夜12時まえに いちにちの活動をすべておえ、
お酒を片手にベッドにこしかける。
きのうもこうだったし、おとついもおなじだ。
まったくおなじ場面が きりもなく くりかえされる。
いちにちがあっという間にすぎるのは、おどろくばかりだ。
きのうこうやってベッドにあがってから、
ほんとうに もういちにちがすぎたのか。
ほんの30分ほど お酒をのみながら音楽をきき、よみかけの本をひらく。
この時間をたのしみにしながらも、
またおなじ場面をむかえたのが、なんだかしんじられない。
やっとこさたどりついた時間だけど、
30分でふとんにもぐりこまなければ
つぎの日の仕事にさしさわる。
ほんとうは、すでにおそすぎるぐらいだ。
朝おきてからねるまでに、
わたしの自由になるのは、30分でしかない。
目がさめて いちにちがはじまると、日常にのっかり
きまりきったノルマをかたづけるだけで
一直線にこの時間へとすすむ。
たった30分なので、読書ははかどらはないし、
ゆっくり音楽をきく余裕もない。
ひといきつくだけできえる貴重な30分だ。
朝おきたときから、わたしのもとには
30分しかのこらないのをしっている。
いそがしすぎるとか、あわただしいわけではないのに、
なぜだかきまって30分しかのこらない。
ジョギングをしたりブログもかいてるので、
客観的には ぜいたくなすごし方にみえるかもしれないけれど、
わたしの主観としては いちにちに30分でしかない。
はたらいているひとのおおくが、こんなふうに
わずかな自由時間で くらしているのだろう。
いちにちが、あっという間にすぎるのに、毎晩おどろいている。
人生において、30分をたのしみにすごす時期があってもいいと、
いまのわたしは、なりゆきに身をまかせている。