとが利用するから
そうじもきっとたいへんだろう。

そうじをしていたのは ボランティアのひとだろうか、
それとも委託をうけたどこかの会社なのか。
バス停が混雑する時間をさけたり、
ひどくよごれるまえにそうじにはいったりと、
気もちよくバス停をつかってもらうために、
いろいろなコツがありそうだ。
利用者にこまったクセのひとがいたら その対応だって必要となる。
ローテーションをくみ、そうじの時間をきめたりと、
やらなければならないことが、いくらでもでてくる。
完璧をめざそうとすればきりがない。

でも、もしかしたら、わたしがみかけたとき、
たまたまほうきではいていただけで、
いつもはそうじなんか してないかもしれない。
バス停のそうじ係なんてきいたことがないし。
もともとそうじなんかしていないバス停について
正面からそうじをかんがえたら、
きりのないほど仕事がでてくる。
そうじをしなければ労力はゼロだし
だれもこまってなかったのに、
そうじをしだすと いくらでも労力をすいこまれる。

仕事には、バス停のそうじみたいに、
やってもやらなくても、どうでもいいことが
あんがいおおいのではないか。
そうじをしなくても どうでもいいからやらない、ではなくて、
自分でかってに意味をこめて最善をつくし、
仕事をおもしろくする。
やらなくてもいいバス停のそうじについて、
かんがえにかんがえて、気もちのいいバス停にしていく。
まわりからは労力にみあった評価をうけないけど、
かってに全力をつくす。

・どんな仕事も完璧をもとめるときりがない
・あんがいそれは、やらなくてもいいことかもしれない

ひとりムキになってりきんでいるけど、
まわりからみたら ひとりでからまわりしてるにすぎない。
「どうでもいいことかも」
というカードを 1枚あたまにおいておくだけで、
仕事の奥ゆきがずいぶんちがってくる。
どうでもいいかもしれないことにたいし、
かってに全力をつくすからたのしい。

posted by カルピス at 22:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月09日

ピピのツメをきり、夜中の攻防にそなえる

いつものように夜中ピピにおこされ、
台所へいっしょにいってカンヅメをお皿にととのえる。
ピピをひとりにすると、すぐにたべるのをやめるので、
わたしは ピピがたべるそばで、じっとうずくまってみている。
夜中になんどもおこされるので、ねむくてたまらない。
わたしとおなじように、毎晩ネコにおこされてこまっているひとが、
日本じゅうに たくさんいるのではないか。

ピピは病気になったから こうやって
夜中にひとをおこすわけではなく、
いまおもえば まえからずっとこうだった。
たぬきねいりをしても、
しつこく頭をたたき、顔にツメをたてるので、
どうしてもおきださないといけない。
目をまんまるにして(夜だからあたりまえ)ふとんによじのぼり、
わたしの顔をめがけてちかづいてくるピピは
すごくかわいいけど、たまらないしつこさだ。
ときどき おきるのを抵抗するので、
わたしのからだには あちこちにひっかきキズがある。

ひとりでごはんをたべないのは、
ピピだけの特殊事情というよりも、
おそらくネコ族一般にみられる習性ではなか。
空前のネコブームとなり、日本じゅうで
1300万のネコがいるということは、
わたしとおなじ目にあっているひとが、
すくなくとも人口の1割くらいいるわけだ。
そのひとたちの声が、いまはあまり おもてにあがってこない。
腰痛のひと、偏頭痛のひと、ひざがいたいひとは、
統計として数字が把握されているけど、
ネコに夜中おこされて 睡眠の質がおちているひとの数を
医療機関がどれだけつかんでいるだろうか。
鬱や睡眠障害のかげには、
きっとネコが原因で病状が深刻になるケースがかくれている。
将来にむけた日本人の健康問題は、ネコたちがにぎっている。

それだけたくさんのひとがこまっているのなら、
効果的なたぬきねいりのやり方や、
昼型のネコにそだてる方法、みたいな
マニュアル本があってもおかしくない。
毎晩2〜3回かならずおこされるのは、
適切な睡眠が必要な人間にとって あまりにもたいへんだ。

ネットをみると、夜中におこされてこまる、
というなやみが ほんとうにのっていた。
夜行性の動物として、ネコが夜中におきだすのは
当然の活動なのだろう。
ひるま、ずっとねているのだから、
夜になって うごきだすのは リズムとしてただしい。
しかし、5時くらいに いちどだけおこしてくれるのなら、
朝型の生活にきりかえるいいチャンスと とらえるけど、
毎晩1時・3時・5時の3どとなれば、
ありがたがってばかりはいられない。

