きのうの夕方、いつものスーパーまで あるいてかいものへいった。
iPodでRCサクセッションの曲をきいていると、
ようやく清志郎の命日が連休ちゅうだったのに気づく。
しらべたら、5月2日だ。今年で7回目の命日となる。
まさか、こんなにかんたんにわすれてしまうなんて。
これまで 命日の夜には、お酒をのみながら
清志郎とチャボのコンサート
『GLAD ALL OVER』のDVDをみている。
毎年つづけてきたからといって、
むりしておなじことをなぞるのは、儀式めいていていやだ。
ことしはRCの曲をききながら、
2時間コースのジョギングにでかけることにした。
いつもはラジオ番組「とことん暑苦しい音楽」でながれた曲を参考に、
ジョギングむけに えらんだ曲をききながらはしっている。
でも、2時間コースとなると、
ギトギトロックな曲にせかされれるより、
フォークな曲もまじるRCを シャッフルできくほうが
わたしのゆっくりなペースにはちょうどいい。
シャッフルだと、あまりきかない曲もながれてくる。
ひさしぶりの2時間コースを、清志郎にたすけられ、
へろへろになりすぎず、さいごまではしれた。
いろんな時代の清志郎をシャッフルできいていると、
ひとくちに清志郎といっても、わたしがすきな曲は、
わりとせまい範囲にかたまっているのがわかる。
フォーク時代よりもうすこしあと、
1980年から83年につくられた曲がほとんどだ。
アルバムでいうと、
『PLEASE』(1980)
「Sweet Soul Music」
「いい事ばかりはありゃしない」
「あきれて物も言えない」
「体操しようよ」
『EPLP』(1981)
「よごれた顔でこんにちは」
「上を向いて歩こう」
「君が僕を知ってる」
「たとえばこんなラブソング」
『BEAT POPS』(1982)
「つきあいたい」
「こんなんなっちゃった」
「恐るべきジェネレーションの違い」
「エリーゼのために」
「ハイウェイのお月様」
『OK』(1983)
「お墓」
「誰かがBedで眠ってる」
「うんざり」
「指輪をはめたい」
「ドカドカうるさいR&Rバンド」
となる。
うだつがあがらず、トホホな毎日をおくるわたしにとって、
この時代につくられた清志郎の曲がすくいだった。
自分が主流からはずれているとかんじつつ、
でもどうしようもなくて
おなじところをうろつくわたしをなぐさめてくれた。
『雨あがりの夜空に』にある
「いいかげんあしたのこと かんがえたほうがいい」
「どうしたんだ ベイビー、おまえまでそんなこというの?」
は、わたしの気もちにぴったりだったし、
なにがおきても、
「どうぞ勝手にふってくれポシャるまで
いつまでつづくのか みせてもらおう」
とつぶやけば、まえむきでいられた。
清志郎というと、ロックな反骨精神がよくとりあげられるけど、
わたしにとっての清志郎は、
うたいたい曲を すきなようにうたっていた
1980年から83年にかけての清志郎だ。
ブツブツいいながら なんとか生きていけたのも、
清志郎のおかげかもしれない。