バスがわりとおおきなバス停をとおったとき、
ほうきでそうじをしているひとが目にはいった。
県立のホールのまえにあるバス停で、
たくさんのひとが利用するから
そうじもきっとたいへんだろう。
そうじをしていたのは ボランティアのひとだろうか、
それとも委託をうけたどこかの会社なのか。
バス停が混雑する時間をさけたり、
ひどくよごれるまえにそうじにはいったりと、
気もちよくバス停をつかってもらうために、
いろいろなコツがありそうだ。
利用者にこまったクセのひとがいたら その対応だって必要となる。
ローテーションをくみ、そうじの時間をきめたりと、
やらなければならないことが、いくらでもでてくる。
完璧をめざそうとすればきりがない。
でも、もしかしたら、わたしがみかけたとき、
たまたまほうきではいていただけで、
いつもはそうじなんか してないかもしれない。
バス停のそうじ係なんてきいたことがないし。
もともとそうじなんかしていないバス停について
正面からそうじをかんがえたら、
きりのないほど仕事がでてくる。
そうじをしなければ労力はゼロだし
だれもこまってなかったのに、
そうじをしだすと いくらでも労力をすいこまれる。
仕事には、バス停のそうじみたいに、
やってもやらなくても、どうでもいいことが
あんがいおおいのではないか。
そうじをしなくても どうでもいいからやらない、ではなくて、
自分でかってに意味をこめて最善をつくし、
仕事をおもしろくする。
やらなくてもいいバス停のそうじについて、
かんがえにかんがえて、気もちのいいバス停にしていく。
まわりからは労力にみあった評価をうけないけど、
かってに全力をつくす。
・どんな仕事も完璧をもとめるときりがない
・あんがいそれは、やらなくてもいいことかもしれない
ひとりムキになってりきんでいるけど、
まわりからみたら ひとりでからまわりしてるにすぎない。
「どうでもいいことかも」
というカードを 1枚あたまにおいておくだけで、
仕事の奥ゆきがずいぶんちがってくる。
どうでもいいかもしれないことにたいし、
かってに全力をつくすからたのしい。