具体的な対策として、ピピのツメをツメキリできった。
どれだけいやがるかと、はげしい抵抗を覚悟してたのに、
ピピはまったくいやがらなかった。
ずっとこうしてツメをきってきたようにふるまう。
するどいツメさえなければ、たぬきねいりができる。
ねるまえにしっかりごはんをたべ、
夜はわたしとおなじ時間 ねむってもらおう。
わたしといっしょにねて、わたしといっしょにおきる。
ピピがあたらしい習性を身につけてくれるだろうか。

posted by カルピス at 23:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月08日

北島選手の挑戦に拍手をおくる

日本選手権・競泳(兼オリンピック代表選考会)

5大会連続のオリンピック出場をめざし、
今回の選考会にのぞんだ北島選手。
100メートルでは2位になりながらも
派遣標準記録に0.3秒およばなかった。
今夜おこなわれる200メートル平およぎ決勝に
すべてがかかっている。
場内はピリピリした雰囲気となり、
おおくのひとが北島選手をリオにいかせたいといのる。
しかし、残念ながら5位と きびしい結果におわった。
5位といっても、派遣をきめた渡辺一平選手とは、0.5秒の差しかない。
その0.5秒に、天国と地獄の差がでてしまった。

100メートルでは、2位になりながらも
派遣標準記録に0.3秒およばなかった。
準決勝ですでに標準記録をクリアーしていたことから、
実績のある北島選手をぜひリオへ、という抗議が
水泳連盟に殺到したときく。
しかし、そんなゴリおしをしたら
すべてがグチャグチャになる。

派遣標準記録をとっぱし、なおかつ決勝で2位以内と、
基準がはっきりしめされたなかでの選考会であり、
たとえ北島選手といえども、
水連は特別な枠をみとめなかなかった。
北島選手としても、そうした条件のもと、
真剣に代表をめざしたのだから、水連への抗議はまとはずれだ。
シドニーオリンピックにむけた選考のとき、
千葉すず選手が200メートル自由形で標準記録を突破し、
かつ優勝したにもかかわらず、
当時の水連は千葉選手をえらばなかった。
そんなおかしな選考がかつておこなわれていたことをおもえば、
今回のきびしいけれど 公平な選考はすばらしい。
世界水準をみすえた 水連の意識があったからこそ、
日本の水泳は 国際大会で上位をねらえる たかいレベルにたっした。

レース後のインタビューで、北島選手は
やりきったすがすがしさを かたっている。
もういちどオリンピックへと、
本気でめざした今回の選考会は、
結果がともなわなかったとはいえ、
胸をはってほこれる すばらしい挑戦だった。
北島選手がこれまでにつみあげてきた実績と、
挑戦しつづけた ながい選手生活に 拍手をおくりたい。

posted by カルピス at 22:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月07日

むすこがいないと 献立がきまりにくい

むすこが進学のため広島へいってしまい、
食事をつくる感覚がくるった。
何日かまえには、ハンバーグのつもりでかいものにいき、
きゅうに明太子スパゲッティもいいなーと気がかわり、
なにを血まよったか、いっしょにタジンも、とひらめく。
タジンは45分くらいかかるので、無理なメニューなのに。
タジンといっしょにつくったのが、
きんぴらごぼうにモヤシと高菜づけのいためもの、と
わけがわからない。
これもみんなむすこがいなくなったせいだ。
いなくなれば メニューがきまりやすくなるかとおもったら、
メインがさだまらないまま 混乱してスーパーをうろつく結果、
いつもにまして脈絡のない献立になる。

むすこは部活をしなかったし、塾にもいかなかったので、
夕ごはんの時間になると、家族がいっしょにテーブルについた。
家族の中心は、家長ではなく子どもなのだ。
なにをはなすわけではなくても、
とにかく家族いっしょの食事をつづけてこれたのは
むすこのおかげだ。
むすこがいなければ、きょくたんにいうと
わたしと配偶者、それにわたしの母親が、
のこりものをそれぞれべつべつにたべても(いわゆる個食・孤食)
問題はない。
そうなれば、楽でいいかとおもっていたけど、
いまだにピントのずれたメニューがつづいている。

