毎週すこしの時間アルバイトをしているお店で、
自己紹介文をもとめられた。
直筆でかいてほしいという。
納品書のうらにつけて、お客さんへのサービスとするのだ。
ネット注文という 顔のみえない関係でも、
手がきの文章をそえることで、
あたたかみがつたわるという。
わたしはつよい抵抗をしめした。
わたしはものすごく字がきたないため、
パソコン以外で字をかくのが ほんとうにいやだ。
顔に障害のあるひとにたいし、
整形や化粧なしでひとまえにでろというのは暴力だろう。
字のへたなひとに、気にしなくていいからと
直筆をもとめるのもおなじだ。
それに、なにかにつけて直筆をありがたがる感覚が
わたしにまったくはわからない。
直筆でかけば、誠意がつたわるとおもうのはなぜか。
情緒にたよって 相手の関心をひくようで
いかにも気がすすまない。
直筆と誠意とは、まったく関係がない。
たいせつなのは、文章のなかみのはずだ。
達筆で、うまい文章なら問題はないけれど、
わたしのように字がへたなものは、
無理して ていねいにかこうとするよりも、
パソコンをつかって推敲をかさね、
よむにあたいする文章をかいたほうがずっといい。
たぶんお店のひとだって、やりたくてやっているのではなく、
客商売にたずさわるものとして しかたなく、
といったところだろう。
「しかたなく」そうさせる圧力は、 わたしの美意識となじまない。
手がきの自己紹介文に抵抗した結果、
パソコンでかいて、さいごに直筆でサイン、
という形式でいいと 条件をゆるめてもらえた。
直筆で誠意をみせるよりも、内容で判断されるわけだから、
よんでつまらなければ、
そんな文章をかいたわたしがわるいと納得できる。
字がへたくそだから よんでもらえないよりも ずっといい。
ついでにいうと、
わざわざアルファベットでかかれた新聞をさがしてきて、
なにかをくるんだり、かざりにするのも、わたしはいやだ。
おしゃれでしょー、といいたいらしいけど、
いったいなんのことだかわからない。
なぜ日本語の新聞ではダサくて、
アルファベットならすてきなのか。
ずいぶんめんどくさい人間みたいだけど、
手がきによる誠意と、英語の新聞をつかっての包装を、
わたしはずっとうたがっている。