本の雑誌社の社員があつまって、座談会をしていたとき、
本を180度以上ひらいてよむとか
「ぐいぐいごしごし」するといった
浜本氏(編集長)の本のあつかいについて
社員から苦情がでたのだそうだ。
浜本氏は、自分のよみ方くらいゆるされる範囲と、
ひらきなおっているのではない。
本を愛しているはずの自分が
無意識のうちに「ぐいぐい」やっていたことにおどろき、
無意識だからこそおそろしいと、よく認識されている。
ようするに、「人の本は汚すな!」に異論はない。
特集は、つづいて 本屋さんでみかけたひどいとりあつかいを
妖怪にみたて、名前と特徴を紹介している。
【かみなめ】自分の指に唾液をつけて本をめくる
【おれおれ】ページにおりめをつけながらのたちよみ
【おきにもつ】商品である本のうえに自分の荷物をおく
【どりんくおんな】コンビニでかったのみもので本をよごす
【おきにもつ】は、わたしもよくみかける。
わたしは荷物の下にある本をとりだすふりをして
できるだけ荷物をどかせる。
【どりんくおんな】はさいわいまだ目撃したことがない。
島根に棲息してないといいけど。
ときどき本屋さんに顔をだすわたしでさえ
気になるお客がちらほらいるのだから、
店員さんからみれば、目にあまるお客はたくさんいるだろう。
お客は神さまではないのだから、
もっとつよくでてもいいとおもうけど、
いまの社会では、なかなかむつかしいのだろう。
「人の本は汚すな」のタイトルにあるとおり、
「人の本は」よごしてはいけないけれど、
自分でかった本なら どうしようと自由だ。
自分でかった本について、わたしは
かなりぞんざいなあつかいをしている。
原則としてオビはとりのぞく。
これは、よむのに気がちるものは ないほうがいいという、
山口瞳さんのおしえによるものだ。
オビをつくるのにも労力がかかっており、
オビも本の一部として大切にするというかんがえ方もあるけれど、
本を神聖なかざりものにしないためにも じゃけんにあつかう。
本のなかみに、えんぴつで線をひいたり かきこんだりもする。
いっぽうで、本をたいせつにする気もちも
わからないではない。
サザエさんに、本をまたいだカツオがしかられるはなしがあり
(しかったサザエさんは、波平さんをまたいでいる、というオチ)、
それくらい精神的なシンボルにまつりあげるのも わるくない。
わたしも、本をひらいたままふせるのは
たとえ自分の本であっても行儀がわるいとおもう。
読者からの投書には
「お風呂で本を読むな!」というのもきている。
紙がふやけるにきまってるだろう、と
マジで腹をたてている。
わたしにしたら、お風呂で本をよまなければ
ほかになにをするのだ、とおもう。
ひとによって「常識」の境界線はさまざまだ。
わたしはもう10年以上お風呂で本をよんでるけど、
フタをしていたら そんなにふやけるものではない。
もちろん図書館でかりた本を お風呂にもってはいりはしない。
ふやけるというよりも、もしお湯のなかにおとしたらおっかないから。
けっきょくこれも、自分の本でないのに
お風呂にもってはいるから 腹がたつわけで、
自分の本なら なにをしてもいいはずだ。
「人の本は汚すな!」は、
けっきょく あたりまえのマナーにすぎない。
「人の本は」よごしたらいけないにきまっている。
どの程度ぞんざいにあつかったら非常識かは、
相手との関係によるわけだから、一般論にならない。
本をかしてくれたひとがいやがらない範囲で
ていねいにあつかうまでだ。
特集として、おおきくとりあげられているわりには、
あまりにもあたりまえなので、拍子ぬけした。