2016年05月09日

90歳以上のげんきなおとしよりはスーパーエリート

きのうのつづき。
90歳以上でも超げんきなおとしよりがいる、というはなしだ。
そんなひとばかりが番組に登場したので、
なんだかわたしもそのなかまいりができるような気がしたけど、
かんがえてみれば、あのひとたちは
スーパーエリートだからこそ、
ああして90をすぎても げんきに活躍されている。
おおくのその他おおぜいのひとは、そのまえに死んだり、
たとえながいきしても、からだやあたまが 自由にうごかない。
数々の病気やからだのいたみになやまされず、
一生をおえるひとの確率はどれくらいだろう。
あのひとたちは、そうしたハードルをくぐりぬけてきた
きわめて少数のエリートなのをわすれていた。

わたしは、スーパーエリートではないけれど、
腰はいたくないし、
ひざだって大丈夫だしし、
不眠症ではないし、
偏頭痛もないし、
「ぢ」でなやんでもないし、
糖尿病や高血圧、それに痛風でもない。
いちにち3どのごはんを
おいしく、ありがたくたべている。
おおくのひとをくるしめている苦痛からまぬがれており、
それだけでもめっけもののの人生ではないか。
生きているだけでラッキーな人間であり、
そのうえ90歳までのながいきをのぞんだら よくばりすぎだ。

はなしがとぶけど、
「止まるはず、老いの甘えが死をまねく」という標語があり、
はじめみたときは、たちのわるい冗談だとおもった。
「止まるはず」とかんがえることの、
どこが「老いの甘え」なのか。
状況判断のわるさを「老いの甘え」ときめつけ、
老人に責任をおしつけている。
とまらないで、ぶつかってくる運転手のほうがわるいだろう。
日本はものすごく老人につめたい社会だ。
やっぱり90歳までげんきに生きて、
ざまーみろといいたくなってきた。

posted by カルピス at 21:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする