『ノーカントリー』(コーエン兄弟:監督・2007年・アメリカ)
原作はコーマック=マッカーシーの『血と暴力の国』。
はじめてよんだマッカーシーがこの本だった。
きょくたんに句読点のすくない かわった文体と、
むだぐちをきかない登場人物がつよく印象にのこる。
だからといって、ハードボイルドともいえない気がする。
あの小説を、どう映画化したのかに興味があった。
麻薬がらみの大金を手にいれたモスが、
組織におわれながらにげまわる。
モスは、でどころのしれない大金なんかを
手にいれようとしなければいいのに、
いのちをねらわれながらも絶対にあきらめない。
まるっきりのかたぎではないにしろ、
犯罪とは縁のない世界でいきているモスが、
すごうでの殺し屋におわれても
ぜんぜんびびらないで、自分のやり方をとおそうとする。
自分にさしずしようとするものへの拒否反応が、
いかにもマッカーシーだ。
殺し屋のシガーが 不気味な雰囲気をはなっていた。
組織から仕事をうけおってモスをおっかけていながら、
だいじなのは自分の論理にあうかどうかであり、
その美意識をそこなうものへは
まったくためらわずに、けたはずれの暴力をふるう。
こころがないというよりも、ふつうの人間とは
ぜんぜんべつの価値体系にそっていきているからおそろしい。
シガーとかかわるひとは、彼とことばをかわすうちに、
相手が一般論のつうじない人間だとわかり おそろしくなる。
自分の運命が シガーのもとにあると 気づいたときはすでにおそく、
あまりの無条理にとまどいながら 彼の手のなかにおちていく。
3人目の主人公が、年おいた保安官で、
いい味だしてるなー、とおもったら、
缶コーヒー「BOSS」のおじさんだった。
すごうでの保安官というよりは、
引退前のひと仕事、というかんじだけど、
これまでに得た経験と、
生きるうえで身につけてきた土地の常識にそって、
つかずはなれずモスとシガーにせまっていく。
このひとがいっしょにいてくれたら、
一般市民はさぞかし安心だろう。
モスとシガーが 一般的でないメンタリティーのひとなので、
おちついた保安官の存在に、すくわれるおもいがする。
保安官は、自分のスタイルが
いまの社会につうじないことでみきりをつけ、
定年まえに辞職してしまう。
作品のなかで、ただひとり良識をもっていた保安官が
やめなければならない社会なんて、
まともな人間にはどれだけすみにくいことか。
この惑星の住人は・・・、と
ジョーンズさんでなくてもいいたくなる。
この映画が気にいったひとには、
マッカーシーの原作『血と暴力の国』もつよくおすすめしたい。
原作の世界がたくみに映像化されており、
どちらもすぐれた作品だ。
主要な登場人物の3人が、それぞれに印象ぶかい。