今夜は小アジのフライをつくる。
町をぶらついていたとき、
居酒屋のメニューがおもてにはってあり、
「いわしフライ」にわたしのなにかが反応した。
いわしフライとフライドポテトにレモンをギュッとしぼり、
パンと白ワインでガツガツたべたくなる。
『異邦人』でムルソーがマソンの別荘でたべた昼食みたいに。

海岸でおよいだムルソーが
マソンの別荘にもどると、ちょうどおひるの準備ができていた。
大へんおなかがすいたと私がいうと、マソンはすぐ女房に、このひとが気に入ったといった。パンがうまかったし、私は自分の分の魚をがつがつたべた。それから肉や揚げたじゃがいももあった。誰もかも、ものもいわずにたべた。マソンはよく酒をのみ、いくらでも私についだ。

きょうのスーパーには、いわしがなくて、
下処理をした小アジが200円ほどでおいたあった。
ゼイゴだけとりのぞき、小麦粉をまぶしてあげる。
じゃがいも4つをフライドポテトにする。
レモンをしぼり、やすい白ワインもテーブルにならべた。

ムルソーがたべた昼ごはんのなかで、
意外と手にはいらないのが
ふつうにうまいフランスパンだ。
きょうはソースとチーズだけのピザをやいて、
フランスパンのかわりにした。
ところどころ『異邦人』とはちがう献立だけど、
イメージのいわしフライが、
現実の夕ごはんになったのに満足する。

今夜のメニューで問題だったのは、
小アジのフライがメインなのに、あわせて
・小松菜とうすあげの煮物、
・白菜の卵とじ
をつくったことだ。
このおかずで 茶わん1杯のごはんをたべてしまい、
魚のフライをガツガツたべるイメージどおりにいかなくなった。
むすこがいない混乱は、まだつづいている。

posted by カルピス at 23:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | むすこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月06日

ものおき小屋が とりあえず完成する

田んぼにつくったものおき小屋は、
まえの作業で いちおうの完成としたものの、
前面にはブルーシートをかけ、
一時しのぎのまま ほったらかしていた。
このままでは雨や風によわく、
なかにしまったものがぬれてしまっては、
いったい なんのための小屋なのか。
なんとか戸をつけないと おわったことにならない。

ふつうなら、ちょうつがいをつけて、
左右の戸がひらくようにするところだけど、
わたしにそんなこまかいとりつけが できるだろうか。
あんがい木材をかんたんにうってミゾをつけ、
そこにコンパネをはめこんでの ひき戸にしたほうが、
構造的にはシンプルかもしれない
(障子やふすまをかんたんにしたつくり)。
いずれにしても、金づちとクギだけでは仕事がすすまない。
職場からインパクトをかり、なんでもできるように準備した。

きのう職場から家にかえるとき、雑談として
小屋の前面をどう処理したらいいか、
大工しごとがじょうずなひとにたずねる。
小屋の設計図をひいてくれたのも おなじひとだ。
わたしとしては ひき戸案にほぼかたむいていたので、
かるい確認のつもりだった。
ちょうつがいがふつうだけど、
あけたり・しめたりを ひんぱんにしないのなら、
コンパネを2枚、ただ 小屋の前面にたてかけるだけでいいかも、と
そのひとは 予想外の方法をしめされる。
わたしの技術力のひくさと、
小屋のつかい方をよく理解した現実的な提案だ。

2週間ぶりで田んぼにいってみると、
小屋の前面にとりつけたブルーシートは
あっけなくクギからはずれ おおきくめくれている。
まったく「戸」の役目をはたしていない。
応急処置のつもりだったので、ショックはないけど、
すこしのあいだなら こんな処置で
雨・風をしのげるとかんがえた わたしがあまかった。

設計者の提案をうけ、
ホームセンターで1枚1100円のやすいコンパネを2枚かい、
小屋の前面にたてかける。
なんとなくかったコンパネなのに、おおきさがぴったりだ。
小屋のまえにおいただけで すこしくらいの雨・風はふせげるだろう。
とはいえ、つよい風がふくときもあるので、
上と下の2ヶ所を、ひもでとめておいた。
小屋の完成.jpg
小屋をつくるときは、柱がヘロヘロとゆがみ、
とても自立しそうにない状態だった。
半分冗談に、いよいよダメなら さいごの手段として
ひもでちかくの木にしばってとめようとはなしていた。
まさかほんとうに ひもをつかうようになるとは すこし残念。

