『マッドマックス 怒りのデスロード』
(ジョージ=ミラー:監督・2015年・オーストラリア)
はじめてみるマッドマックスシリーズなのに、
まったく問題なく作品の世界にはいれた。
理屈なしでたのしめる。
あれはてた土地での絶望的な状況を、
「たのしめた」というのは なんだか不謹慎だけど、
つくったひとたちも、なにかの教訓をしめすためではなく、
きっと ただ たのしんでほしかったのだとおもう。
「あーおもしろかった」が、
この作品においては純粋にほめことばとなる。
説明しだすときりのなさそうな 現実ばなれした世界なのに、
すごいスピードで展開する映像をみているだけで
すんなりはいりこめるのだから、
よほど じょうずにつくってあるのだろう。
作品を成立させるのに必要なお約束は最小限にとどめ、
よけいなことに気をとられないで カーチェイスに没頭できる。
悪の帝国があって、そこからにげだしたら、おいかけられた。
ただそれだけなのに、みるものをひここむちからがすごい。
なぜこんな世界になったのか、とか、
砦を支配しているのはなにものなのか、は
しらなくても たいして問題ではない。
ただ、とてつもなく つよくてわるいやつがいて、
主人公とその仲間がもうすこしでつかまりそうになる、
という状況が大切なのであり、
そこだけおさえてあれば、あとは全力でにげまくるだけだ。
カーチェイスこそがこの作品のキモなのだから。
この作品を、わたしはデイリーポータルZの記事により、
映画をみるまえからしっていた。
そのときは なんのことかわからないまま、
やたらとハイレベルな工夫に感心したものだ。
(『俺を見ろ!おうちでマッドマックス』)
http://portal.nifty.com/kiji/151102194965_1.htm
映画のあとで、ふたたびこの記事をみると、
こまかなところまで きちんと再現してあるのがよくわかった。
マッドマックスをみたら、だれだってごついトラックを
フルスロットルではしらせたくなる。
馬力のあるタフなエンジンこそが、あの世界では正義だ。
残念ながら、ああした車は なかなか手にはいらないので、
現実の世界にいきる一般市民は 工作するしかない。
みかけはペラペラのおもちゃでも、
マシンにはマッドマックスの魂がやどっている。
きっと作者は、あまりにも興奮してしまい、
なんとかしてマッドマックスにかかわらないと
気がすまなかったのだろう。
ありえないところをつっこみがちなわたしよりも、
現実的かつただしいつきあい方である。
せっけんの箱とダンボールでつくった自動車が、
マッドマックスのトラックにしかみえない。