梅棹忠夫さんが カルカッタからの飛行機にのる場面は、
『カイバル峠からカルカッタまで』のつづきの部分だ。
モゴール族をおった探検のあと、
おもいがけず ふたりのアメリカ人民族学者といっしょに
梅棹さんはカブールからカルカッタまで
フォルクスワーゲンにのって旅行している。
車の窓のそとにひろがる景色やひとびとのようすを、
梅棹さんはタイプライターをたたいて記録する。
座席はガタゴトはげしくゆれるので、メモはとれない。
タイプライターなら、ゆれとシンクロするので なんとかうてる。
夜もまた、タイプライターなら、指がキーをおぼえているので、
くらいなかでも記録をとりつづける。
そうしてかかれたローマ字による記録を、
あとから漢字かなまじりになおしたのが
『カイバル峠からカルカッタまで』であり、
現在進行形による躍動感のある文章のためか、
よんでいるわたしまで、
いっしょに旅行しているような気もちになってくる。
村はきのうからのひきつづきで、屋根は瓦屋根、女がときどきおおきなかごを頭からかぶっている。水田がつづく。ヤシの木。全体の印象はいちじるしく熱帯的になってきた。(『著作集第4巻P375)
このときの旅行でえた気づきが、
のにち『文明の生態史観』の発想へとつながるわけだけど、
『カイバル峠からカルカッタまで』では
そうした構想についてはまだふれられておらず、
車のなかからの観察を中心に、
旅行ちゅうにおきたできごとをかきとめるにとどめてある。
わたしはこの『カイバル峠からカルカッタまで』がだいすきで、
たまたまおとずれることになったみしらぬ土地を、
こうして記録をとりながら移動する旅行にあこがれている。
もっとも、梅棹さんのように博識な方が観察するからこそ、
あたらしい発見や気づきがあるわけで、
わたしがスタイルだけまねても
「それがどうした」みたいな記録にしかならないのは
よくわかっている。
『カイバル峠からカルカッタまで』にならい、
事業所見学に倉敷へむかう車のなかで、
わたしもパソコンをひらいてみる。
わたしはタッチタイピングができるけれど、
どうしてもときどきは画面に目をむけて
入力をたしかめてしまい、
すこしタイピングしただけで車によってきた。
車によわいわたしは、ながくつづけてうてない。
『カイバル峠からカルカッタまで』の なにもかもがすきだ。
1955年という、60年以上もまえにおこなわれたこの旅行が、
いまもわたしのオールタイム・ベスト旅行記となっている。