作業時間は20分もかからなかった。
コンパネを ただおいただけなので あたりまえだ。
もしちょうつがいをとりつけたり、
ひき戸をすべらすミゾをつけようなんてしていたら、
半日かけてもおわらなかっただろう。
原始的だけど、故障につよい「戸」を とりつけられて安心する。
今シーズンの米つくりにむけ、
心配ごとがなくなり とりあえず めでたい。

posted by カルピス at 20:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 農的生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月05日

4月からの配置がえでクッキーをやく

4月から配置がえとなり、
きのう・きょうとクッキーをつくった。

ひとつきほどまえ、事業所ではたらいている わかい職員たちは、
来年度にどこへ移動するのか心配そうだった。
年度末に4月からの移動を心配するサラリーマンの気もちが
まえはまったく理解できなかったけど、
いまはわかい同僚たちが まさにそのサラリーマンたちのように
新年度からのうごきを なにがしか気にするようになった。
13年ほどまえに、事業所のたちあげにかかわったわたしとしては、
この事業所が まさかそんな規模になるとはおもわなかった。
配置がえができるほど、おおきな組織になったなんて しんじられない。
かぞえてみると、4つの事業にわかれ、
おなじ事業でも 利用者がふえたところは、
そのなかでさらにまた 2つにわかれたりしたので、
たしかに移動可能ないきさきは、
職員が心配するぐらいにふえた。
そうか、移動する可能性のあるひとは心配なんだな、と
ひとごとにおもっていたら、
わたしもまた あたらしい部署に移動となった。

わたしが4月からかかわっているグループは、
クッキーづくりを中心にしながらも、
年配の利用者が 活動に参加できるような
のんびりした場所にしてほしいといわれている。
そこらへんのニュアンスを、なかなか職員たちが共有できず、
いったいどんなグループをつくっていけばいいのか
たずねるひとごとに いろんなかんがえが交差する。

かんがえようによっては、やりたいことにとりくむチャンスでもあり、
クッキーをメインにしながらも、
あいた時間にタコヤキをつくって おやつにしてもいい。
散歩にでかけたり、外食にもいける。
だれも具体的な姿をイメージしていないので、
なにをやってもゆるされそうなかんじだ。
人数がおおくて目だつ部門だと、
きっちりまともな活動をもとめられて きゅうくつだけど、
わたしがかかわるのは、年配のひとが利用するグループであり、
しっかりはたらいて 達成感を得るというよりも、
ながねん はたらいてきた骨をやすめる場所、と
わたしは解釈している。
わたしもまた そんな一員でもあるので 非常に共感しやすく、
将来のわたしがたのしめるような場所を
ひと足さきに形づくる活動となればいい。
わたしの畑にきてもらって、たとえばえんどうの収穫をみんなでやれば
たのしそうだし、うりものにもなる。
なによりも、わたしがたすかる。

きょうの午後は、ホームセンターへかいものにでかけた。
休憩をとる部屋が、まだととのっていないので、
時計と お茶をのむときのコップやコーヒー・砂糖を
かうつもりだったのに、
いざかおうとすると、たいしたものでなくても数百円もする。
たいていのものは 100均でかえばいい、ということになり、
けっきょく時計と スケジュールをたてるのにつかう
ホワイトボードだけのかいものにおわった。
必要なものは どんどんかおうといいながら、
いざかうとなると なんだかもったいいない。
家にあるものを もちよったり、
ほかの部署にあまっているものを もらうことになる。
そういえば お金をけちってスタートさせたね、と
5年後になつかしくおもいだすような、
ゆたかな精神にもとづく 断固としてテキトーなグループにしたい。

posted by カルピス at 23:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月04日

スリランカ料理めあてにでかけて うどんをたべる

勤務先の事業所を利用するHさんに つきあってもらい、
なじみのスリランカ料理の店へ。
仕事としての余暇支援ではなく、
純粋に「友だち」としてのつきあいだ。
わたしとHさんの両方が、そのスリランカ料理の店を気にいっており、
おいしくたべて おしゃべりもたのしめることから、
半年にいちどくらいのわりあいで いっしょにでかけている。
スリランカ料理といっても、とくにきどったお店ではなく、
スリランカの家庭料理は こんなかんじだろう、とおもえるような、
季節の野菜をつかった さりげないカレーをたべさせてくれる。

