発達障害の方への支援技術として
構造化がよくつかわれる。
環境をととのえて刺激を調整し、
情報がつたわりやすくする方法だ。
たとえば、たくさんのボタンがついたCDラジカセだと
どのボタンをおしたらいいのかわかりにくいので、
必要なボタン以外はかくしてしまう。
そうした構造化のひとつにスケジュールがあり、
予定がわかりやすくつたわるように工夫する。
自分がきょうはなにをするのかについて
みとおしがはっきりしていたら
だれだっておちついてすごしやすい。
いちにちのスケジュールを、
相手に得意な方法でつたえるのが基本だ。
とはいえ、スケジュールがわかっているからといって、
スムーズにうごけるかというと、
なかなかそうかんたんにはいかない。
わたしだって、その日のスケジュールをしめされ、
つぎは◯◯の活動だと、カードをしめされても、
はいそうですかと うごける日ばかりではない。
気分がのらないときもあるし、
そのつぎの活動が気になって かたまってしまうときもある。
発達障害のひとにしても、
カードをしめしたからうごけるというものではないし、
つたわりやすいように配慮された情報でなければ、
こちらのひとりよがりなスケジュールになりがちだ。
いつ・だれと・なにをするのかにひっかかって、
うごけなくなった利用者をまえに わたしは途方にくれる。
どの車にのって どこへゆくかなど、
そのひとに必要な情報を正確につたえないと 混乱につながる。
つまずいてしまうネタは いくらでもころがっている。
そうしたひとたちを支援しながら、
彼らがなぜひっかかるかよりも、
ほかのひとたちは なぜひっかからないかのほうが、
だんだん不思議におもえてきた。
まいにちがおなじなんて ありえないわけで、
突発的なうごきがいくらでもはいってくるし、
予定がかわることもおおい。
そのうえに体調もからんでくるから、
混乱するネタにはこまらないのだ。
どうかんがえても、つまづかないほうがどうかしている。
にもかかわらず、わたしたちは
朝いつものようにおきて、ごはんをたべたのちに職場へむかう。
こきざみに状況がかわるなかで、
なんにんかのスタッフといっしょに、仕事をつづける。
あきたり、いやになっても、がまんするのが一般的だ。
スムーズにうごけるのは、ウルトラミラクルな曲芸であり、
あたりまえとおもわないほうがいい。
すっとうごけるひとのほうが おかしいのかもしれない。