ところが 今夜たずねると、営業日が変則的になっており、
月曜日の午後はうどん屋さんにかわっていた。
そこらへんのこまかい事情はよくわからないけど、
うどん屋さんの店長は、スリランカ料理店とおなじひとだ。
うどん屋をするときは、スリランカ料理の店の となりの店をあけ、
うどん屋さんだけの営業となる。
カレーをたべるつもりででかけたのに、
きゅうにうどんといわれても、なかなかからだが対応できない。
それでも、料理をたべるだけでなく、
お店をたずねる理由の半分くらいは
お店のひとにあいたいからなので、
スリランカ料理をあきらめ うどん屋さんにはいる。

お店はレトロな雰囲気をコンセプトに、
ブラウン管のちいさなテレビがおかれ、
あかりには 暖色系の白熱灯がつかわれている。
たまたまナツメロの番組をやっていたこともあり、
お店のなかはすっかり昭和調だ。
うどんをすするのには ふさわしい演出かもしれない。

わたしにつきあってくれたHさんは、
店長や お手つだいの女性との おしゃべりが目あてだ。
はじめはお店がすいていて、
むかしのテレビ番組などを話題に 機嫌よくはなしかけていたけど、
そのうちお客さんでカウンターがいっぱいになる。
どうもHさんは商売繁盛の福の神のようで、
今夜だけでなく Hさんさんといく日は
しばしばこういうことがおきる。
店長が本格的にいそがしくなってきたので、
Hさんとしては不本意なはやい時間に われわれは店をあとにした。

Hさんがつぎにまわったのは、ちかくの駅にある足湯だ。
足湯をたのしみたい、というよりも、
パターン化したうごきを なぞりたい傾向がHさんにはあり、
わたしとしても そこがHさんといっしょにであるく
たのしさでもある。
Hさんといっしょにでかけなければ、夜に足湯なんて ふつうしない。
いそがしさで うるおいのない生活になっているとき、
Hさんといっしょにいるだけで 時間のながれがかわってくる。
足湯をおえ、Hさんを家までおくりに 夜道をあるく。
わたしとHさんだけをのこして 世界がおわったみたいに 町がしずかだ。
島根ではよくあることで、夜8時をすぎた松江の町は、
鷹の爪カレンダーの自虐ギャグになるくらい
(「夜7時を過ぎても明るい町づくり。」など)、
ひとどおりがすくない。
あわただしくすぎた きょういちにちの あんなこと、こんなことが、
Hさんといっしょにすごしたおかげで、みごとにリセットされた。

posted by カルピス at 23:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月03日

職場のiMacをかいかえる(システム10.6から11.3へ)

職場でサービス管理につかっているiMacの
調子がわるくなった。
虹色のカーソルがしょっちゅうあらわれるようになり、
クルクルまわりつづける時間に いらいらさせられる。
ディスクユーティリティでアクセス権の修復をしても、
根本的な解決にはならなかった。
ハードディスクがいやな音をたてるときもあり、
どうしようもなくなるまえに、あたらしいパソコンへ
データーを移行しておいたほうがよさそうだ。

わたしは なんとなくマックにくわしいとおもわれており、
あたらしいiMacのかいものをたのまれた。
ネットで注文すると、時間がかかりそうなので、
現金をもってヤマダ電機へ。
iMacのコーナーをみていると、
すぐに店員さんが声をかけてくれ、親切におしえてくれる。
iMacのいちばんグレードがひくいタイプを
12万8000円ほどでかう。

いちばん気がかりだったのは、
ファイルメーカーでつくった サービス管理に必要な書類が
あたらしいiMacで ひらけるかどうかだ。
これまでつかっていたiMacはシステムが10.6。
あたらしいiMacは11.3なので、
いろいろ不具合、というかひらけない書類がでてきそうだ。
ヤマダ電機の店員さんがいうには、
ひらけるかもしれないけど、
メーカーとしては すすめていないらしい。
プリンターもたぶんつかえなくなるだろう
(店員さんは、メーカーがちゃんとサポートするので、
5年まえのプリンターでも大丈夫、といっていたけど、
やっぱりサポートの対象外だった)。

ひるがえって、わたしが家でつかっているiMacは、
快適すぎて この環境をうしなうのがこわくなる。
システムは職場でつかっていたiMacとおなじ10.6。
5年前のパソコンなので、いつおかしくなっても不思議はない。
いまの便利さをあたりまえにおもっているけど、
もし職場みたいに あたらしくすると
どれだけギクシャクするだろう。
マジックキーボードもマジックマウスも、
すごい解像度のディスプレイでなくてもいいから、
いまのまま ずっとつきあってもらいたい。
すこしぐらいディスプレイがあつくてもいいから
光学ドライブがついていたほうが安心だ。
あたらしいiMacでは、レンタルDVDがみれない。

ふるいiMacから あたらしいiMacへ
データーがひきつがれるように、
きのうシステム移行の設定をする。
あとおよそ10時間、と表示されたので、そのままにして家にかえった。
朝きてみると、さいわい 移行はぶじに成功していた。
2日目のきょう、ひととおりの初期設定をおえる。
けっきょくファイルメーカーは最新の14でなくても、
わたしがつかっている11でひらけた。
ただ、プリンターはどうにもならない。
あたらしいシステムに対応した
やすいプリンターをかうことになる。
メールもなんだかあやしげだ。
システムの移行に成功したはずだけど、
アカウントの設定が完全にはひきつがれなかった。
ちょっといじってみたけど、
やたらと警告の文字がうかびあがる。

まえだって、あたらしいパソコンのかいものには
それなりの苦労があったものだけど、
このごろのシステム間の断絶は ひどすぎないか。
あたらしいパソコンをかっても
ワクワクするより 圧倒的にめんどくささがさきにたつ。
こんなにたいへんなら、
おおくのひとがスマホでじゅうぶんとかんがえるのもわかる。
あたらしいiMacのハードディスクは1テラバイト、
メモリーも8ギガともうしぶんない。
そこらへんの数字は わたしがつかう分にはじゅうぶんすぎる。
もうこれ以上 進歩をめざすのはやめ、
おなじ環境でつかいつづけられる快適さに
目をくばってもらいたい。

・現金をにぎりしめて家電店へ
・プリンター共有ができず、パソコン1台にプリンター1台
・クラウドなんて まったく他人事

職場のiMacは、2016年とはおもえない
原始時代のような環境でいきている。
ネットにつながっているというよりも、
20年まえのパソコンとおなじ
純粋に事務処理機としてはたらく絶滅危惧種だ。
「ガラケーよりもガラパゴス」と、
威勢のいいフレーズをおもいついたけど、
もちろんそんなのはウソにきまっている。
ガラケーよりもタスマニア、がただしい(意味不明)。

posted by カルピス at 21:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | パソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月02日

『マジェスティック』スイカにこだわるブロンソンがおかしい

『マジェスティック』
(リチャード=フライシャー:監督・1974年・アメリカ)

このふるい作品が、最近になってBSで放映された。
チャールズ=ブロンソンが主演で、
わたしはこの作品を なぜか中学1年生のときに映画館でみている。
なつかしさから 録画してみなおした。
映画館へでかけるのは、中学生のわたしがおもいついた
精一杯のせのびだったのだろう。
ブロンソンは当時、
しぶくて男くさい俳優の代表的な存在だった。

ブロンソンは過去にいろいろあったにせよ(ベトナム戦争など)、
いまはスイカ畑を経営する あまりぱっとしないおやじだ。
題名の「マジェスティック」は、
ブロンソン演じるビンセント=マジェスティックの名が
そのままつかわれている。
あらすじはシンプルだ。
いやがらせをする悪党たちに、
ビンセントがどうたちむかうか。

コーパスというチンピラが、ビンセントの農場でさわぎをおこす。
ビンセントがスイカの収穫にメキシコ人をやとったところ、
コーパスは自分がつれてきた男たちをつかえと いいがかりをつける。
ビンセントはコーパスをかんたんにひねってしまうのだけど、
コーパスはさかうらみして訴訟をおこし、
ビンセントは警察につれていかれる。

なぜいまごろこの作品が放映されたのかを不思議におもう。
とくにすぐれた作品ではないし、
だいいち1974年とすごくふるい。
メキシコ人の労働者がでてくるので、
共和党の大統領選候補トランプ氏が
メキシコとの国境に壁をつくるといった
過激な発言となにか関係があるのだろうか。
あえていまこの作品をひっぱりだすのは、
トランプ氏にむけた なんらかのアピールかもしれない。

でもちがった。
映画をみているうちに、
ビンセントはスイカの収穫しか頭にない
なんだかへんなやつなのが わかってくる。
自分の命がおびやかされても、
口をついてでるのはスイカのことばかり。
金がほしいからではない。
スイカの収穫は一事が万事で、
なにごとにおいても自分のやり方をとおすのが
彼にとって大切であり、いまはそれがスイカなのだ。
スイカの収穫を邪魔しようとするものは、
札つきの悪党であろうと関係ない。
メキシコ人を農場でやとうのも、
メキシコ人にたいして偏見がないからではなく、
ただスイカを収穫してくれるからにすぎない。

ビンセントにつきまとう悪党たちは、
彼がスイカのことしかかんがえないのにいらだってくる。
もっとまともに自分たちの相手をしてほしいのに、
ビンセントの頭のなかは スイカしかない。
そんなビンセントへのしかえしに、
スイカの山にむけ、マシンガンをうちつづける場面は、
ものすごくマヌケにみえた。
そんなので すごんでるつもりなのだから、なんだかかわいらしい。
なかなかビンセントにふりむいてもらえない悪党たちに
同情したくなってくる。
ビンセントにむけた 悪党たちの片おもいが この作品のテーマだ。

1974年というと、でてくる車もさすがにふるい。
ムダにおおきいだけのアメ車は
いかにもおもくてガソリンをくいそうだ。
キビキビとはしれず、みてるだけでストレスをかんじた。
あんな車にはぜったいにのりたくない。
ビンセントがやたらとつよいのがご愛嬌で、
でもそのちからをふるう理由がスイカなのだから
なんだかちからがぬけてくる。
傑作ではないけれど、よくできたB級というかんじで、
わたしのすきなタイプの作品だ。
脚本がエルモア=レナードとあり、
スイカへのこだわりは レナードらしいといえる。

posted by カルピス at 22:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月01日

じゃがいものうえつけ

畑しごとのはじまりは、今シーズンもじゃがいものうえつけからだ。
ホームセンターで3キロの種いも(メイクイーン)をかい、
きらずにそのまま畑にうめる。
じゃがいものうえつけというと、
種いもをきり、そこに 灰や石灰をぬって
いもがくさらないようにするけど、
まるごとうえればすごくかんたんだ。
自然農法による野菜づくりが2年目となり、
きょねんおおまかなウネをたてているので、
ことしはクワをまったくつかわなかった。
移植ごてで穴をほり、そこに種いもをおとし 土をかける。
水やりもなしだ。
だいたいにおいて、畑での仕事は みこみどおりにすすまず、
なかなかおわらないものだけど、
今回の種いもうえは、おもっていたよりもずっとはやく、
30分もかからなかった。

ほかのウネでは、きょねんの11月にまいたえんどうが
草のなかから芽をだしている。
冬のあいだはコケみたいなかたちで
なんとか生きのびていたコリアンダーも、
だいぶおおきくなった。
春はまだほかの草にいきおいがないので、
えんどうは いかにも自然農法らしく、草といっしょにそだっており
みた目にもうつくしい。
しりあいにもらった「ツタンカーメン王陵のえんどう」の種もまく。
ツタンカーメンのお墓から、副葬品として発見されたものだという。
紀元前14世紀の味をたのしみたい。
えんどう.jpg
じゃがいもをうえていたら、
ほかの畑で仕事をしていたおばさんがはなしかけてきた。
「あんた、えらいことしてるらしいな」といわれる。
なんのことかとおもったら、米づくりのことだった。
わたしが田んぼをかりてお米もつくっていると
だれかからきいたそうで、
わかいのに(わかくないけど)なかなか感心なやつだ、
というニュアンスをかんじ すこしうれしくなる。
田うえではなく、種モミをばらまくやり方で、
きょねんはたった18キロしかとれなかった、と
じっさいのすがたを説明した。
ここの畑も、おなじかんがえ方で、
じゃがいもにも肥料をやらないし、
草もできるだけとらない、というと、
理解しかねるふうだ。
それでもダメだとはきめつけず、
「まあ、穴をほって うえとけばいいわね」と
なかなかものわかりのいい おばさんだった。
わたしもそうおもう。
穴をほって、うえとけばいい。
そのとおりに、穴をほって種いもをうえた。

posted by カルピス at 22:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 農的生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする